教会に地上支配の権限は与えられていない
- thewordforyoujapan
- 6月18日
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更新日:8月11日
教会に地上支配の権限は与えられていない 2025.6.18
支配神学と霊的戦争思想を福音の光で撃ち砕け
【1. 支配神学の主張とその根拠とされる聖句】
支配神学の主張:教会は「神の国の地上代表」であり、あらゆる領域(政治・教育・経済・文化など)を支配し、悪魔の勢力を駆逐する使命を負っている。神はアダムに地の支配権を与え、それをキリストが回復し、今や教会に委ねた。よって教会は「地上における神の統治機関」である。
誤用される聖句:
創世記1:28「地を従わせよ、支配せよ」
詩篇8:6「あなたの御手のわざを人に治めさせ…」
ルカ10:19「蛇やさそりを踏みつける権威を与える」
マタイ16:19「天の御国の鍵をあなたに与える」
黙示録11:15「この世の国は、我らの主とそのキリストの国となった」
【2. みことばによる教会代理支配論の完全破壊】
【誤用1】
創世記1:28「地を従わせよ、支配せよ」
アダムに与えられたのは「創造の秩序管理」の責任であって、霊的・地政学的支配ではない。
ローマ5:12「罪が一人の人によって世に入り」
支配は崩壊、サタンの支配下に。
詩篇103:19「主は天にその御座を備え、主の王国はすべてを支配する」
人間ではなく神が支配者。
【誤用2】
詩篇8:6「万物を彼の足の下に置かれました」
ヘブル2:6–9で明確にキリスト預言として解釈される。「すべてが人に従った」のではなく、「私たちはイエスを見ます」とある。この支配は教会の支配ではなく、キリストの栄光による成就。
【誤用3】
ルカ10:19「蛇やさそりを踏みつける権威」
宣教時の霊的保護の約束であり、地上支配や悪霊追放命令の普遍原理ではない。続く20節で、「霊が従うことを喜ぶな。名が天に書かれていることを喜べ」と教えられる。支配ではなく、救いと神の恵みが中心である。
【誤用4】
マタイ16:19「天の御国の鍵をあなたに与える」
原語の「つなぐ・解く」はラビ的表現であり、天の御旨を宣言する責任の意味。福音の扉を開く責任として、ペテロはユダヤ人・サマリヤ人・異邦人に福音を伝えた(使徒2, 8, 10章)。支配ではなく、宣教の鍵=御言葉の宣言的責任。
【誤用5】
黙示録11:15「この世の国は…主とそのキリストの国となった」
これは終末における最終的成就の預言。現在の教会に地上支配が委ねられた証拠ではない。支配はキリストが再臨されるとき、完全に実現される(黙示録19:16)
*ミニコラム*
霊的領域を勝ち取るという異端を撃ち砕け!
「この土地に祈って勝利を宣言しよう地域の悪霊を打ち破り、霊的領域を奪い返そう」
こうした叫びは、現代のカリスマ的スピリチュアル・ウォーフェア思想に満ちている。しかし、それは福音ではない。それは「キリストのすでに勝ち取った勝利」を否定し、教会が支配者として悪霊と戦って勝利しなければならないという偽の福音である。
聖書は明確に語る:
コロサイ2:15「キリストは十字架で、支配と権威を打ち破られた」
コロサイ1:13「私たちはすでに暗闇から移された」
ヨハネ18:36「わたしの国はこの世のものではない」
私たちは領域を勝ち取るのではない。福音を宣言し、神が再生された者に御国が来るのを待つのだ。
【3. 真のキリストの王国は何か?】
ヨハネ18:36「わたしの国はこの世のものではない」
ピリピ3:20「私たちの国籍は天にある」
コロサイ1:13「暗闇の力から救い出され、御子の御国に移された」キリストの王国は、「教会が地上を支配する制度的構造」ではない。神によって再生された者が、福音によって神の支配に服する霊的現実である。
【支配神学を福音の光で撃ち砕け】支配神学は、アダム契約を誤読しキリストの十字架を過小評価し教会に与えられた福音の宣言という謙遜な召しを忘れ地上的支配にすり替えた偽りの王国ビジョンである教会は王ではない教会は王を指し示す者である教会の武器は、勝利を叫ぶことではなく悔い改めと信仰を呼びかける十字架の福音の宣言である。
【まとめ】
支配神学が聖書によって明確に否定される証明ヨハネ18:36「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしがユダヤ人たちに渡されないように、わたしのしもべたちが戦ったことでしょう。しかし、わたしの国はこの世のものではありません。」主イエスご自身が語られた決定的宣言である。
地上的支配(政治、軍事、国家、制度)とは無縁であることをはっきりと告げておられる。キリストの国は、御言葉と福音によって支配される霊的な国であり、地上の統治権を信者や教会に委ねたとは一言も語っていない。
ルカ17:20–21「神の国は、見えるかたちで来るのではありません。『見よ、ここにある』『あそこにある』と言えるようなものではありません。実に、神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」
神の国は地上的制度的支配や領域的占有ではない。「ただ中にある」とは、神の御霊によって再生された者のうちに始まる、霊的支配の現実である。
教会が制度的支配を握るという考え方は、キリストの福音に対する完全な反逆である。
2コリント10:4–5「私たちの戦いの武器は、この世のものではなく、神の御前で要塞をも打ち砕く力があるのです。私たちは、あらゆる思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべての思いをとりこにしてキリストに従わせます。」
戦いとは、支配することでも領域を奪い返すことでもない。それは、神に逆らう高ぶった思いを砕き、キリストの福音に服従させる霊的戦いである。真の支配は御言葉によって魂がキリストに従うことにある。支配神学は、地を征服しようとして魂を見失う異端的運動である。


