日本における決断主義的伝道の歴史
- thewordforyoujapan
- 6月27日
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更新日:8月11日
2025.6.22 礼拝メッセージ 日本における決断主義的伝道の歴史
1 明治・大正期
明治初期から、日本には世界中から来日したキリスト教の宣教師たちが来日しています。多くはメソジスト、ホーリネスからでした。改革派は全体の5%に満たないぐらいです。
ジェームズ・ハミルトン・バラは1861年に来日し、オランダ改革派の宣教師で日本初のプロテスタント教会「日本基督公会(海岸教会)」の創設に寄与しました。ジェームスバラの話は日本のリバイバル運動の先駆けのようにリバイバル系の教会で神話のように語られます。
宣教師の教派別人数と構造的優劣の分析
改革派・長老派宣教師は明治〜大正期を通して推定10〜20名程度であったのに対し、アメリカのメソジスト派やホーリネス系教団の宣教師100名以上が来日しており、そのうち女性が83名以上。男性宣教師を含めるとかなりの人数は派遣されていました。
【教派別 宣教師数比較(明治末)】
教派 | 宣教師数 | 備考 |
改革派 | 10〜20名 | 講解説教中心 |
ホーリネス・メソジスト | 100名以上 | うち女性宣教師83名超 |
<質問>
第1節 それにしても、なぜ改革神学の宣教師は少なかったのか?
改革神学は、福音を最も正確に解き明かす組織神学的体系。
神の主権、罪の全的堕落、キリストの完全な贖い、信仰による義認、聖霊による再生と聖化―これらはすべて改革神学の中核であり、真の福音宣教を成り立たせる基盤である。しかし現実には、改革神学に立つ宣教師・説教者の数は世界的にも、日本においてもきわめて少なかった。召され、語る者が少なかった。
この事実は、単なる偶然でも、時代の流れでもない。それは、教会制度そのものが聖書からそれ、召された者たちを正しく立てることができなかったという罪によって生じた深刻な霊的現実である。
第2節 神の召命と教会制度
【神の召命は主権的である】
聖書は、語る者――すなわち預言者・使徒・牧師・教師が人間の判断によらず、神の主権的召命によって立てられると繰り返し教えている(エレミヤ1:5、使徒13:2、エペソ4:11)。語るという行為は、単なる職務ではなく、神の言葉を神の民に正しく伝えるという聖なる務めである。
【制度による召命の囲い込み】
神の召命の上にあった教会制度と人間的な条件―
学歴(神学校卒業)、手続き(教派による承認)、礼典(按手)、所属(公的組織との関係)を“前提条件”として設け、召命の霊的実体を制度的形骸化で囲い込んだ。その結果、召命を受けた者が、「資格がない」、「ルートが異なる」、「秩序を乱す」として排除・沈黙させられてきた。
第3節 語る者が語れなかったという歴史的罪
【福音が語られなかった理由】 語るべき者たちはいた。彼らは主を恐れ、十字架の福音を愛し、再生された者たちであった。しかし彼らは語らなかった―否、語れなかった。それは制度が封じたのではなく、制度が聖書から逸れ、人間的な条件が語る者を正しく見分け、立てる務めを果たせなかったからである。この過ちは、単なる運営上の失敗ではない。神が立てた器を、神の名のもとに沈黙させたという教会の罪である。
第4節 沈黙の文化と忠実の誤解
多くの敬虔な改革派信徒は、「語るな」「教会の許可なく語ることは傲慢」と言われ、沈黙することを“忠実”と受け止めた。だがそれは本当に忠実だったのか? 神が語れと言われているのに、人間の制度を恐れて沈黙することが、神への従順なのか?
➡ この沈黙の文化こそ、現代の改革派教会が直面している最大の霊的問題である。
第5節 制度を聖書に立ち返らせ、語るべき者を正しく立てよ
【制度は神が与えた秩序である】
改革神学は制度を否定しない。むしろ制度を重んじる。だがその制度は、聖書に基づいて、召命を見分け、賜物を認定し、語る者を公に立てるためのものでなければならない。
制度は福音を縛るためにあるのではなく、福音を守り、語る者を送り出すために存在する!!
【改革の使命】
ゆえに今、私たちはこう叫ばねばならない:「制度を聖書に立ち返らせよ。そして、語るべき者を正しく立てよ。」按手や資格制度を、神の召命に従った賜物認定の手段として回復せよ。聖霊の賜物を無視せず、制度の形だけで判断する悪習を打ち砕け。語ることに召された者に、恐れず講壇を委ねよ
第6節 神は語る者を再び立てる
神は今も生きておられ、御心にかなう者を必ず立てられる。その者は、人の承認を第一とせず、制度に逆らうのではなく、制度を福音のために改革し、十字架と義認の真理を、何者をも恐れずに語る。「制度を恐れず、ただ主の召命と御言葉によって語る者」 それはRCスプロールやジョン・マッカーサーのように、福音の純粋性に生きた者たちである。
語る召命を受けたなら、沈黙するな。神が語らせる!
教会の制度に仕えるなら、語る者を見分け、正しく立てよ。
教会に属する信徒なら、語る者を支え、聖書の制度回復のために祈れ。
私たちは、制度を聖書に従わせる使命を担っている。そして、正しく整えられた制度の中でこそ、真の召命を受けた者が立ち、真の福音を語る。
神が真の長老、牧師、教師を立てる。神はそのために制度をもって秩序を与える。
さて、話をジェームスバラに戻しますが、
「1883年、ジェームズ・ハミルトン・バラ宣教師は夢を見て悔い改め、その祈祷会から全国的なリバイバルが始まった」という物語をリバイバル系の教会で感動的な証を話します。また、そのように聞こえますが、本当にそれが歴史的に事実なのか、御言葉に照らして吟味する必要があります。改革神学の宣教師のバラが、まるでホーリネス運動の宣教師のように語られているからです。
第1に、この話は事実としての根拠がありません。
この物語は、実在したバラ宣教師の手紙や日記、公的記録には確認されていません。つまり、後になってから、体験主義的な神学、特にホーリネス運動や福音派の一部によって、霊的な「物語」として作られた可能性が高いのです。
第2に、神学的に対立しています。
ジェームスバラはオランダ改革派教会の宣教師であり、カルヴァン主義に立つ伝道者でした。彼が信じ、教えていたのは、救いは神の主権と恵みによって与えられるということです。夢や感情ではなく、みことばの説教と神の主権、聖霊による再生が信仰の土台であるという教理に立っていました。ですから、「夢を見て悔い改めたことでリバイバルが始まった」というような体験中心の霊性とは、根本的に全く相容れません。
第3に、倫理的にも重大な問題があります。
ジェームスバラの名を語って、自分たちの霊性やリバイバル運動を正当化することは、さも歴史的、神学的な事実を語っているように信者を感情的に扇動し、聖霊の働きを勝手に話していることです。倫理的に大きな問題があります。
最後に、私たちが守るべき真理とは何か。
神の御業は、ショッキングな体験や夢によってではなく、静かに、確実に、御言葉と聖霊によってなされます。ですから、「1883年のバラ宣教師のリバイバル神話」は、史実としても、神学としても、否定されるべきであると私ははっきり言います。
2 日本におけるホーリネス運動拡大と感情・決断重視の信仰の定着
19世紀末にアメリカで誕生したホーリネス運動は、人間の自由意志による選択、聖霊のバプテスマを強調し、日本では中田重治を中心に急速に展開されました。この運動は『信仰=決断』『神聖な感情体験』を重視し、神の主権と再生に基づく救済論よりも、人間の選択と献身に基づく信仰理解を定着させました。
「長野県、飯田リバイバル」
今日は1919年に起こったとされる「飯田リバイバル」について、簡潔にお話しします。この出来事は、1919年11月、東京・淀橋教会で徹夜の祈祷会を行い、その翌日から長野県の飯田で数日間にわたり祈祷会を行ったことに始まります。その場では「サタン打ち」とも呼ばれ、叫び、転がり、笑い、倒れるという集会が行われて多くの人が癒しの奇跡や救いの体験をしたと記録されています。
この運動に関わった人物たちは、いずれもホーリネス運動に属していました。ホーリネス運動は、もともとメソジストに由来し、体験を強く重視します。祈祷による癒し、聖霊のバプテスマ、感情的な運動です。このホーリネス運動は日本へ最も多くの宣教師を来日させ各地で宣教を行っていきました。
3 戦後アメリカ型福音主義とカリスマ的傾向の浸透
戦後、GHQ宗教課(CIE–RRU)の宗教自由政策により、1945年~1951年に約2,248名の宣教師が来日し、うち1,165名は米国出身であった。内訳は、自由主義福音派(メソジスト系)、ペンテコステ・カリスマ派、エホバの証人などが多数を占め、改革派は推定100〜200名に過ぎなかった。
【教派別 宣教師数比較(GHQ期)】
教派 | 宣教師数(推定) | 備考 |
改革派 | 100〜200名 | 主に長老派 |
自由主義・福音派 | 1,000名以上 | 主流派メソジスト等 |
ペンテコステ他 | 数百名以上 | カリスマ系 |
4 平成後期以降の第三の波・リバイバル運動・リベラル神学
第三の波運動およびリバイバル運動が1980年代以降日本に浸透し、日本リバイバル同盟や福音派系団体、リベラル神学系教団を中心が多数を占めるに至った。
【教派別 教会・宣教師数比較(平成以降)】
分類 | 改革派 | 非改革派(福音派・カリスマ等) | リベラル教派 |
教会数 | 100〜150 | 1,100〜1,200 | 約1,500 |
宣教師数 | 10〜15名 | 200〜300名以上 | 不明(多数) |
以上、このように世界的な流れと日本におけるキリスト教の歴史をみると明治時代から現代まで日本で伝道された福音は人間の自由意志とその選択により救われると言う決断主義の福音でした。SNSがない時代においては神の主権による福音を聞くことは極めて稀なことだったと言わざるを得ません。
神は語る者を再び立てる。神は今も生きておられ、御心にかなう者を必ず立てられます。
その者は、
人の承認を第一とせず、
制度に逆らうのではなく、
制度を福音のために改革し、
十字架と義認の真理を、何者をも恐れずに語ります。
「ただ主の召命と御言葉によって語る者」
それはRCスプロールやジョン・マッカーサーのように、福音の純粋性に生きた者たちです。
あなたは今、何をなすべきでしょうか?
語る召命を受けたなら、沈黙してはいけません。
教会の制度に仕えるなら、語る者を見分け、正しく立てなさい。
教会に属する信徒なら、語る者を支え、聖書の制度回復のために祈りなさい。


