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主語はゲラサの男ではない
マルコの福音書第5章1節から17節の全体シナリオの理解。 この章のテーマはキリストが闇の支配を断ち切り、魂を光の領域へ移す。主語はすべてキリスト、男、レギオン、2000匹の豚でもない。


「代償を量りなさい」ってどういうこと? 福音構造と変わる心
イエスさまの「代償を量りなさい」とは、人間には無理だと悟らせる問いかけ。
本当の信仰とは「自分をあきらめてキリストに頼ること」。
神が聖書と聖霊を通してキリストの栄光を示してくださるとき、心は変わる。(パウロの回心)
そして 結合 → 再生 → 悔い改めと信仰 → 義認 → 聖化 の流れの中で、弟子として従う歩みが実現する。
イエスさまは「あなたのすべてを捨てなさい」と言われます。でも、それは自分の努力ではできません。
だからこそ、神が御言葉でキリストの栄光を見せ、聖霊が心を変え、「無理だったこと」を「従いたい心」へと変えてくださるのです。
「代償を量りなさい」という命令は、私たちを落ち込ませるためではなく、キリストの恵みに満ちた招きへ導く真実の問いかけなのです。


十字架の御業と本当の救い
「十字架の御業」、また「あがない」は救いにおける中心教義です。
これをわかっていないということは、その人は救われていないのか?
ここについて少し話したいと思います。
救いというのは、どのように私たちに来るのか?
聖書をしっかりと見つめて考えていくと、聖書はこのように言っています。
救いにおける一番重要な部分、それは「選び」です。
そして選びに基づいて何が行われているかというと、イエス・キリストとの結合の中において選びが行われているのです。
この選びの現れは、神の御指によって行われています。
決して私たちの意思によるものではありません。
また、決して私たちの知識によるものでもないということを理解する必要があります。


律法による義、信仰による義-律法主義、霊的戦い神学、福音の三要素はなぜ十字架の御業を冒涜するのか
信仰による義がもたらす結果
ローマ10:1-11はキリストとの結合を源泉とする救いの実際的な適用を説明している。信仰から来る告白は義認の条件と言うより、むしろ、救われた結果の信仰が外的・継続的にその人に現れると言う聖化そのものである。
・ローマ10章の中核
救いの土台はすでに成し遂げられたキリストの御業
人は自分の努力で天に登ったり、死の陰府からキリストを引き上げたりすることはできない(10:6–7)。 これは「律法による義」の不可能性を示す。
すべてはすでに キリストの受肉・死・復活という完成された福音 による。
信仰による義は、人間の行為ではなく、神の恵みの絶対的主導。
信仰と告白は聖霊によって与えられた心の動機のあふれ
「心で信じて義と認められ、口で告白して救われる」(10:9–10)。
スプロールはこれを「救いを獲得する条件」とは理解しない。
むしろ、神が新しい心を与えたときに必ず現れる内的動機の外的表現。
したいこと=志しとしての告白であり、律法主義的な「しなければならない」ではない。


新しく生まれる、救い
1. 救いとは何か?
多くの人は「救い」を「死んだあとに天国に行けること」と考えます。
しかし聖書の救いは、もっと、もっと大きいです。永遠の時の始まる前から、永遠の未来までを貫く神の憐れみと恵みのご計画です。救いとは神の意思により、ある人々を選び、永遠の滅びから救い出すことです。
エペソ1:4-5
「神は世界の基が置かれる前から、私たちをキリストにあって選び…愛をもって御子により子にしようとあらかじめ定められました。」
そして救いは今、現在、生きている中で現実に起こります。その救いのすべては神の憐れみといつくしみによる、神があなたに送られた贈り物です。
•あなたを罪の奴隷状態から解放する(ローマ6:18)。
•神との新しい関係に生きる(Ⅱコリント5:17)。
•神の子として造り変えられる(エペソ2:10)。
「しかし、あなたの救いは、永遠の時の始まる前に、キリストにあって、神によってキリストに結び合わされ、そして神が人々を選びました。それは永遠の選びです。そして私たち時の中で神が実際にあなたをキリストに結合させます。


聖書は誰のために書かれたのか神との結合 ルカ8:43–48における真の救い
1.聖書解釈の鉄則:神の主権の視点から読むこと
聖書解釈の第一の鉄則は、神の主権に立って永遠のご計画の視点から読むことです。救いも「信じる」ということも、すべて神の御意志と御業によって成り立っています。人間の信仰・意志・行いは、神の選びと摂理に基づく結果です(ローマ9:16)。


キリストとの結合と摂理 ― 救いのすべてがそこから始まる ―
キリストとの結合(union with Christ)とは、神が選んだ者をキリストと霊的に結び合わせることです。この結合のうちで、私たちは「キリストにある者」とされ、そこから再生・信仰・義認・聖化・栄化といった救いのすべての恵みを受けるのです。
この結合を、3つの側面で理解します。
全人格的:真の信仰者の思い・感情・意志・存在すべてがキリストと結びづけられ、その思い・感情・意志・存在すべてはいつもキリストの影響を受けていきます。
契約的:永遠の約束です。神は永遠の救いを約束として信仰者に与えました。それはキリストと信仰者が約束によって結合しているからです。
有機的:ぶどうの木と枝のように、キリストに絶えず依存して生かされていると言う霊的事実の結合です。


「救いと教会 ― 教会との結合」
「教会に属していないと救われないのですか?」「救われたあと、自分に合った教会を選べばいいのでは?」この問いは、現代の教会、信仰者、すべての人々にとって非常に重要な問題です。
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