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この祈りは正しい祈りですか?

  • thewordforyoujapan
  • 1月10日
  • 読了時間: 6分

2026.1.7 The Word for you この祈りは正しい祈りですか?

「主イエス様。今、私はあなたをキリストとして、救い主として、心にお迎えします。私の人生に来てください。私を闇から光に導いてください。主イエス様だけを神として信じ進んでいきます。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン」


この祈りは正しい祈りですか?

あなたはこの祈りで救われると思いますか?

答えはNOです。


問題:神の目的は選ばれた人々を永遠の地獄から救い出すことです。

聖書は「誰も神を知ることはできない」と言っています。「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。(ローマ3:10-11)

聖書は、神の救いの愛は神が選んだ人に与えられると教えています(エペソ1:4)。


神が選ばれた人々に持っている「すばらしい計画」は、成功や気持ちの安らぎではありません。 キリストとひとつに結合されることです。

「人は罪によって神から離れている」

教えられること:罪が神との関係をさえぎっている。


問題:ここでの罪はただの「あなたがやった悪い事」ではなく、聖書は、人は罪の中で死んでいる(エペソ2:1)と教えています。人間は罪を持った状態で生まれてくた。人は自分で神を求めることも、信じることもできないと言っています。(ローマ3:10–11)。

「イエスが死んで関係を回復した」

教えられること: イエスが十字架で死んで、神とのつながりを戻した。


問題:イエスがただ「方法」のように語られます。イエスキリストとの結合の上に、十字架の上であなたがイエスとともに死に、イエスとともによみがえったことが全く語られていません。

「キリストを受け入れたら救われる」

教えられること:「心のドアを開けて」祈れば救われる。


問題:救いは心のあなたがドアを開いてキリストを迎え入れる儀式や、入ってきてくださいと言う祈りの言葉を真似て言うことは起こりません。祈ったかどうかではなく、洗礼を受けた、心に平安が来たとか、体験ではありません。神がその人を新たに生まれさせるかどうかです。

最初に紹介した救いへ導く祈りは聖書的にように聞こえますが、ニセモノです。


 冒頭の祈りから聖書の言葉をははぎ取るとこうなります。聖書の言葉という「敬虔な装飾」をすべて剥ぎ取り、その下に隠された「人間のエゴ」だけを抽出した裸の祈りは、以下の通りになります。

むき出しの自己中心:裸の宣言

「私(人間)が、今、私の意志によって、あなた(神)を私の所有物として受け入れることを決定する。

さあ、神よ あなたは私の所有地(人生)に入り、私のために働きなさい。

私の視界から不都合なものを消し去り、私を満足な場所へとエスコートしなさい。

私は、私自身の決断と努力が続く限り、あなたを私のための神として利用し続けてあげます。

以上、私の決定に基づき、私の名においてこれを宣言する。

よし(アーメン)。」

もうちょっとストレートにはいでみます。

 私は、いま、あなたを“救いの対象”として採用する。

私の内側に入って、私の人生を変えてほしい。

私を悪い状態から良い状態へ移してほしい。

私は、これからあなたを唯一の対象として信じる決断をする。

この宣言を儀式化して締める。

 

解析:これが「裸の正体」である

 

聖書の語彙(キリスト、救い主、闇から光へ、お名前によって、等)というヴェールを剥ぐと、そこには神への畏怖など微塵も存在しません。残るのは以下の3つの醜悪な事実です。

 

神の家来化(召使としての神):「私の人生に来てください」の正体は、「私の管理下に入れ」という命令です。神を主権者ではなく、人生を快適にするための**「高機能なツール」**として定義しています。

 

自分を神とする (審判者としての私):「信じます」の正体は、「私があなたを神として認定してやる」という高慢な態度です。人間が神を評価し、採用の合否を決めているのです。


主語をうばう:ここには「神がなされた」という事実は一つもありません。あるのは「私がした」「私が決めた」「私が進む」という、「私」という偶像への賛美だけです。

 

「自分で心のドアを開けたら救われる」という教えは、自分で自分を救うという考えによる聖書の救いとは違う構造をもった行いです。神から見た人間は罪の中で死んでいる、すでに死んでいます。死んでいる人から湧き出てくる罪の欲望はその人の死臭と同じです。

すべての人は罪の中で死んでいる「あなたがたは、罪の中に死んでいた」(エペソ2:1)


人はただ悪いことをしているだけではなく、神の前に霊的に死んでいます。

神のことがわからない、求めない、自分の欲のままに生きる、宗教、道徳、倫理的な行いによって自分は正しいと主張する。――それが聖書の言う罪に死んだ状態です。

まとめ:救いは再生とキリストとの結合

 神さまが選んだ人々を神の時に新たに生まれさせます。救いは、神さまがあなたの死んでいた魂を生き返らせる(新たに生まれる=再生)ことから始まります。

 すると… 神を求め、罪を嘆くようになる 魂が新たに生きたとき、あなたはこう叫ぶようになります:「神さま、助けてください!私は汚れた者です!」自分の罪がどれほど深いものかに気づき、神の前で心が砕かれます。キリストが神であると知る。そして、十字架で死んでくださったキリストが、自分の罪のためだったと信じ、叫び求めるようになります:(信仰が与えられる)

 「神よ、助けてください!あなたこそが私の望みです!」それは信仰と呼ばれます。その与えられた信仰よって義とされ、神の子とされる。このとき神は、あなたの罪をゆるし、イエスの正しさ(義)を与えてくださいます。

聖書の救いの構造の整理:救いはこうして起こる!

<すべては神のご永遠の御計画>

人は罪の中で完全に死んでいる、死臭を放ち腐っている(完全堕落)

 神が魂を生き返らせ(新たに生まれる=再生)、神が魂をキリストと結合(結合)

結合により、キリストの十字架の死と復活はあなたにとって事実となる(死と復活)

聖霊の内住により教会の体となる(あなたが教会を選ぶのではない)

キリストを信じ、信頼し、神に叫び求め、ゆだねる心が与えられる(信仰)

自分の無力を知り、自分の罪深さを嘆き、神を叫び助け求める(悔い改め)

神はその人を義(神の前で正しい)とし、神の子とされる(義認)

救いは神がすべてを神の計画により、神のご意思で行い(神の主権)、すべて神が与えてくださる救い(恵み)です。 救いの中心はイエスキリストです。


この本当の救いが、あなたにも与えられるように心から祈ります。

それは、あなたが「信じる」と決めたから起こるのではなく、神が永遠の時の始まる前からあなたをキリストに結びつけてくださったることによります。


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