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天の御国は激しく攻められている

  • thewordforyoujapan
  • 11月29日
  • 読了時間: 13分

2025.11.23 豊川の家の教会礼拝メッセージ

恵みがこの世に押し入り、選びの民を捕らえる。

マタイの福音書11章12節から。


バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、神の御国は激しく攻められています。

そして激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。


今日はこの御言葉について学びたいと思います。

一般的にこの御言葉は難解で理解しにくい箇所です。この言葉は、神の国がどのようにこの世に現れているのか、また人の心をどのように作り変えていくのかを示す大切な御言葉として理解します。

ギリシャ語をちょっと勉強しましょう。

ギリシャ語がどのように言っているのかというのを、英語を挟んで作ってありますので、分かりやすくなっていると思います。


まず最初に 「ἡ(イ)」 というのがあります。これは 「その(the)」 という意味です。


次に 「βασιλεία(バシレイア)」 と書いてあります。これは 神の主権・王権 という意味です。

「τῶν(トン)」 というのは 「~の」 という意味です。

「οὐρανῶν(ウラノーン)」 というのは 「天」 という意味です。(本文中で「ブラノン」となっていた部分は誤りなので修正)

ここに英語で “Kingdom of the Heavens” と書いてあります。


それから 「βιάζεται(ビアゼタイ)」。

これは 「力によって取られる/押し進められる」 という意味です。


そして 「καί(ケー)」。これは 「and/そして」 です。


その次に「βιασταί(ビアスタイ)」(暴力的に攻め入る者たち)、「ἁρπάζουσιν(アルパゾウシン)」(奪い取る、つかみ取る)

という語が続きます。ここまでが一つの文です。


これを直訳すると、


天の主権支配は力によって取られ、押し進められ、暴力的に攻め入る者たちはそれを掴み取っている。


これがギリシャ語の直訳です。

この部分だけを切り取って読もうとしても読めません。この部分だけだと、「何だろう、この意味は?」となります。しかし聖書はその通りに書いてあります。これはギリシャ語直訳なので、嘘も隠しもなく、非常に明確に、天の支配・主権は強い力で取られ、押し進められ、暴力的に攻め入る者たちはそれを掴み取っている。

と言っています。

ここでの結論としてイエス様は、「バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、神の御国は激しく攻められている。そして激しく攻める者たちがそれを奪い取っている。」と言われました。


今日は、この集会が終わる時には、もしあなたがキリストに選ばれているのだったら、この意味が分かるようになります。


最後まで悟れていない人は、

・キリストにある幼児か、

・または未信者か、

いずれかです。

文脈:ヨハネの捕縛と神の国の到来


マタイの福音書11章は、ヨハネの話から始まります。


ヨハネが捕らわれて、ヨハネのところから使いが来て、ヨハネは迫害されている。そしてヨハネから福音が始まった。しかし、そのヨハネは迫害され、牢に入れられ、最後には首をはねられる。首を切られて、お盆に乗せられて持ってこられる。そういう状態です。


そして、神は長い間約束されてきた救いの計画を、イエス・キリストによって実行し始めた――そういう箇所です。

神の国とは何か

まず理解しなければならないのは、神の国とは何か ということです。

神の国は、永遠における 父・子・聖霊の一致と支配 として存在しています。崇高で、非常に崇高です。

そしてその主権が、キリストご自身の 受肉・死・復活・昇天 という歴史的事実を通してこの世に現れ、聖霊によって選ばれた者たちのうちに適用されます。


神の御国が来る、というのは、永遠の選びと救いが、時の中で実際に行われる という出来事です。


神の御国は永遠の昔にすでにあり、神の支配は永遠から永遠まであります。時の流れの中において、その神の支配が選ばれた者たちの心に到来します。

「神の御国は攻められている」の意味

「神の御国は攻められている(βιάζεται)」と書かれています。

ここで誤解してはならないのは、

    •          神の国が弱いから攻撃されている

    •          人間が神の国を責め立てている

という意味ではない、ということです。


イエス様がここで語っておられるのは、神の支配がこの世に現れてくる時、暴力的な対立が必ず伴う ということです。

神の福音が罪と死に支配されたこの世に入り込むとき、そこに衝突が生まれます。イエス様は、そのことを別の箇所でこう語っています。


家族の間の対立、友人との対立。福音のゆえに家族が分裂し、迫害が起こる。これは、神の国と罪・宗教・闇との戦線 が張られたということです。表面的には「神の国が攻められているように見える」神の福音が宣言されるとき、罪は光に耐えられないので抵抗します。


外形的な宗教家、形だけの人たち、心にキリストがいない人たちは恐れます。

    •          権威の喪失を恐れて拒絶する宗教家

    •          地位とシステムを守ろうとするパリサイ人

    •          自分中心の信仰を守ろうとする人々


彼らは、闇の中で光に抵抗します。その結果、彼らが福音を歪め、別の福音を語り、多くの人を騙し、自分たちの支配に引き入れるように見えます。

表面的には、まるで宗教や闇が神の国を攻めているかのように見えます。


しかし、真理は逆です。主語は常に神です。ここでイエス様が教えておられる根本は、主語はいつも神である ということです。

 •          攻めている主体は 神の国

    •          攻撃されているのは 罪・宗教・闇


神の国がこの世に 侵攻してきている。それが「神の国が攻められている」という表現の真の姿です。神の国が信仰し、前進し、その結果として抵抗と衝突が起きている。

あなたの心で何が起こるか

神の国が、神の支配があなたの心に来るということは、あなたの心の中に 暴力的な神の国の侵攻 が起こるということです。

    •          あなたの心は抵抗し、

    •          あなたの宗教心は反抗し、

    •          あなたの罪はそれに対して戦います。

それが、そのまま 現実 になります。

パリサイ人の反抗

ヨハネの時代に最も強く反抗したのは誰か。それは、自分の行いを誇りにしていた パリサイ人 でした。彼らは神を愛していません。自分の義を打ち立て、自分の正しさ・宗教的な行いを誇っていた。しかし彼らの心はキリストに結びついていませんでした。これは 律法主義、行いによって神に認められようとする宗教的抵抗でした。

イエス様が彼らの前で罪人や取税人を受け入れ、一緒に食事をし、「あなたの罪は赦された」と語られたとき、パリサイ人たちは怒りと反発でイエスを殺そうとしました。

彼らの信仰は 神の義 ではなく、自分の義 に立つものでした。

「知識の鍵を取り上げる」宗教

イエス様は彼らにこう言われました。

あなたがたは知識の鍵を取り上げてしまった。自分は入らず、入ろうとする人を妨げている。(ルカ11章)


パリサイ人たちは 神の国を破壊することはできません。しかし彼らがすることは、「人々がそこに入るのを妨げる」こと。

これは今も同じです。

    •          罪の心

    •          偽の宗教

    •          外面的な行い

    •          心のない礼拝

    •          反抗心

それらは、あなたの心の中にあり、あなたが神の国に入るのを妨げています。

律法そのものは悪ではないしかし、誤解してはならないのは、 律法そのものは悪くない ということです。

神の律法は、神ご自身の聖なる御心を表すものです。

    •          医学の知識が悪いのではない

    •          会計学が悪いのではない

    •          学校や仕事が悪いのではない

悪いのは あなたの心 です。

文字の律法と、心に刻まれた律法

恵みによって救われた者にとって、神の律法はもはや束縛ではありません。聖書は、選ばれた者たちに関して、神の律法が心に刻まれると言っています。

    •          律法が「文字」であるとき、その人を殺します。

    •          しかし、心に刻まれたとき、それは命となります。

外側だけの信仰、形だけ教会に来て、献金したから責任を果たしたとか、賛美したから大丈夫だとか、もっと言えば「救いの三要素を言ったから大丈夫だ」と思う。

これは 形骸的 であり、心の変化はありません。このような思いで神を礼拝する者を、神は拒絶されます。

しかし、神の国の前進は止まらない

しかしながら、神の国は永遠にその進軍を止めることはありません。それは 恵みの力 です。

神様は永遠のご計画の中で、すべての反抗をご存じです。そしてそれさえもご計画の中に含めた上で、選びの民をキリストへと導かれます。あなたが選ばれていない場合、すべてのものは滅びに向かいます。


神は憐れむ者を憐れみ、慈しむ者を慈しみます。神は聖であり義であり、義は決して曲がりません。

十字架と結合

あなたは罪を行い、神に逆らって生きています。神はどうされるか。

神はご自分のひとり子イエス・キリストを、あなたのために十字架につけ、

    •          あなたの罪と、

    •          あなた自身を

キリストと共に十字架につけ、葬り、新しく生まれさせ、よみがえらせます。

この キリストとの結合 によって、選ばれた者は救いを得ます。これが憐れみであり、慈しみであり、そこに神の愛がある。

「激しく攻める者がそれを奪い取る」とは何か

「激しく攻める者がそれを奪い取る」という言葉は、人が自分の努力で神の国を勝ち取るという意味ではありません。神の恵みがその人を捕らえる ということです。

神は人の心を開いて罪から救い出し、ご自分の支配の中に引き入れます。これを 結合 と言います。


パウロ:恵みによって捕らえられた者

この「捕らえる」という出来事をよく表しているのは、パウロのダマスコ途上の体験です。

パウロは元々、キリストを信じる人たちを迫害していました。神の国を破壊しようとしていた。しかし復活されたキリストが彼の前に現れて、「サウロ、サウロ、なぜあなたは私を迫害するのか」

と語られた時、パウロは強い光に打たれ、地面に倒れ、目が見えなくなりました。その瞬間、彼の心は砕かれ、神の恵みによって捕らえられました。

のちにパウロはこう告白します。

「私はすでに捕らえたわけではありませんが、キリスト・イエスに捕らえられているのです。」

これが本当の信仰です。

恵みに捕らえられた者は「激しく攻める者」とされる

キリスト・イエスに捕らえられた人は、パウロのように変えられていきます。彼は、彼に与えられた天性の知性と力、加えて神の力のすべてを用いて神に仕え、神の国を 激しく攻めて 進みました。


ここでいう「激しく攻める」とは、神の御国を人々の心に送る ということです。その福音によって人々は救い出されてきます。

パウロは、自分がキリストを選んだのではなく、キリストが自分を選び、捕らえたと言います。

これは、神の国が人の心に入り、支配を始めるという出来事です。恵みが彼の人生に押し入った のです。恵みが彼の人生に押し入り、彼を打ち倒した。そして彼は、新しい人に造り変えられた。

人の意思ではなく、神の主権

神に選ばれた人は、神によって心を新しくされ、キリストと結ばれ、新しい心が与えられ、神の国を第一に求める人 に変えられていく。パウロ自身がその代表です。人が自分の意思で神を選ぶことはできません。どんなにがんばっても、自分の力で救われることはできません。


また、あなたがどんなに福音を伝えようと、あなたは他の人を救うことはできません。

    •          あなたの祈りも

    •          あなたの聖書通読も


それ自体は手段であって、救いの原因ではない。

試練の中での照明

神がご自身で、永遠の時の始まる前にあなたを選び、御言葉で照らし、苦難で照らす。

パウロは御言葉を読んでいて照らされたのではなく、人を殺しに行く途中で照らされました。あなたにも試練がある時、あなたは 神の照明 を受けることになる。

苦しみの中で、逃げ場のないところで、あなたの罪と無力がさらけ出される時、神はあなたの心を砕き、恵みによって捕らえられた者とされる。神の律法が重荷でなくなる。


神に捕らえられた人は、やがて神の律法を重荷だと感じなくなっていきます。


かつては、自分の力で立法を守ろうとして苦しんでいた。しかし今は、神を愛して生きる道として、それが心に刻まれています。

それは「やらねばならない」という従順ではなく、「ただその方のために生きたい」という恵みからの従順。

神の国とは、キリストとの結合

神の国に入るとは、神の内に捉えられること です。

神の支配はキリストの内にあります。つまり、神の国とは キリストと結ばれて生きること そのもの。

キリストの心は、あなたの思いと感情と意思と理性を包みます。それが「神の国があなたのただ中にある」という言葉の成就です。神の心があなたの心に広がるとは、イエス・キリストの思いがあなたの感情・意志・理性・知性にまで広がっていくことです。

激しく攻める者の姿

パリサイ人とは大違いです。いくら周囲から反対されても、神に捕らえられた人は、神の言葉に照らされ、心を動かされ、神の国を慕い求めて歩み出します。

どんな迫害を受けても、どんなにつらいことがあっても、どんなに罪の性質が残っていても、その人は、

    •          罪の性質が死ぬまで残ることを理解しつつ、

    •          しかし神の義が自分と共にあることを理解し、喜び、

どんな反抗にあっても進んでいきます。その姿は外から見ると、まるで激しく攻める者のように見えます。

これが「激しく攻める者がそれを奪い取る」ということです。

しかし、実際には 神がその人を引き寄せておられる のです。

「私の羊は私の声を聞き分けます。父が引き寄せない限り、誰も私のところに来ることはできません。」

こうして神の国は、この地で確かに広がり、現れていきます。

この世での神の国の前進

今も全く同じです。

神の国は、神の言葉と聖霊の働きによって前に進んでいます。

    •          多くの間違った教え

    •          文化

    •          この世の仕組み

    •          偽りの宗教

    •          人々の性質

これらすべてが、選ばれた人々を神の国から遠ざけようとします。

しかし、神に捕らえられた人々は、この前進する神の国の証人として生きています。彼らは神の御国を宝物として悟ります。

そして、この世の文化・教え・思想・偽り・ゲーム・コンピューター、何でも――まるでゴミのように捨て去って、神の御国に入ります。分かれ目は「あなたの心に神の国があるか」

もう一度言います。

    •          律法が悪いのではなく、

    •          学問が悪いのでもない。

問題は、あなたの心に神の国があるかどうか。これこそが救いの分かれ目です。

これこそが、神の国がこの地で確かに現れているという証拠です。すべてのものを塵あくたと思い、神の御国を宝物だと思う心。

それがあなたの家・あなたのうちにあるなら、確かにそこに神の国があります。

まとめ

    •          神の国は人の力ではなく、神の恵みの力によって前進する。

    •          宣言したり、サタンを縛るという人間側の「霊的戦術」で進むのではない。

    •          人の抵抗や律法主義や異端の教え、この世の思想や富は、真の信仰者を止めることはできない。

    •          神に捕らえられた人は、すべてを捨てて御国を慕い求めて前進していく。


神の御国は激しく攻められている。それは、神の恵みがこの世の暗闇に押し入っているからである。

そこにはものすごい抵抗がある。

しかし、恵みは選ばれた者の心を捕らえ、御国を表していく。選ばれた者は、すべてを塵あくたと思い、

すべてを捨てて、キリストに従っていく。これが、神の御国が今あなたの中に侵攻している 印 です。

祈り

お祈りします。

愛する天のお父様。神の御国は激しく攻められています。あなたの恵みが私たちの心に来られていることを感謝します。


私たちの心の暗闇に、あなたの恵みが押し入り、私たちの抵抗、私たちの激しい反抗、私たちの罪、私たちの自分勝手な信仰、思い、宗教、この世の思想、そういったものをすべて打ち砕きながら進まれる、その力を感謝します。


私たちの心を捉え、引き寄せ、私たちをあなたに絶えず引き寄せてくださる主よ、感謝します。


そのように御国が私たちの只中に広がっていくことを心から感謝します。それは神よ、あなたの御業です。


父よ、心から感謝します。愛するイエス・キリストの御名を通して感謝してお祈りします。




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