神との結合10 律法、罪からの解放
- thewordforyoujapan
- 9月6日
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神との結合10-1 律法、罪からの解放 2025.8.5
キリストとも結合が私たちをどのように罪と律法から解放しているのか
ローマ書から学ぶ
ローマ人への手紙 7章1~2節
"1それとも、兄弟たち、あなたがたは知らないのですか──私は律法を知っている人たちに話しています──律法が人を支配するのは、その人が生きている期間だけです。
2結婚している女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死んだら、自分を夫に結びつけていた律法から解かれます。"
【1】ローマ7:1–3におけるパウロの意図:「死=効力の消失」
パウロはまず「律法が人を支配するのはその人が生きている間だけだ」と述べ(7:1)、次に日常的・法的に知られた例――結婚関係を用います:
「夫が生きている間は、女は律法によって夫に結ばれている。しかし夫が死ねば、女は夫に対する律法から解かれる」(7:2)
この文脈での「夫の死」は、夫という人物の消滅そのものよりも、女に対する夫の支配(法的拘束力)の終了=効力が消滅したことを意味しています。
• 死とは、支配の終わりであり、律法の効力が対象者に対して無効化されることを象徴します。
• これは「死が全ての関係を断ち切る」という神が定めて永遠にに変わることのない原則です。
【2】7:4 信者はキリストとの結合によって律法に対して死んだ
ここでパウロはこの比喩から信仰者と律法との霊的現実へと話しを切り替えて行きます。:
ローマ7:4
"ですから、私の兄弟たちよ。あなたがたもキリストのからだを通して、律法に対して死んでいるのです。それは、あなたがたがほかの方、すなわち死者の中からよみがえった方のものとなり、こうして私たちが神のために実を結ぶようになるためです。"
この文脈でのポイントは:
• 律法が死んだのではなく、信仰者が律法に対して死んだ。
• それはキリストに結合された、そして十字架と復活にあずかることによって起こった。
•この死は、律法が信者に対してもはや支配・効力を持たないという意味で、「律法の支配の終り」を表します。
しかし、その終わりはすべての人々にとっての終わりではなく、キリストに結ばれた者に与えられた終わりであり、永遠の分離です。
【3】まとめ:7:1–3の原則が、信者に起こった霊的現実の意味
• 原則(7:1–3):死は律法の支配を終わらせる。
• 適用(7:4):キリストとの結合によって、信者は律法に対して死に、律法の効力は無効となった。
ゆえに――
「パウロは7:1–3で“死=律法の支配の無力化”の原則を説明して、その原則を、キリストとの結合により信仰者に起こった現実にあてはめて説明した」
・この理解は極めて的確な文脈的、神学的であり、表面的な知識だけでなく、本質を見抜いた理解です。
まとめ
ローマ7章においてパウロはまず、律法が人を支配するのはその人が生きている間だけであるという律法の原則を話した。
その上で、夫の死によって妻が律法の拘束から解かれるという例を示す。ここでの「死」は、夫の妻に対する支配権の消滅を意味した。
それは律法がキリストに結合されている者に対して支配的な力を失ったと説明しています。
続いてパウロは、この原則をキリストと結合している者にあてはめて話した。
すなわち、真の信仰者はキリストとの結合によってキリストと共に十字架で死んでいる。キリストはまことに人であり、真の信仰者はこのキリストとともに律法に対して死んだ。罪に対して死んだ。自己に対して死んだ、この世に対して死んだ。キリストとの結合は信仰者をキリストとともに死につけた。
ゆえに律法はもはや信仰者を支配することは出来ない、信仰者は神である復活された永遠の神、キリストに結ばれており、実を結ぶ者とされた。律法の効力は信仰者に対して無効となり、その人はもはや律法の下にいない。裁かれることはない。罪の支配的な力を無力にしました。
罪も自己もこの世もはや信仰者を支配する効力を失った。しかし、それらが消えてなくなることではない。
"「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。"
コリント人への手紙 第一 15章55~57節
ここで言う死とは原罪、罪の性質のことを指します。
それらは今まではあなたにとって主人であったがもはや主人ではない。あなたはキリストに贖われ、神のものとされた。あなたの主はキリストです。

