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万が一 失敗して罪をしてしまったら~罪の告白~
信仰者は完全ではありません。罪との戦いは続きます。しかし、そのとき信仰者が向かう先は決まっています。父なる神のもとです。


ヘブル書講話:未完成から完成へ — 試練の中でのキリストの証明
この書は「未完成が完成になっていく」という、その完成に向けて信仰者が成長していく姿を強く語っています。


アダムにおける分離とキリストにおける結合
「なぜ神はアダムが罪を犯すのを止めなかったのか?」「神は無力だったのか?」


アダムにおける分離とキリストにおける結合
アダムにおける分離とキリストにおける結合


「聖化とは何か―結合に基づく神の主権と全存在(体を含む)の聖別」
「信仰は新しく生まれた結果であって、決して信仰によって新しく生まれるのではない」という真理は、福音の中心を貫く極めて純粋な福音の理解です。この真理にたち、神の御業と信仰者の生き方との関係について「聖化(主の似姿に変えられる)」を講解します。


何から逃げるのか2- 1ペテロ5章8節「悪魔と罪の心の関係」
キリストと結ばれた者の勝利
サタンの働きは、社会や文化の見えない流れを通して起こります。彼のねらいは人の中の罪の性質であり、目的は信仰を壊すことです。
しかし――キリストと結ばれた人は、永遠の契約によって完全に守られています。その魂の中心は神のもの。聖霊が内に住み、サタンは外から火を投げても燃え上がることはできません。
「罪はあなたを支配しない。あなたは律法の下ではなく、恵みの下にいる。」(ローマ6:14)
「あなたがたのうちにおられる方は、世にいる者よりも偉大です。」(1ヨハネ4:4)
信徒は、サタンの吠え声を恐れる必要はありません。彼は吠えることはできても、かみつくことはできません。ただし、エペソ4:27の警告を忘れてはなりません。
「悪魔に機会を与えてはいけません。」
私たちは、すべてのことが神の主権の御手の中にあることを覚え、キリストの勝利のもとに歩む者として、常に上にあるものに心を向けていなければなりません。(コロサイ3:1)
それは、信仰の大盾となります。(エペソ6:16)


自由ってなに?-罪人と神
私たちがよく言う「自由」とは、「自分で選べること」、自分で決めることだと思っていませんか?
たとえば、今日のお昼ご飯を選んだとき、「カレーにしようか、ラーメンにしようか」と考えて、自分で決めたとします。
普通、「私は自由に選んだ」と思います。ラーメンやカレーは自分の体の欲求によって選ばれています。
でも、聖書が教える人間の自由はもっと深く、重要な問題があると教えています。それは、私たちが「自由に選んだ」と思っているその選択は、実は心の中の「欲望」よって決まっているからです。


「私は絶えず罪人であり、義人である」
―― 私はいつも芯の芯まで腐っている。けれども、神は御前において私を完全に義と宣言される。この確信を与えてくださる神に栄光を捧げます。この逆説の恵みに、私はただ畏れ慄くばかりである。―
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