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交わりについての学び

  • thewordforyoujapan
  • 9月27日
  • 読了時間: 5分

2025.9.24 The Word for you 交わりについての学び


 

 私たちが共に持つ礼拝後の交わりについて学びたいと思います。礼拝後の交わりを休憩やお茶菓子タイムと思っている理解の浅いクリスチャンは多くいます。多くの教会ではお茶菓子タイム、お食事タイムなどありますが、それを礼拝と理解している人々はいません。

  礼拝後の交わりは単なる休憩や慰めの時間ではありません。礼拝の一部なのです。これは、神が御自身の民を建て上げるために与えてくださった聖なる恵みの手段です。したがって、交わりをどう理解し、どう実践するかは、神の御前でとても重要です。


 

1. 雑談とお茶菓子の正しい位置

  お茶や軽食そのものは罪ではなく、神の賜物です(Ⅰテモテ4:4「神が造られたものはすべて良い」)。感謝をもって神にささげるなら、それは交わりを助け、神に栄光を帰すものとなります。

  しかし、お茶や菓子、あるいは雑談が交わりの中心や目的となり、御言葉や祈りが二次的になるなら、それは神の秩序を歪めます。雑談が御言葉に従属しないなら、それは交わりではなく、ただの社交や雑談にしか過ぎません。

 聖書はこう教えます。

 「そして彼らは、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2:42)

 交わり、パン裂きの中心は御言葉と祈りであり、そこから外れればすでに本質を失っているのです。 

交わり礼拝後の交わり、また、パン裂きは聖餐式と実際の食事を意味します。使徒の時代、家々では聖餐式と食事が同時に行われていました。信仰者たちが一緒に神の御前でする食事も礼拝の一部であることがわかります。

 

2. 御言葉を教えあう心

  みことばについて核心的な信仰の質問が出て、牧師が御言葉をもって答えるとき、それは神がくださる恵みの時です。

 その信仰者の質問と牧師の回答はその2人だけの恵みではなく、そこにいる人々もそこから学び、証をシェアし教会の建ち上げとなります。

 聖書はこう警告します。

「肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。従うこともできないのです。」(ローマ8:7)

  選ばれた者はこの世で試練に会いますが、神は御言葉を通してその試練を恵みに変え、私たちを清められます。御言葉を重んじる心こそ、信仰を最後まで保たせてくださる神の力に結びつくのです。

 

3. 励ましの本当の源

 「交わりを通して課題や励ましを見つける」という言葉は美しく聞こえます。しかし、それが御言葉を妨げ、避ける方向に働くなら、それは神の意図された交わりではなく、人間中心の慰めに過ぎません。

  真の励ましは人間の言葉ではなく、神の義に根ざしています。

「彼らは神の義を知らず、自分の義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。」(ローマ10:3) 

 御言葉に立つ者は、弱さの中にあっても神が必ず守り導いてくださり、最後まで信仰にとどまらせてくださいます。これが永遠の救いの確かさです。

 

4. 「リラックスできる場所が必要だ」という意見について

 霊的に成熟していない信仰者は、「交わりは休憩時間だからもっとリラックスした日常的な分かち合いの場が必要だ」と良く言います。

  けれども、それはしばしば御言葉から目をそらしてしまう言い訳となってしまいます。救われて間のない信仰者間ではほとんどの場合、みことばを中心とした交わりの自制が出来ずに雑談に終わってしまいます。ジョン・マッカーサー 「The Necessity of Christian Fellowship, Part 1」より

 神は御言葉を通して民を建て上げられます。そこから離れることは、本当の慰めを避けてしまうことになります。

  リラックス自体は悪いことではありません。しかし、それを理由に御言葉を二次的に扱うなら、それは「自由」ではなく、肉による「自由の乱用」になってしまうのです。

  改革神学が教える信徒の自由とは、「神に喜ばれることを自発的に行う自由」であって、「神の秩序を無視して好き勝手にする罪に対する自由」ではありません。

  R.C.スプロールの言葉を借りれば、「自由は常に神の聖さのもとに制限される」のです。

5. 御言葉の秩序を回復する

  交わりは、神が教会に与えられた聖化の手段(means of grace)です。雑談が御言葉へ導く「橋」となるなら、それも用いられるでしょう。しかし御言葉を妨げる雑談は、肉的な交わりに転じてしまいます。

 神は選ばれた者を御言葉を通して日々清め、試練を通して訓練し、最後まで信仰に立たせてくださいます。そこには確かに痛みも伴いますが、やがて永遠の救いと栄光へと至る希望があります。

 パウロの交わり理解(コロサイ3:16)

パウロは交わりの自由の本質を次のように示しています。

「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ3:16)


 

ここでの交わりの自由の特徴は:

 御言葉が豊かに宿ることが中心。

互いに教え、忠告し合うことによって建て上げられる。

賛美と感謝をもって神に向かう礼拝の延長である。

したがって、雑談や「リラックスの名目」で御言葉や祈りの自由が脇に追いやられる交わりは、パウロの示す本質から外れてしまいます。

まとめ

  愛する兄弟姉妹、神は私たちをただ慰め合うためではなく、御言葉に根ざした交わりへと召してくださいました。

 選ばれた者は試練の中で御言葉を学び、恵みによって清められ、ついには栄光に至ります。これは私たちの力ではなく、神が最後まで守り導いてくださる約束です。

  どうか、お茶や菓子、雑談の中にも必ず御言葉を中心に据え、礼拝の延長として主に受け入れられる交わりを築きながら、永遠の救いを見据えて共に歩んでいきましょう。


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