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ヨエル書2章28節、29節
ヨエル書2章28節、29節


交わりについての学び
私たちが共に持つ礼拝後の交わりについて学びたいと思います。礼拝後の交わりを休憩やお茶菓子タイムと思っている理解の浅いクリスチャンは多くいます。多くの教会ではお茶菓子タイム、お食事タイムなどありますが、それを礼拝と理解している人々はいません。
礼拝後の交わりは単なる休憩や慰めの時間ではありません。礼拝の一部なのです。これは、神が御自身の民を建て上げるために与えてくださった聖なる恵みの手段です。したがって、交わりをどう理解し、どう実践するかは、神の御前でとても重要です。


日本における決断主義的伝道の歴史
世界的な流れと日本におけるキリスト教の歴史をみると明治時代から現代まで日本で伝道された福音は人間の自由意志とその選択により救われると言う決断主義の福音でした。SNSがない時代においては神の主権による福音を聞くことは極めて稀なことだったと言わざるを得ません。
神は語る者を再び立てる。神は今も生きておられ、御心にかなう者を必ず立てられます。
その者は、
人の承認を第一とせず、
制度に逆らうのではなく、
制度を福音のために改革し、
十字架と義認の真理を、何者をも恐れずに語ります。
「ただ主の召命と御言葉によって語る者」
それはRCスプロールやジョン・マッカーサーのように、福音の純粋性に生きた者たちです。
あなたは今、何をなすべきでしょうか?
語る召命を受けたなら、沈黙してはいけません。
教会の制度に仕えるなら、語る者を見分け、正しく立てなさい。
教会に属する信徒なら、語る者を支え、聖書の制度回復のために祈りなさい。


教会に地上支配の権限は与えられていない
支配神学が聖書によって明確に否定される証明ヨハネ18:36「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしがユダヤ人たちに渡されないように、わたしのしもべたちが戦ったことでしょう。しかし、わたしの国はこの世のものではありません。」主イエスご自身が語られた決定的宣言である。
地上的支配(政治、軍事、国家、制度)とは無縁であることをはっきりと告げておられる。キリストの国は、御言葉と福音によって支配される霊的な国であり、地上の統治権を信者や教会に委ねたとは一言も語っていない。
戦いとは、支配することでも領域を奪い返すことでもない。それは、神に逆らう高ぶった思いを砕き、キリストの福音に服従させる霊的戦いである。真の支配は御言葉によって魂がキリストに従うことにある。支配神学は、地を征服しようとして魂を見失う異端的運動である。


広さ、長さ、高さ、深さ
パウロは、エペソの信徒たちのためにこう祈りました。
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、
あなたがたに知恵と啓示の御霊を与えて、神を知ることができるようにし、
心の目をはっきり見えるようにしてくださいますように。」
(エペソ1:17–18)
この「知る」とは、ただ情報を得ることではありません。
それは、心の目が開かれ、神の救いのご計画を全体として御霊により啓示され悟ると言うことです。


「この岩の上に、わたしはわたしの教会を建てる」
「私は芯の芯まで腐っています。イエス様、どうか助けてください。このような者をあわれんでください。」
この叫びが心の底から湧き上がるということは、いったい何を意味しているのでしょうか?
これは単なる悲鳴でも、芝居がかった感情表現でもありません。
これは、神によって砕かれた魂の叫びであり、聖霊によって与えられたまことの信仰告白なのです。
すなわち、これが信仰と悔い改めそのものです。
この信仰と悔い改めにより、神はその人を義と認めてくださいます。
これを信仰義認と呼びます。


「救いと教会 ― 教会との結合」
「教会に属していないと救われないのですか?」「救われたあと、自分に合った教会を選べばいいのでは?」この問いは、現代の教会、信仰者、すべての人々にとって非常に重要な問題です。
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