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何から逃げるのか2- 1ペテロ5章8節「悪魔と罪の心の関係」

  • thewordforyoujapan
  • 10月25日
  • 読了時間: 7分

何から逃げるのか2 ― 1ペテロ5章8節

2025.10.22 The Word for you

 

何から逃げるのか ― 1ペテロ5章8節 No.2


罪と死の法則

命の御霊の法則

出所

アダム

キリスト

支配者

罪とサタン

父 子 聖霊

結果

死(分離と滅び)

命(結合と義)

構造

「肉の性質」に働く

「キリストとの結合」に働く

終着点

永遠の死

永遠の命

 

1. 目の欲、肉の欲を通して働く、この世の文化と記憶の誘惑 ―

(ローマ7:23/コロサイ3:1–2/1ヨハネ2:16/創世記3章/エペソ2:2)

 

1)     選ばれた者の現実と誘惑の再来

暴言や嫌がらせを言いわれ続けてきた信仰者がいました。神はその信仰者に人を赦す心を与えてくださった。信仰者はもはや罪の支配の中ではなく、御霊の支配の中に生きている。しかし、時に暴言や行為が信仰者の記憶の中でフラッシュバックする。また、あるときには過去に見た光景――罪の快楽や欲望の映像――が思い起こされる。これらは、罪の性質と記憶に刻まれた“この世の空気の流れ”が共鳴することで起こる誘惑である。

 

2)     サタンの戦略:記憶を媒体 伝える道具とする「残骸的誘惑」

ジョン・マレーはこう述べた。

“The law of sin operates through memory, desire, and inclination;yet grace restrains its dominion.”

(罪の法則は記憶・欲望・傾向を通して働くが、恵みがその支配を抑制している。)

— Collected Writings, Vol. 2つまり、罪の法則は単に「今の刺激」によってではなく、**「記憶された過去の刺激」**を通しても再び活動する。

 

この「罪の残骸」は、サタンによって再利用される。スプロールが言うように――

“Satan cannot create new temptations;he reanimates the old ones buried in memory.”

(サタンは新しい誘惑を創り出すことはできない。彼は記憶に埋もれた古い誘惑を再び甦らせるのだ。)

— R.C. Sproul, The Invisible War (Ephesians 6 Exposition)

 

 3) 事例「自己義 自分は正しい」と「目の欲」― 

 ① 自己義 自分は正しい(心の高ぶり)

  カルヴァンは言う。

 “This false righteousness is the mother of pride and hatred.”

(偽りの義こそ高ぶりと憎しみの母である。)

— Institutes III.12.6

 サタンは信者に「あなたは正しい」と思わせる。それはあなたが生きてきた価値観、文化、思想に働くサタンの要塞にある。そして、他者の罪を思い出させることで、正義感に似た敵意を呼び覚ます。

これは「霊的な誘惑」の最も巧妙な形である。

 

 ② 目の欲(感覚の高ぶり)

 ヨハネはこう言う。

「この世にあるものは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの誇りである」(1ヨハネ2:16)。

マッカーサーはこの箇所を次のように解釈する。

“The lust of the eyes is not just visual pleasure;it is the coveting heart that stores images to sin again later.”

(目の欲とは単なる視覚的快楽ではなく、罪を後で再現するために映像を蓄積する貪りの心である。)

— John MacArthur, Worldliness: A Biblical Response

  つまり、過去に見たもの――ポルノ、ゲーム、いかり、オカルト、この世の冨、成功――の映像が記憶に残り、再び思い出されるとき、それが再度「欲望の再燃装置」として働く。罪は「欲望を思い出す力(memory of delight)」を使って人を誘惑する。

 

4)  文化・価値体系・思考、偽の宗教、哲学、心理学などの学問の流れと罪の再活性化

 スプロールは、エペソ2:2「空中の権を持つ者」についてこう説明する。

“The ‘air’ represents the spirit of the age—the collective mindset,values, and desires of a fallen world.”

(“空気”とは時代精神、堕落した世界の集合的思考・価値・欲望のことだ。)

— The Invisible War

  つまり、文化・価値体系・思考、偽の宗教、哲学、心理学そのものが「空中の権威」の伝達媒体である。

私たちが日々触れている思想、情報・映像・娯楽・教育などは、無意識に**肉の性質(self and desire)**を刺激し、心に記憶として蓄積される。そしてその「記憶の堆積物」が後で記憶の中で映像されるとき、

サタンはそれを“再起動”させ、「かつての快楽・怒り・うらやみ・報復感情」を呼び覚ます。これはまさに「罪の法則が記憶を通して再び作動する」瞬間である。

 

5) (例)記憶の二つのルートで働く罪

誘惑のルート      罪の形   発動の仕方

①自己義のルート        心の高ぶり(霊的プライド)、相手の罪を思い出し、「私は正しい」と感じる。サタンが義憤を利用する。

②目の欲のルート        感覚的快楽(肉の欲望) 過去の映像・経験・刺激を思い出し、「もう一度感じたい」と思わせる。

 

両者に共通するのは、「過去の記憶」がサタンの再利用素材になっている点である。

それは「文化」「価値観」「思想」偽の宗教、娯楽という“この世の空気”の中に漂い、

常に再活性化される準備ができている。

 

6)  罪と死の法則 vs. 御霊の支配

 カルヴァンはローマ7章をこう注解した。

“The law of sin does not rule, but it makes war against the law of the Spirit.”

(罪の法則は支配してはいないが、御霊の律法に戦いを挑む。)

— Commentary on Romans 7:23

  罪の法則は「支配」ではなく「妨害」として存在する。それは「牙を抜かれた獅子」のように吠え立てるが、信者を飲み込むことはできない(1ペテロ5:8)。

 

 御霊の支配は、信者を「記憶の再燃」からも守る。サタンの誘惑は、外的には文化・価値体系、思想を通し、内的には記憶と欲望の層を通して働く。

 罪の性質は、自己義と目の欲、肉の欲、この世の暮らし向きなどから心を揺さぶり、過去の記憶を再び燃やして罪と死の法則を動かそうとする。思想、文化、価値観そのものが「空中の権威」の伝達媒体であり、サタンは私たちが日々触れている思想、情報・映像・娯楽、美意識・社会的事象などにより、継続的に、密接に、無意識に私たちの肉の性質(self and desire)を刺激し、心に記憶として蓄積する。

人間的な方法や行いでこのようなサタンの誘惑と罪の性質に対して対処する方法はない。

2. 再生と聖霊の封印 ― 永遠の結合の現れ

 ヤコブ1章18節はこう言います。

「神はご自分の意思によって、真理のことばをもって私たちを生まれさせてくださいました。」

 

 再生とは、永遠の結合が時間の中に現れる瞬間です。神が選びのうちに結ばれた者を、実際にキリストとの結合の中に引き入れる時、聖霊がその魂に住まわれます。「あなたがたも真理のことば、救いの福音を聞き、それを信じたことにより、約束の聖霊によって証印(しるし)を押されました。」(エペソ1:13–14)

 

この「証印」とは、所有の保証であり、サタンの介入を完全に閉ざす封印です。

この時からサタンの働きは、外側の誘惑に限定され、魂の中心には決して触れられない。


 

3. 三人の教師の証言

カルヴァン

「サタンは外から誘惑を仕掛けるが、罪は私たちのうちに根づいている。彼は火をつけるが、薪は私たちの心にある。」(『キリスト教綱要』II.4.2)

カルヴァンは、罪の責任を人自身の内に置きます。悪魔を責めることは、肉を弁護することになるからです。

 

ジョン・マレー

「誘惑は外から来るが、欲望の反応は内から起こる。」(『Collected Writings』第2巻)

マレーは、信徒の戦いの場を「外の悪の流れと内なる堕落の交差点」と定義しました。また、「キリストとの結合は天地創造の前の選びに根ざす。再生前であっても、選ばれた者はキリストの仲保の支配の外にはいない。」と述べています。

 

R.C.スプロール

「サタンは神の鎖につながれている犬のようなものだ。神がその鎖を伸ばさないかぎり、一歩も動けない。」(『The Holiness of God』)

また、「悪魔を責めることは、自分の肉を弁護することだ。」(『Essential Truths』第44章)

 

三者は共に、

サタンの力を過大評価することなく、罪の責任を人間の内に見つめさせ、信徒をキリストとの結合に立ち返らせています。

 

4. まとめ ― キリストと結ばれた者の勝利

  サタンの働きは、社会や文化の見えない流れを通して起こります。彼のねらいは人の中の罪の性質であり、目的は信仰を壊すことです。

  しかし――キリストと結ばれた人は、永遠の契約によって完全に守られています。その魂の中心は神のもの。聖霊が内に住み、サタンは外から火を投げても燃え上がることはできません。

 

「罪はあなたを支配しない。あなたは律法の下ではなく、恵みの下にいる。」(ローマ6:14)

「あなたがたのうちにおられる方は、世にいる者よりも偉大です。」(1ヨハネ4:4)

 

 信徒は、サタンの吠え声を恐れる必要はありません。彼は吠えることはできても、かみつくことはできません。ただし、エペソ4:27の警告を忘れてはなりません。

「悪魔に機会を与えてはいけません。」

 私たちは、すべてのことが神の主権の御手の中にあることを覚え、キリストの勝利のもとに歩む者として、常に上にあるものに心を向けていなければなりません。(コロサイ3:1)

それは、信仰の大盾となります。(エペソ6:16)信仰の怠慢や罪の放置は、サタンが外から誘惑する機会を生じさせますが、それでもキリストとの結合の中にある者の魂は、決して倒れることはありません。

 

「神の平和の神は、まもなくサタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。」(ローマ16:20)

 

これは、信者の戦いではなく、キリストの勝利が信者に現れるという約束です。

 

サタン、悪霊は選ばれた者の中に入ることは出来ない。サタン、悪霊の働きは外側に限られ、肉を刺激するにすぎない。選ばれた者は、永遠の契約により再生前から守られている。聖霊の証印は契約であり、サタンはその契約の前に無力、つまり無力化されている。神に選ばれたものは、神が信仰を与えその信仰に神が堅く立たせてくださり、主の勝利にあずかる者にしてくださいます。

 

「だれも、わたしの手から彼らを奪い取ることはできません。」(ヨハネ10:28)

 

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