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1コリント10章13節 PART2 「試練」と「偶像礼拝」

  • thewordforyoujapan
  • 2025年12月19日
  • 読了時間: 10分

2025.12.14 豊川の家の教会礼拝メッセージ 

"あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。

ですから、私の愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい。"

コリント人への手紙 第一 10章13~14節

 

なぜパウロは「試練」と「偶像礼拝」を同じ文脈で語るのか?

 理由は一つ

試練は“偶像に逃げる心”を暴く。

そして、偶像礼拝とは、キリストとの永遠の結合、救いの源泉以外の何かに救い・安全・支えを求めること。

1. 主語=神

(13節)

「神は真実な方です」

– 試練を支配し、量り、制限し、脱出の道を備える方は神。

 

このとき聖書は厳密に、神が試練を支配していることを土台にする。パウロは試練は神の支配の中にあると宣言している。だから人は試練の中で、主語を人に戻してはいけない

2. 試練=神が量られた「信仰の場」

パウロは語る、「耐えられない試練にはあわせない」、「脱出の道を備えている」。これは、「神が結合している者を守る」という神の真実。

つまり試練とは、

    •神ご自身が与え

    •神ご自身がその枠を決め

    •神ご自身が脱出の道をつける

 それは、神の摂理の中にある、信仰の場

3. 試練が続くと、人の心は必ず“逃げ道”を探す

人間中心主義はこう働く:

    •自分で耐える

    •自分で解決する

    •自分で慰める

    •自分で安全を作る

    •人・金・関係・快楽で心を支える

これらすべては偶像礼拝、「1コリント10章の核心」10章を通して「信仰者の心にある偶像をテーマ」にして語っている事が重要。

4. 試練の真の目的は「苦しさ」ではなく「偶像へ逃げる心」を暴露する

だからこそ、パウロは13節の直後にいきなり14節でこう言う:「ですから…偶像礼拝を避けなさい」

この「ですから)」は

 原因と結果を一直線に結ぶ強い論理接続です。

    •神は試練を与え

    •神は脱出の道を備え

    •神は真実である

 →だから神以外に頼るな、偶像礼拝を避けよ。パウロの意図は完全に一貫している。

5. 試練の本質的な誘惑は「神以外に助けを求める誘惑」

試練の時こそ、人は神以外に支えを求めやすい。

 パウロは「偶像礼拝」を

    •黄金の牛

    •異教の祭り

    •神殿での食事

 パウロが語る偶像礼拝は「ただ、目に見える偶像ではなく」神の代わりとする。 「あなたの心の中にあるすべての偶像」である。

試練の時に心が

    •人

    •金

    •快楽

    •安全

    •家族

    •宗教行為

    •自己義認

    •自己防衛

に逃げる。それは偶像礼拝、それらの偶像に逃げるな。だから試練と偶像礼拝が同じ文脈にある

6. 「私は賢い人に話すように話します」

φρόνιμοι(賢い者)=照明された者

再生による初発の照明を受けた者は、神中心と人間中心の違いを判断できる人。

 パウロは語る。

「あなたがたは照明されているはずだから、私の言うことを自分で判断しなさい。」照明された者ならわかるはずだ。試練と偶像礼拝の関係は誰に頼るかと言う点で同じ根でつながっている。


ここまでをまとめると;

試練は神の摂理であり、試練の本質的な誘惑は神以外に逃げる心である。ゆえに試練と偶像礼拝は直結する。

試練の時、「神以外に頼る誘惑」は極限に達する。それをパウロは“偶像礼拝”と呼ぶ。それは結合以外に頼ること。

・「最も危険な偶像は、自分が“信仰しているつもり”である心である。」

➡ 試練の時に神以外に逃げるなら、

その信仰は自分自身が作り上げたもの

 そして神は信仰者が持つすべての人間中心の心が頼る偶像を破壊する。

 

・「聖化=神が偶像を砕き、結合の恵みをさらに深く注ぎ込む過程」 

➡ 信仰者が純粋に神のみを頼る者に変えられる

 

・試練も偶像破壊も、すべてはキリストとの結合から流れ出る恵みである。

試練のただ中で「神に向かって叫ぶ祈り」を生み出すのは“神ご自身”である

パウロは言う:

「神は真実な方です…脱出の道を備えてくださいます」(13節)

ここで重要なのは

“脱出の道”とは外側の状況変化ではなく、心の中において神へ近づくこと、そのものである。

そして心の中で神に近づくとは:

  • 祈る心

  • 助けを求める叫び

  • 神への依存

  • 偶像から離れる動き

  • 罪への痛み

  • 悔い改めの生起

これらはすべて神が結合している者に与え、実行させる恵みの働き。神へ走り、逃げこむこと。

パウロは命令する。

「こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。」  コロサイ人への手紙 3章1~2節

ここで決してこう言ってはいけない:

  • 「人が祈ることで脱出の道が開かれる」

  • 「祈りは人間側の応答である」

これはすべて人間中心主義で誤り。

聖書の構造は逆:

祈る心は“再生した者に聖霊が生み出す結果”であり、人間の原因ではない。

これをカルヴァンはこう言う: 「祈りは信仰の第一の呼吸である」(Institutes 3.20)

✦ 呼吸は “自分で理由を作ってするものではなく”、「生きている者だから自然に出る」。再生した者にだけ、祈りが自然に与えられる。

つまり:

再生 → 初発の照明 → 神への叫び

神は試練のただ中で、キリストに結合された者のうちに “神に叫ぶ心” を造り出し、祈りを与え、実行させる方である。

人間は自分で祈り始めることはできない。祈りは人間の決断や努力ではなく、再生と初発の照明から流れ出る“結合の恵み”の実である。

試練とはまさに、

  • 偶像に逃げる心を暴き、

  • その心を砕き、

  • 神に叫ぶ祈りを内側に生み出し、

  • その祈りを実行させる

という 神の摂理的な聖化の働きの場である。

ゆえに「脱出の道」とは、外側の環境ではなく、神が内側に創造される 「神への祈り」

神が聖霊によって起こされる祈り そのものである。

悔い改めと信仰も、試練を通して与えられる恵みであり、これは人間からではなく、すべて結合から流れ出る神の業である。

神は、結合の恵みによってパウロを守り、砕き、照明し続けた。


7.神が支えている

パウロが経験した死の瀬戸際の苦難でさえ、「耐えられる試練」であったのは、神が支えていたからである。

 刺(サタンの使い)も、苦難も、迫害も、すべて神の支配下で、キリストとの結合に預かる者を砕き、誇りを殺し、恵みを際立たせるために備えられた。

 

1コリント10:13の“耐えられる”は、状況の軽さではなく、

神がその人を耐えさせるという神中心の約束である。 


◆1. 1コリント10:13の中心は「神が耐えさせる」

「神は真実な方です…耐えられるように、試練とともに脱出の道を備えてくださいます」

(1コリント10:13)

 

この節の主語は完全に「神」です。人が耐えるのではない。人の信仰が強いのではない。人の決断ではない。

 

★カルヴァンの注解

カルヴァンは、神は、ご自身が選び、キリストに結合させた者を最終的な破滅に至るまで放置しない。

 したがって試練は、その人を滅ぼす方向には決して用いられない。と述べる

(注:Calvin’s Commentary on Corinthians)。

 これは、人間中心ではなく完全に神中心。


◆2. パウロの“死の瀬戸際の苦難”も「耐えられる試練」だった理由 

パウロは「死に値する苦難」を何度も経験した。

 “死ぬほどの重圧を受け、死を覚悟した”(2コリ1:8–9)

 “私は毎日死んでいる”(1コリ15:31)

 “絶えずイエスの死を身に帯びている”(2コリ4:10)

これらは肉体的・精神的に人間が耐えられないレベル。しかしパウロは倒れなかった。

 なぜか?

 答えは一つ。

 神が結合の恵みにより、パウロを保ち続けたから。耐えられる”の根拠は、パウロの資質ではなく、

キリストとの結合にある守りの恵み。


◆3. サタンの使い(刺)さえ、神の支配下で「砕く恵み」として用いられた

パウロの叫び

 「この刺を取り去ってください」と三度願った(2コリ12:7–8)

 しかし神は取り去らなかった。

人間中心なら「神は祈りを聞いていない」と読むが、聖書は全く逆の結論になる。

 ★神の答え

 「わたしの恵みはあなたに十分である」(12:9)

 これは、 苦難 → 神に捨てられた

 ではなく、

 苦難 → 神がより深く砕き、より深く照明し、より深く結合の恵みを示している

 という意味。

 

★R.C. スプロールの洞察 

スプロールは、「刺」を「神が主権的に与えた聖化の道具」(divine instrument of sanctification)

と説明する(The Holiness of God, 他)。

 

 苦難はサタンの目的のためではなく、神の目的のために「神が支配して使う」。


◆4. 神はパウロに「照明」を与え、同時に「自己中心の罪」を砕き続けた

パウロは照明を受けた者

 ダマスコ途上での照明(使徒9)

 継続する照明としての聖化

照明は、パウロの中にある。自己の誇り・肉の力・人間中心のエゴを砕き続ける神の働きとして展開する。

 

★ジョン・マッカーサーの説明

マッカーサーは 2コリ12章の説教でこう語る:

 “神はパウロの内にある誇りを完全に砕くために、刺を取り去らなかった。

 神は弱さによって恵みを示し、パウロをより深い従順へと導いた。

つまり、

 試練 = 自我を砕き、神中心へ引き戻す神の行為

苦難 = 神が削る道具

弱さ = 結合に依る恵みが最も強く見える場所


◆5. 「耐えられない試練はない」の真意は 神が結合によって信仰者を保つ

1コリ10:13の約束は、

「あなたの力で耐えられる試練しか来ない」という意味ではない。試練はあなたが耐えられない時、神が取り去ると言う意味ではない。

 むしろ逆、「パウロの証言」

 信仰者は

・感情的に砕かれる・絶望寸前まで追い込まれる・パウロのように「死ぬほどの重圧」と言うところまで行くことはある

・死を覚悟するまで追い込まれる

 

これが神の試練の構造である。

「神は、信仰者を絶望の中で自我を砕き、同じ絶望の只中で照明を与えられる。」

 

しかし、神は 

  • 「魂が最終的に絶対、見捨てない」

  • 「信仰が完全に失われることはない」

 

神があなたを最後まで守る。よって、魂は、信仰は決して見捨てられない。これは人間中心主義の完全否定。 

 

★カルヴァンの言葉

 神はご自身の民を滅びの淵へ投げ込むことは決してない。なぜなら、神がご自身の力で支えるだけでなく、

その支え方においても最善を尽くされるからである。 


◆6. 選ばれた者にとってすべての苦難は「結合から流れる恵み」として再定義される

結論はただ一つ

 苦難は偶然ではない。サタンの攻撃も神の支配下にある。主語は一貫して神 。

試練は人間の限界を測るためではなく、神の恵みの深さが多岐、多層的な現れとして与えられる。


 

結合の理解で整理 

源泉:永遠の結合

 神は選びの中でパウロをキリストに結合させた。

時間内:経験的結合の保持

 刺・苦難・迫害の中で、神はパウロを倒れさせなかった。

目的:誇りを砕き、恵みを顕す聖化

 「力は弱さの中で完全に現れる」(12:9)

◆7. この福音の全体構造が示すこと

パウロが死を覚悟するほどの苦難にあっても倒れなかった理由は、彼が強かったからではなく、神が結合の恵みによって彼を最後まで守りとおしたからである。

 

神は試練の過程を通して、パウロの「自分の力でなんとかしようとする、神から独立した心」を砕き、

神のみにすがり、神の支配の中で生きる者へと聖化した。

 

それは「1コリント10:13は第一義的には、神が偶像礼拝という信仰破壊的誘惑から信仰者を守るという約束

 

神が取り除く偶像とは:

•神に代わって頼るもの

•神から独立して自分を保とうとする拠り所

•極限状況で「神以外」に逃げ込む逃げ道

 

パウロ自身が経験した極限的な苦難は、その神がパウロの心にある偶像を取り除くこと、使徒の生涯全体において、彼がいかなる困難においても誠の神から離れ、偶像に逃げることのないにする、神の摂理による砕きの訓練そのものであった。

 

パウロの証言はどのようにその試練と神の恵みが現れたかを示す神学的証言。

まとめ
  • 試練は神が完全に支配し、量り、備える。

  • 試練の誘惑は「神以外に頼る」=偶像礼拝。

  • パウロが偶像礼拝を結びつける理由はそこにある。

  • 神は試練の中で、人間中心の逃げ道を砕く。

  • 神は同時に、結合している者に祈り・叫び・悔い改め・信仰を与え、実行させる。

  • これが「脱出の道」であり、すべて神の恵み。

選ばれた者には神の試練は「照明へ続く偶像破壊のための神の道具」であり、選ばれていない者には「結果として破滅に至る道具」となる。

神は真の信仰者を決して「虚無=神ではない拠り所(偶像)」に渡さない。神は永遠の結合にある選ばれたご自分の民を、生ける神の泉へ導いていく。

 

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