表面的な言葉に騙されない
- thewordforyoujapan
- 8月5日
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更新日:8月11日
表面的な言葉に騙されない2025.7.18
表面的には「信仰義認」「恵みによる救い」「聖霊の導き」などの福音的言語を用いながら、実際には決断主義・経験主義・自己吟味主義が混入している典型的な事例を挙げ、その欺瞞構造を明らかにします。
このような話は現代の多くの教会でそれが本当だと思って話されています。目を覚ましていてくだい。
【事例①:ある証しの例】
「私は10年前にイエス様を信じて救われました。そのとき、涙が止まらず、全身が震えて、神さまの臨在を体験しました。それ以来、私は聖霊に導かれて歩んできました。でも最近、自分がどれほど主に喜ばれない生き方をしてきたかに気づかされ、もう一度真剣に神さまを求めたいと思っています。やはり、悔い改め続ける者だけが本物の信仰者ですよね。」
〇表面上のキリスト教用語
• 「イエスを信じて救われた」
• 「神の恵み」「聖霊に導かれて」
• 「悔い改め続ける」「主に喜ばれる」
〇神学的欺瞞の実際の内容
1. 決断主義:救いの根拠が「信じた日」「決断した瞬間」に置かれ、「神の選びと再生による救い」が語られていない。
2. 経験主義:涙や震えといった感覚的体験を、救いの証拠として持ち出しており、聖書的根拠ではなく体験の印象に依存している。
3. 自己吟味主義:「自分は十分に主に喜ばれていないのでは」といった不安が信仰の真偽を測る基準となっており、客観的な義認に根差していない。
【事例②:説教の締めくくりによくある表現】
「今、神の御霊があなたの心に語りかけているなら、それは救いの招きです。神はあなたを愛しておられます。あなたがイエスを信じると決断するなら、その信仰によってあなたは今日、救われます。」
表面上のキリスト教用語
• 「神の御霊」「信仰による救い」「神の愛」
〇神学的欺瞞の内実
1. 決断主義:救いの鍵が「あなたの今の決断」に置かれており、神の主権的再生・召しが語られていない
2. 経験主義:「御霊が語っていると“感じる”」という主観的印象が、救いの確証の根拠になっている。
3.形式的告白主義:信仰を「賛成すること」「告白すること」に矮小化し、キリストとの結合や罪の赦しの神学的実体を欠いている。
【構造的特徴と欺瞞の共通点】
1. 正しい言葉を用いながらも、意味が抜けている
• 「信仰」「恵み」「聖霊」「義認」「悔い改め」などの語が用いられていても、それが神の側の主権的業としてではなく、人間の選択・感情・努力に置き換えられている。
2. 神中心ではなく人間中心の枠組み
• 誰が主語かを見れば明らかである。改革派では「神が、キリストを通して、聖霊によって救いを施す」だが、これらの欺瞞事例では「私が決断した」「私が感じた」「私が従おうとした」となる。
3. キリストの客観的救済の事実ではなく、個人の内面の状態に焦点がある
• 神の怒りからの贖罪、十字架の義認、キリストとの結合といった福音の中心が曖昧にされ、代わりに「自分の感情」や「行動」が強調される。
【改革派的に明確に拒絶すべきポイント】
• 救いの起源は「時空間の中での決断」ではなく、「神の永遠の選びと召し」にある(エペソ1:4、ローマ8:29)。
• 信仰は「人の意志の選択」ではなく、「再生の結果として与えられる賜物」である(ヨハネ3:5–8、ピリピ1:29)。
• 聖霊は「感じる」存在ではなく、「みことばを通してキリストを啓示する神」であり、私たちの感情ではなくキリストを真理によって指し示す方である(ヨハネ16:13–14)。
• 義認の確信は「自分の内面状態や行い」ではなく、「キリストの完成された御業とそれに結合しているという事実」に根差す(ローマ5:1、ガラテヤ2:16)。

