自由ってなに?-罪人と神
- thewordforyoujapan
- 6月27日
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2025.6.24 The Word for you 自由ってなに?-罪人と神
「人権が保証された自由な国に住んでいる人間でも自由なのに自由じゃない」3:12)
みなさんこんばんは?
今日は「自由意志」ってなんだろう?ということを、聖書から一緒に考えてみましょう。
私たちがよく言う「自由」とは、「自分で選べること」、自分で決めることだと思っていませんか?
たとえば、今日のお昼ご飯を選んだとき、「カレーにしようか、ラーメンにしようか」と考えて、自分で決めたとします。
普通、「私は自由に選んだ」と思います。ラーメンやカレーは自分の体の欲求によって選ばれています。
でも、聖書が教える人間の自由はもっと深く、重要な問題があると教えています。それは、私たちが「自由に選んだ」と思っているその選択は、実は心の中の「欲望」よって決まっているからです。
1. 選択、決定には必ず理由がある
人がある事を選ぶとき、その選択には何かしらの理由や動機があります。
「なんとなく」というのも、実はその人の性格や気分、過去の経験などが関係しています。
つまり、まったく理由も動機もない「純粋な自由な選択」なんてものは、現実には存在しません。
2. 問題は、心が神を望んでいないこと
聖書は「人はみな罪を犯した」と教えます。人の心は、本当の神に従いたいという思いをもたない状態にあると聖書は言います。
だから、人は「自由意思に」まことの神を拒み、「自由意思で」罪を犯しているのです。神を信じない人は、神を信じる能力がありません。それはすべての人を指しています。
3. 人は一番強い欲望に従って選ぶ
ジョナサン・エドワーズと言う牧師は、「人は常に、ある瞬間に最も強い欲望に従って選ぶ」と言いました。
これはとてもシンプルですが、とても真実な仕組みです。
たとえば、ある人が罪を犯したとき、その瞬間に「罪を犯したい」という気持ちが、他のどんな気持ちよりも強かったということです。
4. 神を選びたくなるには「新しい心」が必要
罪人がキリストを信じ、従うには、「神を信じたい」という願いが心の中に生まれる必要があります。
しかし、人は自分ではその願いを生み出せません。能力がもともとないのです。だからこそ、神の恵みによって、心そのものが新しくされなければならないのです。
5. 自由とは、「神を選べること」
人は自分の心に従って自由に選んでいます。問題は、その心が神を望む能力がないということです。聖書でこの状態を死んでいると表現します。
人間は自由意志を持っていますが、その意志は堕落しており、神を選ぶことは決してしません。すべて人は罪の中で死んでいると聖書は言います。
6. 神からの贈り物
神の方から私たちの心を変えてくださるとき、初めて私たちは「自分の意思で」神を選ぶようになります。
罪の中で死んでいる人の側から神に近づくことはできません。
これは人間の選択や意思によるのではなく、神の憐れみによるによる働きです。私たちが自分が本当に心から罪深いものであり。真の神に助けを求める原因は100%神から始まるのです。
終わりに
人間の自由意志は、自分の心の欲望、罪の性質に従って動いています。その罪の性質は、アダム以来、すべての人間にあります。だからこそ、神の救いは「新しい心」を与えることから始まります。
神を選べるようになるのは、神が私たちの心に働いてくださるからです。良いことしたからではありません。イエスキリストからの贈り物です。真の神、イエスキリストです。

