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病、災害、死に対する神の主権 ヨブ記(ショート)
病 、災害、死に対する神の主権がどのようなものであるかを聖書から理解して行きましょう。
選ばれている人々と選ばれていない人々、それぞれに病、災害、死の意味は大きく変わります。このことを最初に心において忘れないようにしてください。
1. 神の主権を認めない考え方の主張
「病気は罪の結果である。だから悔い改めれば癒される。」
この誤った教えはしばしば「因果応報の教え(retribution theology)」と言われます。この教えは旧約のヨブ記の友人たちが代表として聖書の中に現れます。
ヨブ記の中で、ヨブの友人たち(エリファズ・ビルダデ・ツォファル)が「ヨブの苦しみは罪の罰」だと主張して責める場面がいくつもあります。


十字架の御業と本当の救い
「十字架の御業」、また「あがない」は救いにおける中心教義です。
これをわかっていないということは、その人は救われていないのか?
ここについて少し話したいと思います。
救いというのは、どのように私たちに来るのか?
聖書をしっかりと見つめて考えていくと、聖書はこのように言っています。
救いにおける一番重要な部分、それは「選び」です。
そして選びに基づいて何が行われているかというと、イエス・キリストとの結合の中において選びが行われているのです。
この選びの現れは、神の御指によって行われています。
決して私たちの意思によるものではありません。
また、決して私たちの知識によるものでもないということを理解する必要があります。


律法による義、信仰による義-律法主義、霊的戦い神学、福音の三要素はなぜ十字架の御業を冒涜するのか
信仰による義がもたらす結果
ローマ10:1-11はキリストとの結合を源泉とする救いの実際的な適用を説明している。信仰から来る告白は義認の条件と言うより、むしろ、救われた結果の信仰が外的・継続的にその人に現れると言う聖化そのものである。
・ローマ10章の中核
救いの土台はすでに成し遂げられたキリストの御業
人は自分の努力で天に登ったり、死の陰府からキリストを引き上げたりすることはできない(10:6–7)。 これは「律法による義」の不可能性を示す。
すべてはすでに キリストの受肉・死・復活という完成された福音 による。
信仰による義は、人間の行為ではなく、神の恵みの絶対的主導。
信仰と告白は聖霊によって与えられた心の動機のあふれ
「心で信じて義と認められ、口で告白して救われる」(10:9–10)。
スプロールはこれを「救いを獲得する条件」とは理解しない。
むしろ、神が新しい心を与えたときに必ず現れる内的動機の外的表現。
したいこと=志しとしての告白であり、律法主義的な「しなければならない」ではない。


キリストとの結合の教義は信仰者を異端から守る
【1】永遠の選び vs. 人間の決心
― すでに「キリストのうちに」置かれている者たち
(事例) 霊的戦いは、救いは地域を支配する悪霊との戦い「あなたの決断」や「断ち切りの祈り」が呪いや支配を破る鍵だと主張
「神から与えられる信仰を通して恵みによる救い」をすり替え
「人間の宗教軍事的な思想に基づく行為と意志に依存させる決断主義的異端」
しかし、聖書は語る:「神は世界の基が据えられる前から、キリストにあって私たちを選ばれた」(エペソ1:4)
この選びとは、私たちが神を選ぶのではなく、神が私たちを永遠のキリストに結合されており、その永遠の結合に選ばれたという主権的恵み
➡ この私たちの救いの完成はこの全知全能の神の主権の名誉と栄光にあります
したがって、守りも断ち切りも、すでにキリストのうちにある私たちに与えられている。
(事例)霊的戦いにおけるテーマ 「日本の救い」
霊的戦いでは「日本国家、民族の救い」を勝ち取ると言う考えにより、愛国思想と結びつく
<事例 霊的戦いの思想 > 神の主権、キリストとの結合は存在しない


表面的な言葉に騙されない
表面的には「信仰義認」「恵みによる救い」「聖霊の導き」などの福音的言語を用いながら、実際には決断主義・経験主義・自己吟味主義が混入している典型的な事例を挙げ、その欺瞞構造を明らかにします。
このような話は現代の多くの教会でそれが本当だと思って話されています。目を覚ましていてくだい。


日本における決断主義的伝道の歴史
世界的な流れと日本におけるキリスト教の歴史をみると明治時代から現代まで日本で伝道された福音は人間の自由意志とその選択により救われると言う決断主義の福音でした。SNSがない時代においては神の主権による福音を聞くことは極めて稀なことだったと言わざるを得ません。
神は語る者を再び立てる。神は今も生きておられ、御心にかなう者を必ず立てられます。
その者は、
人の承認を第一とせず、
制度に逆らうのではなく、
制度を福音のために改革し、
十字架と義認の真理を、何者をも恐れずに語ります。
「ただ主の召命と御言葉によって語る者」
それはRCスプロールやジョン・マッカーサーのように、福音の純粋性に生きた者たちです。
あなたは今、何をなすべきでしょうか?
語る召命を受けたなら、沈黙してはいけません。
教会の制度に仕えるなら、語る者を見分け、正しく立てなさい。
教会に属する信徒なら、語る者を支え、聖書の制度回復のために祈りなさい。


教会に地上支配の権限は与えられていない
支配神学が聖書によって明確に否定される証明ヨハネ18:36「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしがユダヤ人たちに渡されないように、わたしのしもべたちが戦ったことでしょう。しかし、わたしの国はこの世のものではありません。」主イエスご自身が語られた決定的宣言である。
地上的支配(政治、軍事、国家、制度)とは無縁であることをはっきりと告げておられる。キリストの国は、御言葉と福音によって支配される霊的な国であり、地上の統治権を信者や教会に委ねたとは一言も語っていない。
戦いとは、支配することでも領域を奪い返すことでもない。それは、神に逆らう高ぶった思いを砕き、キリストの福音に服従させる霊的戦いである。真の支配は御言葉によって魂がキリストに従うことにある。支配神学は、地を征服しようとして魂を見失う異端的運動である。


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