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不品行を避けなさい
律法主義によって人の心のなかは、むしろ「やってみたい!」って欲望が強くなってしまうのです。
それは、人間が自分の力で罪の性質に勝とうとするやり方の結果です。
人間中心の律法主義、必ず、人間は罪の性質に負けるとパウロは教えています。
聖書はどう教えているのでしょうか?
日本語の新改訳聖書にはⅠコリント6:18にこう書いてあります。 注意して読みましょう。
「不品行を避けなさい」 この教えの意味を人間中心の考え方で読んではいけません。
ここで使われている「避けなさい」という言葉はギリシャ語では「φεύγε(フェブゲ)」、「逃げなさい!」という意味です。
新改訳聖書の「避けなさい」と言う表現は自分の意志の力で努力して避けるように聞こえてしまいます。それは原語から検証すると良い解釈ではありません。
何度も言いますが、自分の力で努力して良いことを行い、義を得ようとする行為は律法主義です。律法主義は自分の力で戦うように求めます。そして律法主義では、必ず、主語は「私」が主語、自分になります。
自分は律法主義に陥っているかどうかの見極め方はとても簡単


「代償を量りなさい」ってどういうこと? 福音構造と変わる心
イエスさまの「代償を量りなさい」とは、人間には無理だと悟らせる問いかけ。
本当の信仰とは「自分をあきらめてキリストに頼ること」。
神が聖書と聖霊を通してキリストの栄光を示してくださるとき、心は変わる。(パウロの回心)
そして 結合 → 再生 → 悔い改めと信仰 → 義認 → 聖化 の流れの中で、弟子として従う歩みが実現する。
イエスさまは「あなたのすべてを捨てなさい」と言われます。でも、それは自分の努力ではできません。
だからこそ、神が御言葉でキリストの栄光を見せ、聖霊が心を変え、「無理だったこと」を「従いたい心」へと変えてくださるのです。
「代償を量りなさい」という命令は、私たちを落ち込ませるためではなく、キリストの恵みに満ちた招きへ導く真実の問いかけなのです。


十字架の御業と本当の救い
「十字架の御業」、また「あがない」は救いにおける中心教義です。
これをわかっていないということは、その人は救われていないのか?
ここについて少し話したいと思います。
救いというのは、どのように私たちに来るのか?
聖書をしっかりと見つめて考えていくと、聖書はこのように言っています。
救いにおける一番重要な部分、それは「選び」です。
そして選びに基づいて何が行われているかというと、イエス・キリストとの結合の中において選びが行われているのです。
この選びの現れは、神の御指によって行われています。
決して私たちの意思によるものではありません。
また、決して私たちの知識によるものでもないということを理解する必要があります。


私は腐ってない! ― 信仰義認と聖化の土台
「私は腐ってない! ― 信仰義認と聖化の土台」
ローマ6:21 「ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。」
― 現代人の叫び「私は腐ってない!」
私たちは日常でよく耳にします。 「人を傷つけるようなことはしていないから、大丈夫。」
「悪い人もいるけど、自分はそこまでじゃない。」 「犯罪者と比べれば、私はまだマシだ。」
こうした声の根底にあるのは、まさに 『私は腐ってない!』 という自己主張です。
しかし、それは聖書から見れば全くの錯覚であり、神の御前では通用しない言葉です。


「いのちの御霊の律法」
キリストとの結合による「いのちの御霊の律法」とキリストのからだ
ガラテヤ5:16 「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させることはありません。」
いのちの御霊の律法、原理は「御霊によって歩む」とは、「御言葉=信仰によって生きる」ことです。
信仰は、自分の力に頼らず、すべてを神にすがりつき生きること。
それは御霊によらない人間の方法や努力ではない。絶えず御言葉を通して神に、頼む生き方。
その生き方は個人的な生き方ではありません。それはキリストの体である選ばれ、召し出された人々の共同体、教会、交わり、説教、賛美、祈りの中にある生き方です。
コロサイ3:16は言います。
“キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。”
この理解はとても重要です。神は時の始まる前から人々を神の住まい、教会として選んだのです。
キリストとの結合による「いのちの御霊の律法」は真の信仰者の共同体となります。


キリストとの結合の教義は信仰者を異端から守る
【1】永遠の選び vs. 人間の決心
― すでに「キリストのうちに」置かれている者たち
(事例) 霊的戦いは、救いは地域を支配する悪霊との戦い「あなたの決断」や「断ち切りの祈り」が呪いや支配を破る鍵だと主張
「神から与えられる信仰を通して恵みによる救い」をすり替え
「人間の宗教軍事的な思想に基づく行為と意志に依存させる決断主義的異端」
しかし、聖書は語る:「神は世界の基が据えられる前から、キリストにあって私たちを選ばれた」(エペソ1:4)
この選びとは、私たちが神を選ぶのではなく、神が私たちを永遠のキリストに結合されており、その永遠の結合に選ばれたという主権的恵み
➡ この私たちの救いの完成はこの全知全能の神の主権の名誉と栄光にあります
したがって、守りも断ち切りも、すでにキリストのうちにある私たちに与えられている。
(事例)霊的戦いにおけるテーマ 「日本の救い」
霊的戦いでは「日本国家、民族の救い」を勝ち取ると言う考えにより、愛国思想と結びつく
<事例 霊的戦いの思想 > 神の主権、キリストとの結合は存在しない


神との結合「キリストとの結合」にある奥義
この結合について語るときに、どうしても見落としてはならない大切な側面があります。それは父なる神、御子キリスト、聖霊なる神についてです。キリストとの結合がその父なる神、聖霊なる神との交わりに結合する事実です。


表面的な言葉に騙されない
表面的には「信仰義認」「恵みによる救い」「聖霊の導き」などの福音的言語を用いながら、実際には決断主義・経験主義・自己吟味主義が混入している典型的な事例を挙げ、その欺瞞構造を明らかにします。
このような話は現代の多くの教会でそれが本当だと思って話されています。目を覚ましていてくだい。


聖書は誰のために書かれたのか神との結合 ルカ8:43–48における真の救い
1.聖書解釈の鉄則:神の主権の視点から読むこと
聖書解釈の第一の鉄則は、神の主権に立って永遠のご計画の視点から読むことです。救いも「信じる」ということも、すべて神の御意志と御業によって成り立っています。人間の信仰・意志・行いは、神の選びと摂理に基づく結果です(ローマ9:16)。


「神との結合1 ろうそくの火と部屋のたとえ」
「ロウソクと部屋の例え 結合」
聖霊によって三位一体の神と結ばれるとは? (R.C.スプロールの改革神学に基づいて)
ロウソクと部屋のたとえ:キリストは火、私たちは部屋
ある家に暗い部屋があります。中にロウソクの火が灯されると、火の光と熱は部屋全体をやさしく照らし、あたためていきます。
このたとえの中で
ロウソクの火はキリストを表しています。
部屋は信者の全存在――つまり、あなたの意志、感情、思い、身体、人格そのものを表します。
そして、聖霊は空気のように、火の光と熱を部屋中に届ける働きをするお方です。
部屋とは「あなたのすべて」
部屋はただの空間ではありません。
この部屋には――
あなたの意志(どこへ向かおうとするか)
感情(何に反応し、何を愛し、何を嫌うか)
思い(何を考え、何に価値を置くか)
身体と生活
そして、あなたという存在のすべて
――が含まれています。
この全体が「あなた」という「器」であり、「部屋」です。


キリストとの結合と摂理 ― 救いのすべてがそこから始まる ―
キリストとの結合(union with Christ)とは、神が選んだ者をキリストと霊的に結び合わせることです。この結合のうちで、私たちは「キリストにある者」とされ、そこから再生・信仰・義認・聖化・栄化といった救いのすべての恵みを受けるのです。
この結合を、3つの側面で理解します。
全人格的:真の信仰者の思い・感情・意志・存在すべてがキリストと結びづけられ、その思い・感情・意志・存在すべてはいつもキリストの影響を受けていきます。
契約的:永遠の約束です。神は永遠の救いを約束として信仰者に与えました。それはキリストと信仰者が約束によって結合しているからです。
有機的:ぶどうの木と枝のように、キリストに絶えず依存して生かされていると言う霊的事実の結合です。


自由ってなに?-罪人と神
私たちがよく言う「自由」とは、「自分で選べること」、自分で決めることだと思っていませんか?
たとえば、今日のお昼ご飯を選んだとき、「カレーにしようか、ラーメンにしようか」と考えて、自分で決めたとします。
普通、「私は自由に選んだ」と思います。ラーメンやカレーは自分の体の欲求によって選ばれています。
でも、聖書が教える人間の自由はもっと深く、重要な問題があると教えています。それは、私たちが「自由に選んだ」と思っているその選択は、実は心の中の「欲望」よって決まっているからです。


広さ、長さ、高さ、深さ
パウロは、エペソの信徒たちのためにこう祈りました。
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、
あなたがたに知恵と啓示の御霊を与えて、神を知ることができるようにし、
心の目をはっきり見えるようにしてくださいますように。」
(エペソ1:17–18)
この「知る」とは、ただ情報を得ることではありません。
それは、心の目が開かれ、神の救いのご計画を全体として御霊により啓示され悟ると言うことです。


「キリストと教会」 本当の結合の奥義について
「キリストと教会」 本当の結合の奥義について
キリストと教会の奥義とすり替わる「夫婦についての非聖書的」な誤解と、福音による秩序の回復


「イエスが教えた本物の信仰のしるし」— マタイ5章から学ぶ
「山上の説教」と「幸いの教え」は密接に関係していますが、範囲と焦点が異なります。以下に明確 な違いを示します。


キリストの死を身に帯びる
キリストの死を身に帯びる ― 苦しみと命が共にあるということ 聖書箇所 第二コリント 4:8–10 私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。 途方に暮れますが、行き詰まることはありません。 迫害されますが、見捨てられることはありません。...


天から新しく生まれる
今日は、ヨハネの福音書の14章20節をもう一度読みます。 その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなた方にわかります。 「あなたがたがわたしのうちに」いることのスタートポイントは、再生です。「新し...


思い煩わず、恐れずに生きるには?
1. はじめに:なぜそんなに心配するの? みんなは「将来が不安だな」と思ったことある? たとえば… • 「テスト大丈夫かな」 • 「友だちとうまくやれるかな」 • 「病気になったらどうしよう」 って思ったことない? 実は、イエス様は聖書で何度もこう言っています。 「思い煩うな(心配しなくていい)、恐れるな」 でも、心配や不安って勝手に心の中で大きくなる。 それはまるで「心を締めつけるロープ」みたいなんだ。


神との結合 2025-3-30
2025.3.30 神との結合 礼拝メッセージ 【祈り】 愛する天のお父様、あなたの御霊、私たちと共におられる主よ。あなたと私たちが、神様によって結合していることを感謝します。 私たちの救いが永遠にあり、永遠の始まりから永遠の過去まで保証されていたことを、心から感謝しま...
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