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救いの構造の中で御霊の働きによって歩くヤコブ
ヤコブのそれまでの歩みは、肉によって立つ歩みであった。
計算し、工夫し、自分の知恵で生き延びようとする姿があった。


万が一 失敗して罪をしてしまったら~罪の告白~
信仰者は完全ではありません。罪との戦いは続きます。しかし、そのとき信仰者が向かう先は決まっています。父なる神のもとです。


ヘブル書講話:未完成から完成へ — 試練の中でのキリストの証明
この書は「未完成が完成になっていく」という、その完成に向けて信仰者が成長していく姿を強く語っています。


「この岩の上に、わたしはわたしの教会を建てる」
「私は芯の芯まで腐っています。イエス様、どうか助けてください。このような者をあわれんでください。」
この叫びが心の底から湧き上がるということは、いったい何を意味しているのでしょうか?
これは単なる悲鳴でも、芝居がかった感情表現でもありません。
これは、神によって砕かれた魂の叫びであり、聖霊によって与えられたまことの信仰告白なのです。
すなわち、これが信仰と悔い改めそのものです。
この信仰と悔い改めにより、神はその人を義と認めてくださいます。
これを信仰義認と呼びます。


「私は絶えず罪人であり、義人である」
―― 私はいつも芯の芯まで腐っている。けれども、神は御前において私を完全に義と宣言される。この確信を与えてくださる神に栄光を捧げます。この逆説の恵みに、私はただ畏れ慄くばかりである。―
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