光に照らされる悔い改め
- thewordforyoujapan
- 11月8日
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2025.11.5 The Word for you 光に照らされる悔い改め
私たちは、自分の心を変えることはできません。どれだけ反省しても、どれだけ誓っても、心は変わらない。
しかし――神は心を創造される方です。死んでいた心に、命を吹き込む方です。
そのとき、
罪は罪として見え、
イエスの十字架が自分のためだと分かり、
キリストの命が魂に触れます。
その実が、「悔い改め」です。
― イエスの死と命が、聖霊によって魂に結びつけられる ―
マタイ3章で、バプテスマのヨハネは言いました。
「悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」(マタイ3:8)
1. 再生 ― 神だけが行う、一瞬の新しい心の創造
使徒11:18
「神は、命に至る悔い改めをお与えになった。」
再生(新生)は、
神のみの働き
不可逆 (戻ることはありません)
一瞬
死んでいた心に神が命を吹き込む。それが再生です。罪が罪として見えるのは、再生がすでに起きている証拠 です。
2. 照明 ― 聖霊が心に光を当てる
新しい心は与えられた。しかし光がなければ見えません。
そこで聖霊が照らします。
神の聖さが見える
罪が罪として見える
キリストが必要な方として見える
照明があるから、悔い改めが生まれます。
3. 悔い改め ― イエスの死と命が、聖霊によって魂に結びつけられること
第二コリント4:10
「イエスの死を身に帯びる…それはイエスの命が現れるため。」
悔い改めとは、
イエスの十字架の死と復活の命が、聖霊によって魂に結びつけられること。
罪の痛み
神への渇き
キリストを求める願い
これらはすべて 神の命の働き です。
4. 信仰 ― キリストへと向けられた心の向き
信仰は「自分でつかむ決断」ではありません。
信仰とは、神が心をキリストへ向けられた状態です。
悔い改めと信仰は、一つの命の動きです。
5. 聖化 ― 神が心を神へ傾け続け、その心が神を選び続ける生涯
再生は一瞬。しかし 聖化は生涯続きます。
聖化とは、聖霊によって新しくされた心が、神に向かうように傾けられ続けること。
それは、人は神に「協力」しているのではありません。人は「自分から応答」しているのでもありません。
主体は常に神。
しかし人は人生の舞台から消えるのではなく、心が新しくされたから、神へ歩むことが自然になるのです。
✦ 一文で核心を言うなら
聖化とは、神が心の向きを変え続け、その向けられた心が、喜び・平安・愛・希望をもって実際に神へと歩む出来事です。
そして、
その喜び・平安・愛・希望は、来るべき栄光の“前味”です。
歩むのは人
向けているのは神
味わっているのは未来の栄光
私たちは賛美しましたね。
Blessed Assurance
♪ Oh, what a foretaste of glory divine ♪
なんと素晴らしい、
来るべき栄光の前味でしょう。
クリスチャンとは、
この前味を味わいながら歩む者なのです。
6. 戒めは、光へ連れ戻す愛である
「悔い改めは神がするから、私は言わない」 ——それは愛ではない。
「互いに戒め合いなさい。」(コロサイ3:16)
「罪を犯したら指摘しなさい。」(マタイ18:15)
戒めは人を光の前に連れていく愛。 悔い改めは光の中で神が生むいのち。
まとめ
もし、今あなたの心に、「主よ、あわれんでください」
という祈りがあるなら、それは弱さではありません。
それは、イエスの死と命が、聖霊によって
あなたの魂に結びつけられている証です。
再生は神のわざ。照明は神の光。悔い改めはその実。信仰は向けられた心の向き。聖化はその心が栄光の前味をもって歩む生涯。
すべて同じ キリストの命 です。 アーメン。
