十字架の血により贖われ罪と戦う
- thewordforyoujapan
- 6月27日
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更新日:8月11日
2025.6.17_The Word foy you 十字架の血により贖われ罪と戦う
あなたは贖われた。でも、戦いは続いている
聖書:1ペテロ1:18–19 / ローマ6–8章
1 はじめに:船を作った少年の話
ある少年が、手作りの木の船を作りました。心を込めて仕上げたその船は、彼の宝物でした。ある日、その船を川に浮かべて遊んでいたとき、強い流れに流され、船は見えなくなってしまいました。
数日後、町のおもちゃ屋のウィンドウに、自分の作ったその船が並べられているのを見つけました。少年は店に入り、「これは僕の船だ」と言いましたが、店主は「買いたければ代金を払いなさい」と答えました。
少年は家に帰り、お金をかき集めて再び店に行き、その船を買い戻しました。そして彼はこう言いました。
「君はぼくのものだよ。ぼくが作ったし、買い戻したんだから。」
2 贖いとは何か
ペテロはこう書きました。
「あなたがたは、…金や銀のような朽ちるものによってではなく、傷のない、汚れのない子羊のようなキリストの尊い血によって贖われたのです。」(1ペテロ1:18–19)
神は私たちを造られた方です。でも私たちは、罪によって神から離れました。それでも神は、私たちをあきらめず、イエス・キリストの命という最高の代価を支払って、買い戻してくださいました。これが「贖い」です。
3 贖われたのに、なぜまだ罪に苦しむのか?
それは当然です。
ローマ6章6節にはこう書かれています。
「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされ、もはや罪の奴隷でなくなるためです。」
ここで使われている「滅ぼされ」は、ギリシャ語で「カタルゲオ」。この語は、「完全に無くす」ではなく、効力を奪う・支配力を破るという意味です。
つまり、罪はまだあなたの中に存在します。でも、もはやあなたを支配することは出来ないと言うことです。
罪は今も、あなたの想像力、欲望、肉体を通して誘惑してきます。しかし、あなたはもはやその奴隷ではありません。
4 パウロの叫び:ローマ7章の現実
パウロは、贖われた後でもこう叫びました。
「私は自分のしたい善を行わず、したくない悪を行ってしまう。わたしは、なんと惨めな人間なのでしょう!」(ローマ7:19, 24)
これは未信者の姿ではありません。再生された者が経験する、内なる霊と肉の激しい葛藤の証言です。
5 聖化とは:贖われた者の戦いの道
聖化とは、贖われた者が罪と戦いながら、少しずつキリストに似た者とされていく過程です。
すでに始まっているけれど、まだ完成していない
倒れることもあるけれど、御霊が導き続けてくださる
あなたが罪と戦っているのなら、それこそが再生された者のしるしです。
6 御霊の力の中で生きる(ローマ8章)
「御霊によって体の行いを殺すなら、あなたがたは生きる」(ローマ8:13)
「御霊も同じように、私たちの弱さを助けてくださいます」(ローマ8:26)
自分の力で戦おうとすれば、必ず敗北します。でも、御霊があなたのうちで働いてくださり、罪を憎む心、キリストに従いたいという願いを与えてくださいます。
7 よくある誤解と訂正
「十字架で罪は完全に打ち砕かれたから、もう罪は残っていない」
これはカタルゲオの意味を無視した誤った教えです。ここから、「完全聖化」や「罪を清める第二の祝福」が生まれます。
「聖霊のバプテスマを受ければ、罪に勝てる」
これは十字架の完成性を否定する異端的な思想です。十字架に“足りないもの”があるかのような、福音への侮辱です。
正しい理解はこうです。
キリストはすでに贖いを完全に成し遂げられました。しかし、罪との戦いは今も続いています。それは、神が私たちをきよめ続けておられるしるしです。御霊が日々、戦いの中で私たちを支えてくださっています。
8 信仰は「私が決めた」ことではない
信仰もまた、神の賜物です。「私はイエスを信じた」と言うと、まるで自分の意志と選択で救われたように聞こえてしまいます。 聖書が教えるのは、「神があなたを再生させ、キリストに信頼する信仰を与えてくださった」ということです。
ですから、私たちはこう告白します。「神が私の心を開いてくださり、キリストを信じるようにしてくださいました。」
9 まとめ
・あなたは神に造られた者
・しかし罪により、神から離れていた
・神はあなたを見捨てず、キリストの血で買い戻してくださった
・罪の支配は打ち砕かれた(カタルゲオ)
・しかし罪との戦いは今も続いている(ローマ7章)
・それは聖化の道、御霊による導き(ローマ8章)
・信仰も神の賜物であり、あなたは神によって信じる者とされた

