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光に照らされる悔い改め
もし、今あなたの心に、「主よ、あわれんでください」
という祈りがあるなら、それは弱さではありません。
それは、イエスの死と命が、聖霊によってあなたの魂に結びつけられている証です。
再生は神のわざ。照明は神の光。悔い改めはその実。信仰は向けられた心の向き。聖化はその心が栄光の前味をもって歩む生涯。
すべて同じ キリストの命 です。 アーメン。


なぜ、信じても苦しみが続くのか?2 すでに/いまだの救い
信仰者は「二つの世界」を生きている
前回(第1回)で学んだように、「上にあるものを思う」とは、努力して天を目指すことではなく、
外からサタンと罪の誘惑、うちにある罪の性質から神の完全な支配へと逃げ込み、とどまる信仰の姿でした。
しかし、その「上にとどまる」信仰生活には、
① 永遠の救いがすでに完成している現実と、
② 今も未完成の中を栄光に向かい生きている現実
① と②とのあいだに、ひとつの緊張があります。
それはすでに救いが完成していながら、
いまだその完成を待っている
と言う信仰者の生き方です。
それが、「すでに」と「いまだ」の間を生きるという現実です。
私たちは「すでに永遠に救われた」けれど、
「いまだ時の流れの中で完成へ進んで行く」。
この二つの現実が信仰の中で常に交差しています。


なぜ信じても苦しみが続くのか?「すでに/いまだ」の救い
私たちがクリスチャンであるのは、神が私たちを救われたからです。しかし、救いとは「罪が赦されること」だけではありません。救いとは、キリストと結ばれることそのものです。ジョン・マレーはこう語ります。
「救いのすべての祝福は、キリストとの結合から流れ出る。結合は恵みの順序の中の一項目ではなく、全体を貫く中心軸である。」
この“結合”があって初めて、選びも現実となり、再生も起こり、そして義認・聖化・栄化も実を結びます。


「代償を量りなさい」ってどういうこと? 福音構造と変わる心
イエスさまの「代償を量りなさい」とは、人間には無理だと悟らせる問いかけ。
本当の信仰とは「自分をあきらめてキリストに頼ること」。
神が聖書と聖霊を通してキリストの栄光を示してくださるとき、心は変わる。(パウロの回心)
そして 結合 → 再生 → 悔い改めと信仰 → 義認 → 聖化 の流れの中で、弟子として従う歩みが実現する。
イエスさまは「あなたのすべてを捨てなさい」と言われます。でも、それは自分の努力ではできません。
だからこそ、神が御言葉でキリストの栄光を見せ、聖霊が心を変え、「無理だったこと」を「従いたい心」へと変えてくださるのです。
「代償を量りなさい」という命令は、私たちを落ち込ませるためではなく、キリストの恵みに満ちた招きへ導く真実の問いかけなのです。


十字架の血により贖われ罪と戦う
キリストはすでに贖いを完全に成し遂げられました。しかし、罪との戦いは今も続いています。それは、神が私たちをきよめ続けておられるしるしです。御霊が日々、戦いの中で私たちを支えてくださっています。
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