新しく生まれる、救い
- thewordforyoujapan
- 9月13日
- 読了時間: 9分
2025.9.7 新しく生まれる、救い 礼拝メッセージ
1. 救いとは何か?
多くの人は「救い」を「死んだあとに天国に行けること」と考えます。
しかし聖書の救いは、もっと、もっと大きいです。永遠の時の始まる前から、永遠の未来までを貫く神の憐れみと恵みのご計画です。救いとは神の意思により、ある人々を選び、永遠の滅びから救い出すことです。
エペソ1:4-5
「神は世界の基が置かれる前から、私たちをキリストにあって選び…愛をもって御子により子にしようとあらかじめ定められました。」
そして救いは今、現在、生きている中で現実に起こります。その救いのすべては神の憐れみといつくしみによる、神があなたに送られた贈り物です。
•あなたを罪の奴隷状態から解放する(ローマ6:18)。
•神との新しい関係に生きる(Ⅱコリント5:17)。
•神の子として造り変えられる(エペソ2:10)。
「しかし、あなたの救いは、永遠の時の始まる前に、キリストにあって、神によってキリストに結び合わされ、そして神が人々を選びました。それは永遠の選びです。そして私たち時の中で神が実際にあなたをキリストに結合させます。
その瞬間から私たちの時の流れの中での救いが始まります。神の救いを理解することはできません。ただ、神の救いはとても深く、人にはとても計りえないのです。」
それはただ憐れみといつくしみに満ちています。
2. 人は生まれつき罪人
聖書ははっきり語ります。私たちはみな、生まれながら神から離れています。人はみな、罪人であり、自分から神を探したり、神を選んだりすることはできません。
ローマ3:11には「義人はいない。正しい者は一人もいない」「神を求める者はいない」と書かれています。つまり、私たちには「神を愛し、信じる力」がないのです。
「もし神がこの私たちの考え方を変えてくださらなければ、誰も自分が芯まで腐っている罪人であると認めて、神に助けを求めません。」
3. 完全な堕落
この状態を「完全な堕落」と呼びます。これは「人が常にとても悪い行動しかしない」という意味ではありません。
それは頭・心・意志のすべてが罪に汚されているため、
•頭(考え)は神を正しく理解できず(ローマ1:21)
•心(思い)は光よりも闇を愛し(ヨハネ3:19)
•意志(選ぶ力)は神に従うことができません(ローマ8:7)
だから人は自分の力では神を選択したいと思わず、正しいことを行うことができません。滅び行く人々は自分は芯まで腐っていないと主張し、自分には少しでも良いところがあると言います。
ですから、罪人が自分の醜さを認め、神に助けを求めることは100%神の恵みでしかありません。
4. ニコデモという人に語られた「新しく生まれる」
ヨハネ3章で、ユダヤの国会の指導者ニコデモが夜にイエスを隠れて訪ね聞きました。どうしたら神の国に入ることが出来ますか?
イエスは彼にこう言われました。
「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることができない。」(ヨハネ3:3)
イエスの回答は「新しく生まれる」とは人間の努力、地位、財産では無理、聖霊によって心が造り変えられることだと。
ニコデモはイエスが言ったことを受け入れることができません。彼はユダヤ人の中のエリートでユダヤ教という宗教を誰よりも極めていました。今まで自分が築いてきた地位、学問を捨ててどうしろというのかという抵抗感でいっぱいです。
ニコデモは「大人がもう一度母の胎に戻れるのですか?」と聞き返しました。
それはニコデモの「無理」という回答でした。
イエスはさらにこう言われました。
「新しく生まれる」とは人間の努力、地位、財産では無理、聖霊によって心が造り変えられることだと。人間には無理、神にしか出来ないと言いました。
5. 十字架の御業との結合 十字架にすべての赦しの秘密がある
•神がまず、私たちをキリストに結び合わせてくださる(結合)。
•その結合の結果として、私たちは新しく生まれる。
•そして信仰と悔い改めが心のとても深いところから湧き出します。
「信仰と悔い改め」とは何か?それはとてもシンプルです。
1.自分が芯まで腐り果てており、絶望しかなく、
2.神にただ助けてくださいと願う思いです
3.それが信仰であり、悔い改め
キリストについて語られるときに、神はキリストとあなたの魂を結び合わせます。
•ローマ6:3–5
「私たちはバプテスマによってキリストと結び合わされ、その死にあずかったのです。…もし私たちがキリストと一体となって死に似たものとされているなら、復活にもあずかるのです。」
•ガラテヤ2:20
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
•コリント第一6:17
「しかし、主と交わる者は主と一つの霊です。」
•エペソ2:5–6
「罪の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かし、…キリスト・イエスにおいてともによみがえらせ、ともに天の所に座らせてくださいました。」
•エペソ5:31–32
「二人は一体となる。この奥義は偉大です。私はキリストと教会について言っているのです。」
この結合により、信仰者は十字架の上のキリストと魂の結合によって死に、そして、キリストとともによみがえることを自分のものとします。
それは、その人がこのことを認識すること、理解しているかどうかではありません。
ただ、神だけがあなたをキリストに結びつけることができます。
その結果、あなたは信仰と悔い改めが起こります。
繰り返しいいます。その信仰、悔い改めはとてもシンプルです。
とても心の深いところから湧き出してきます。
ルカ18:13
「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』」
この「信仰、悔い改め」はその人の魂が神によりキリストに結び合わされていることを示します。この人は2000年前に十字架の上のキリストと一体となっており、キリストと共に死んだのです。神がそのことを行ったのです。
この人はキリストのみことばを通して、自分に起こったことをのちに理解していきます。
キリストの十字架は単なる象徴ではありません。キリストとの結合により、キリストに結合された人の魂は十字架のキリストとともに死んだと言うと言う歴史的な現実と一体となります。
十字架の死
死んだ人は2度と裁かれることはありません。神はキリストの身代わりの死によって私たちが受けるべき罰を受けてくださり、キリストとの結合は私たちの罪をその主の命を代償にしてすべて許されたのです。
6. 救いは生き方を変える(動機の転換)
救いとは「気分がよくなること」でも「努力して良い人になること」でもありません。この福音により人は罪が赦され、平安と喜びを得るとき、心の動機が変わり、生き方全体が変えられます。
1) たとえ話、学校
ある生徒がいました。いつも先生の目を盗んでカンニングしたり、友だちをからかったり、自分のことしか考えていませんでした。
しかしある日、福音を聞きました。
その時、心の底から自分が芯まで腐り、どうしようもないと神に助けを懇願しました。彼の心は深く、深く、神のあわれみといつくしみの深さにこころ打たれました。
「イエス・キリストは私の罪のために十字架で死に、よみがえられた。こんな私で良いですか?私は赦され、神に受け入れられ、永遠の御国が約束された。私は受ける資格はありません!」
それから、彼は聖書を貪るように読み、教会に来てキリストとの結合、すべてが神の贈り物であることを学びました。
赦されたこと、平安、憐れみを受けた感謝、そして永遠の御国の保証から来る喜びが胸を満たしました。
そして、生き方が変わり出しました。
•正直に答えるのは、赦された者として神の前に立ちたいから。
•弱い友だちを守るのは、憐れみを受けた自分が憐れみを示したいから。
•「自分のため」でなく、永遠の御国を見据えて神に喜ばれるために行動するようになったのです。
これは努力の結果ではなく、神から与えられた新しい心でした。
2) たとえ話、家庭
ある家庭に、父を批判し、母を批判して、さみしさと不満に満ちている子がいました。
しかしある日、福音を聞きました。
その時、心の底から自分が芯まで腐り、どうしようもないと神に助けを懇願しました。彼の心は深く、深く、神のあわれみといつくしみの深さにこころ打たれました。
「イエス・キリストは私の罪のために十字架で死に、よみがえられた。こんな私で良いですか?私は赦され、神に受け入れられ、永遠の御国が約束された。私は受ける資格はありません!」
赦されたこと、平安、憐れみを受けた感謝、そして永遠の御国の保証から来る喜びが胸を満たしました。
それから、彼は聖書を貪るように読み、教会に来てキリストとの結合、すべてが神の贈り物であることを学びました。
だから態度が変わりました。
•不満と悲しみの子が、感謝に動かされて仕える子に。
•反抗していた子が、平安のうちに父、母を許し、正しいことを実行する子に。
救いは死んだあと天国に行くことだけじゃない。今、生きているこの時から始まっています。
神は赦しと憐れみをその子に与えました。それは選びの喜びと永遠の平安に生かされることです。
7. 問い:「人は信じるから新しく生まれるのか?それとも新しく生まれるから信じるのか?」
答え:聖書は明確に語ります。
神が先に結合を与える → そこから新しく生まれる → その結果として信じる。
もし人間の信仰が先なら、救いは人間の弱い意志にかかってしまいます。
しかし神が先に命を与えるなら、救いの土台は人間ではなく神にあるのです。神が行う救いは確かで揺らぐことがありません。神の意思で行われることは神の約束であり、神は必ず守ります。
8. 神の救いは確かで永遠
•新しく生まれるのは神のわざであり、人ではなく神が始められる。
•神が始めた救いは必ず完成される。
•神の力は永遠に続くので、救いも永遠に確かである。
パウロはこう語ります。
「もし誰かがキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、新しいものが来ました。」(Ⅱコリント5:17)
救いの確信は、自分の感情や努力ではなく、キリストが自分の魂と一体であるという不動の土台に置かれています。神が造り出す、新しく創造なのです。
まとめ
•人は生まれながらに罪人であり、完全に堕落している。
•神が人をキリストに結びつけ、新しく生まれ、信仰、悔い改めが生じる。
•救いはあなたの動機を変え、生き方を根本から少しずつ変える。
•神が始めた救いは永遠に失われない。
それは十字架の上でキリストとあなたが一つとなり、キリストとあなたが罪に死んだからです。
3日間キリストは葬られ、3日後によみがえりました。あなたはよみがえりのキリストと共に共によみがえりました。
ローマ6:10-11
「なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」
ローマ8:1
「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」
