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密室での祈り

  • thewordforyoujapan
  • 1月17日
  • 読了時間: 13分

2026.1.14 The Word for you

 今日はですね、マタイの福音書の6章の6節、

 密室での祈りを話したいと思います。

 皆さんはこの密室での祈りについては、よく話を聞いていると思うので、ほとんど空で覚えているのではないかと思いますけども、これをどのように読み解くのか説明したいと思います。


あなたが祈るときには、

自分の奥まった部屋に入り、戸を閉めて、

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたを報いてくださいます。


この御言葉の直前で、イエス様はこう言われています。


マタイの福音書の6章の5節。

祈るとき、偽善者たちのようであってはいけません。

彼らは人に見せるために会堂や通りの角に立って祈るのが好きだからです。


 この密室の祈りの教えを、多くの人は神に聞かれるための良い祈り方と、人に見せる宗教的な偽善行為、そういう比較であって、道徳的な教えであると思っている人は多いと思います。

 しかし、この比較、神に聞かれる良い祈り方対、人に見せる宗教的な偽善行為を批判していると思っている人は、このマタイの福音書の6章を理解していません。

 マタイの福音書のこの6章はそういう意味で話していません。イエス様はここで道徳の話をしていません。

 今からこれを読み解いていきたいと思います。

 イエス様はこの6章で祈りの本質の話をされています。

 この6章全体には一つ貫かれている真理があります。

 6章の1節から、人に見せるために人前で善行しないように気をつけていなさい。そうでないと天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。

 そしてイエス様は弟子たちに祈り方を教えていると思われていますが、9節でこう言われます。

「ですから、あなたがたはこう祈りなさい。

天にいます私たちの父よ。御名が聖とされますように。」

 この祈りの本質は、選ばれた者が天の父と子どもの関係に置かれているということを、イエス様は言っています。

 選ばれた者は子どもとしての位置に置かれている。子どもとして神のものとされているということを、イエス様はこの6章で一貫して言っています。

 ここに着目して気づく人はほとんどいません。しかし、今日の解き明かしを終わった後、マタイの6章を読むときに、あなたの目は今まで見たことのない事実に釘付けになって、そしてあなたの心は違う次元の御言葉の真理を見ます。

 それは人間中心的な見方によるこの6章ではなく、神の主権の中で見るこの6章になります。

 天の父に子どもとして選ばれて定められている人に、イエス様が言っています。

 それを土台として子どもの祈り、そして父なる神の供給が存在します。

 6章で、もしあなたがちゃんと今日の御言葉を聞いて感動するのであれば、6章でまずイエス様が天の父を何回言われたのか、イエス様がその中で天の父の対象として、あなた、あなたがたを何回言われたのか、

そして「あなたの父」「あなたがたの父」とイエス様が何回言っているのか、それを数えるとよいと思います。

 今、私から答えを言いますけれども、

「天の父」をイエス様は12回言います。

そして「あなた」、その代表としての「あなた」「あなたがた」を17回。

そして「あなたの父」「あなたがたの父」を10回。

 ですから父を合わせて、この6章の中で22回言います。

 そしてその対象としてのあなたがた、あなたを17回。

 父と子どもの関係が描かれている言葉が39回出てきます。この短い章の中で。

 このことは、イエス様が語られた6章のすべてが、父と子どもの関係にあって成立しているということです。

祈りは誰にしているのか。そこがポイントになります。

 だからイエス様はこのように言っています。6章の8節で、

「ですから彼らと同じようにしてはいけません。」

彼らというのは、子どもたちではない人たちです。

あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられる。

ですからあなたがたはこう祈りなさい。天にいます私たちの父よ。

 この点を、この父子の関係の前提において、イエス様は祈りを命令しているということを理解していないあなたは、実はこの密室の祈りの教えさえ分かっていない。

 それだけではなくて、マタイの6章全体をまったく正しく理解していないということが分かります。

 ですから今日、初めて、父と子の関係でイエス様が言っているんだということを、あなたに神様が与えてくださるように願います。

 祈りは父なる神と子どもの関係に置かれている者の交わりです。それがこの6章の一貫した教えなんです。他はありません。

 祈りは父と子の関係にあります。だからイエス様は、祈りはあなたの父に祈りなさい、そういうふうに言っています。

 この命令は、すでに信仰者が神を天のお父様と呼ぶことが許されている関係を前提としています。

そういう意味です。祈りは神と父との関係がある者に与えられていると、イエス様はここで何回も言っています。

 父なる神を父と呼べるのは誰ですか。

 神を父と呼べるのは、その家の者だけです。その家の人でない人は呼ぶことができません。

 ですから、あなたの父は神ですか。

 神はあなたの父ですか。

 アバ父よ、あなたは神の父ですか。

 神はあなたのお父様ですか。

ここが重要になります。

 したがって、祈りは神の子どもに与えられていると言います。

 そしてイエス様は、神がご自身の子どもを絶えずケアしておられるという現実の宣言として、この6章を語っています。

 実に祈りは父子の交わりそのものです。

 密室での祈りを、行いや方法や儀式として行う人たちが多くいます。密室で祈ることが大事だ。それはさっき言った偽善行為を捉えて言っています。そしてその偽善行為の本質を取り違えています。

 行いや方法や儀式という行い、そのように教える人たち、それは祈りではない。密室の意味が違います。

 そのような偽善的な祈りという意味は何かと言ったら、祈りという名前の通信道具に置き換えています。

「密室に行けば祈りが聞かれる」という、すり替えをします。

 そこには親子関係はありません。道具ですから。

 恵み、この交わりを道具に置き換えています。方法に置き換えています。儀式に置き換えています。

 ですからあなたは、どこか密室を探してそこに行って祈ったら聞かれるというふうに勝手に思い込んでいます。それは勝手気ままな礼拝、すなわちイエス様が教えていないことを自分の肉で行っているんですね。

 彼らは、そのような人は、イエス様がここで言っている、通りに出て祈る者たちです。彼らは演技をする宗教家です。

 演技をする宗教家。彼らの祈りは自己欺瞞で、その心は神の前に立つことはありません。 

 彼らは自分の心の中の街角に立って、その祈りの演技を自分自身に見せています。

 あなたが心の街角に立って、その祈りを自分に見せている。神はそれを見ていない。

 偽善者とは、祈りを行い・方法・儀式にすり替える人々。彼らは自己欺瞞の宗教家です。

 父の命によって再生されていない人々が、天のお父様、そのように呼ぶことに違和感を感じます。

父でない方を父と呼ぶ違和感。

 自分の行っている穢れた状態、自分の心が偶像を追い求め、自分の心が一切、腐っていないと言いながら、天のお父様と祈る。

 ここに違和感が必ずあります。そしてその違和感を演技と呼びます。それは偽りの祈りです。

 天の父はそのような人たちの父ではありません。

 彼らの本質は祈りという道具に置き換えているだけです。

 それは、自らの偶像を父なる神と呼び、偶像礼拝をしている。なぜなら、彼らが呼んでいる父を、彼らは知りません。

 そして彼らの心の中で偶像化した神を置いて、その偶像に対して父なる神と呼んで祈っている。

 それは偶像礼拝です。分かりますか。

 新しく生まれていない者が、ゲームを追いかけ、自分の好き勝手なことをし、そして教会に来て天のお父様と言う。

 この違和感は、彼らは父を知らずに天のお父様と呼ぶことにあります。それは彼らが作り上げた偶像となる神であって、それは真の神ではありません。

 彼らはには、初めから、父・子・聖霊の等しい交わりの招きなど、最初から存在していません。

 なぜなら、救いはキリストにあっての選びと結合の結果であって、祈りはその救いの結果として与えられる交わりだからです。

 ですから真の祈り、真の結合にある者は、必ず生まれ変わって、神の照明を受け、そして自分が芯まで腐りきっているということを認め、この全知全能の神に助けを求め、そして叫ぶ者たちです。


 問題の核心は、密室での祈りを具体的な手順や、また訓練のプログラムだとか、メソッドとして教える人たちがいますが、それはすり替えが行われているだけです。

 それはすり替えです。父子の関係をすり替えて、方法に置き換えるという。そして、それは神が命じていない。

 イエス様が命じているのは、選ばれた者に「あなたの父に祈りなさい」ということです。

 それを方法や手段や訓練に置き換える人たちは、神が命じていない人間の勝手気ままな礼拝に置き換えています。

 神が示している祈りは、新しく生まれた者にしか与えられない新しい関係の結果です。再生の実が祈りです。

 すなわち祈りは、キリストとの結合の中で現れる結果で、あなたが苦しみの中を通るとき、特に通るとき、

あなたは聖霊によってうめきとして祈りを与えられます。

 あなたがもう一秒も耐えられない苦しみの中を通っているときに、あなたは心の内で誰に向かって助けてと言いますか。

 ここです。

 それを方法として密室に行って「天のお父様」とやったときに、あなたはもうすでにすり替えています。

 あなたがもう耐えられないというところに来たときに、あなたの祈りは真の神に向きます。そして呻きます。心の底から。聖霊があなたの内でうめかれる。それは祈りとして現れてくる。

祈りは神を動かす手段ではありません。

神とつながる通信装置ではありません。

信仰を維持する技術、祈ったからあなたの信仰が強くなるという方法ではありません。

祈りは信仰と同様に、人間の内側から生み出されてくる能力ではありません。


神が、満たされるために、

神が、語られるために、

神ご自身の、御業を表されるために、

神が、再生された者に与えられた空の器、

それが祈りです。

 密室での祈りの教えが示す本質は、人間中心的な思想、自分で、方法で、手段で、それを方法や技術や行為として受け取る。行為の義務として受け取る。これがダメだよということを教えてくださっているんです、イエス様は。

 それは人間中心主義的な考え方であって、あなたはそれから遠ざからなければならないということです。

 イエス様の祈りは父と子の関係。だから、イエス様が話されているこの6章全体のシーンは、密室で祈るから神とつながるのではない。神とすでに結ばれている者のみが、祈りの空間に置かれるということです。

 これが分からないとダメです。

 密室であなたが祈るから祈りになるというのは、方法であって、手段であって、技術であって、何でもなく、それは祈りではなく、パリサイ人が街角で行っている演技です。

 あなたは、それを祈りだと思うのであれば、あなたは父子の関係が成立しているか、自分が吟味しなくてはいけません。

 もし、あなたが演技で行っている、それがあなたの心の中に浮かぶのであれば、あなたは悔い改めて神に助けを求める、そういう立場にいるということです。

 神と結ばれている者のみが祈りの空間に置かれる。その空間が密室の意味です。

 神が言われる、イエス様が言われる密室というのは、神が与える密室。

 それは、その密室の本質は、父と子の交わりの空間。三位一体の神との交わりの領域に神が置かれるということであって、どこかトイレの中とか、いろんな小さな部屋とか、そんなところに入って祈る技ではない。

神を冒涜してはいけないということです。

 三位一体の神の交わりの領域に、あなたが再生されたとき、すでに置かれている。あなたはいつでもどこでもこの領域にいることができる。それはあなたが苦しみの中で、一秒も耐えられない苦しみの中で、イエス様、父よと叫ぶときに、そこに三位一体の神との交わりの領域、あなたは密室の本質に置かれているということです。

 まとめて言います。

 人を中心に置いた教えというのは、密室というただの部屋を方法や手順や儀式に変えます。

 そして祈り方を、未信者や子ども、また信者にも教えながら、それを祈りをどれだけ長く祈ったか、どれだけ毎日祈っているかという信仰の測定基準に変えていきます。

 これで分かります。あなたの祈りが父子の関係にあるのか、それともパリサイ人の街角に立っているか。

 今あなたがパリサイ人の街角に立っているのであれば、悔い改めてください。大きな間違いをしています。

 父子の関係にあなたがまず置かれなければならないということです。

 そしてあなたは誰に祈っているかが重要です。

 どこで祈っているかではありません。誰に祈っているのかです。

 あなたがどこで祈っているかが重要であれば、あなたは大きな間違いをしている。

 誰に祈っているのか。天のお父様、本当の父である神があなたの神であり、この方に祈っているということが、三位一体の神の祈りの領域にいる、すなわち密室にいるということを、イエス様はこの6章で言っています。

 これらすべては、祈りを賜物から道具へ変えないように、父子の関係から方法に変えないようにする警告です。イエス様の。

 そのような領域から離れて、神の領域から離れて、人が方法に変えている、そういう地のものに行ってはいけないということです。

 それは神の子としての特権がない人々の、勝手な宗教儀式。勝手気ままな宗教儀式です。

最後に、パウロはこう語っています。

エペソ書1章5節。

神は、御心の良しとするところに従って、

私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。


 愛をもってあらかじめ定めていた。

 キリストとの結合によって選ばれた者は、神の子にされるように定められていた。

 祈りは、父なる神がキリストとの結合によって愛をもって子とするように定め、時の流れの中で現れた子どもたちに、父子の交わりの贈り物を与えているという、聖書の真理です。

 あなたが今日、自分が本当に選ばれていて、そしてあなたがキリストと結合していて、この永遠の救い、あなたの選びを持っているのであれば、決してこの人間中心的な「密室に入れば神が聞く」という、人間が作った方法や手段に目を止めてはいけません。

 あなたは神との関係が、神が与えてくださっていること、ここに目を向ける。それは天にあるものに目を向けなさい。それはイエス・キリストとの結合に目を向けなさい。 

 永遠の時の始まる前から、エペソ書はそこに戻っています。

 あらかじめご自分の子にしようと、愛をもって御心の良しとするところに従って。

 それが神の喜びです。それが神の愛です。それが神の楽しみです。

 神の楽しみは、あなたと交わることです。

 それはあなたと祈りによって交わる。

 なんと素晴らしい神の子の特権でしょうか。

 神の子として命を分けた人々はこの特権を持っています。

 神と、父なる神との交わりの中に参与する。

 父・子・聖霊の交わりに参画する、素晴らしい贈り物です。

 ですからあなたが苦しいとき、悲しいとき、人に裏切られたとき、あなたの心は父なる神を「お父さん」と呼んでいくんです。騙されてはいけないです。行為ではありません。

あなたの心をもって神の前に進み出てください。

お祈りします。

 愛する天のお父様、あなたは御心の良しとするところに従って、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めてくださいました。

 この愛に、この子どもとして交わりに定めてくださったことを、主よ感謝します。この真理をもって、私たちはあなたの前に進み出ます。

 私たちがもう一秒も耐えられない苦しみの中において、主よ、それさえもあなたが私たちに与えられ、親しい交わりをあなたが私たちと持ってくださるようにと導いてくださっています。

 主よ、この真理から私たちが目を離すことがないように守ってください。導いてください。

愛するイエス・キリストの御名を通して、感謝してお祈りします。アーメン。


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