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御霊に満たされる

  • 5月9日
  • 読了時間: 16分

2026.5.6 The Word for you

 このメッセージは、人間中心主義的な「御霊に満たされる」という誤った概念を打ち砕き、神の主権と摂理、そして試練の中での再創造を強調する非常に力強く、厳格な福音の宣言です。


## メッセージ:御霊に満たされる


 今日のメッセージは、「御霊(みたま)によって満たされる」というメッセージですが、この教義をいくら聞いても分からない人は分かりません。それはなぜかと言うと、僕が思うのは、今まで聞いた「御霊に満たされる」という考え方がものすごく邪魔をしているからです。

 しかも、それは現象や感覚、あるいは**恍惚(こうこつ)**だとか、いわゆる本当のキリスト教が言っている「御霊に満たされる」ということとかけ離れた、別の宗教になってしまっています。そこに長くいて、それがそうだと思っているので、一向に「御霊に満たされる」が現実になってきません。それは何かと言ったら、もう開口一番分かるのは、**「試練から逃げたい」**ということです。

「私は試練が嫌です」。ここに行き着く。

「試練はサタンが働いている」。

「なんで私ばっかりに悪いことが起こるんだ」。

それは、滅びと試練が非常に密接に結びついていることを理解していないからです。


 それを理解するということは、救いの全体構造を理解するということですが、そう言っても分からない人がいます。例えば、誰かみたいに、救いの全体構造を何度言っても、何のことだか分からない。それは残念ですが、神様がそういう風に**照明(しょうめい)**されてないので、その人は分かりません。いくら言っても。

ですが、憐れみ深い神様に「あなたが心から教えてください」と何度も何度も祈って頼んだら、神様は教えてくれるかもしれません。


### 救いの構造と御霊の満たし

 まず、救いの構造は何ですかというのであれば、**永遠の結合**、そして**再生**、そして**信仰義認(しんこうぎにん)**、**聖化(せいか)**、そして**栄化(えいか)**。これ全体が救いの構造で、そういう風に聖書を読む時に理解する必要があります。この部分が理解されていない中で、御霊に満たされるということは理解できません。すなわち、この構造の中において、御霊に満たされるという、神の創造の御業が現れるということです。

 

 信仰者が御霊に満たされると言った時に、御霊に満たされるということを自分で行うことはできないです。「私は御霊に満たされたい。だから御霊に満たしてください」と願っても、神はそのように来ないです。なぜなら聖書の福音構造をすでに神は示しているから。それは、**神の支配があなたの人生に現れる**ということです。すなわち、神のご支配は御霊に満たされる中にあります。


 あなたが嫌いな試練、苦しみ、弱さ、砕き、こういったものはどうやって現れてくるかというと、**摂理(せつり)**の中で現れてきます。すみませんが、摂理が分かんない人はもう理解できないです。それは自分で、摂理というのは何なのかというのを、ちゃんと復習してください。何度も語っていますから。試練、苦しみ、弱さ、砕き、摂理があなたを取り囲みます。

 

 そして、その中において、肉から来る自分の力、「自分で何とかしよう」「自分は大したもんだ」と思うこと、また偶像、自己依存、こういったものに、神様は何をするかというと、**砕く**んです。


### 偽りの「満たし」への警告

 御霊に満たされるというのは、実際に現れるものです。それは、何か修行的なことをするだとか、音楽をガンガン鳴らして自分の心が高揚するだとか、恍惚になるだとか、そういった人間のアクション、人間の行いによって得られるものではないということです。多分みなさんそういうところから出てきたでしょ?


 でも、あなたは、音楽が鳴って照明がチカチカして神聖な音楽が流れる、その中であなたの心は感動する。しかし、電気がパッとついて家に帰る。現実の中に生きる。そうすると、途端にあなたは現実の中に引き戻されて、その中に何がありますか? 自力、高慢、偶像、自己依存があるでしょう? そして、神を信じるどころか、神を否定するでしょう?


 それは、御霊に満たされていなくて、あなたが満たされたと思っているのは音楽なんです。音なんです。自分の感情、自己暗示、そういったものであなたは満たされているんです。だからあなたが「御霊に満たされている」というふうに思っているものは、御霊の反対で**肉に満たされている**んです。


 肉に満たされて生きる歌があるじゃないですか。「御霊に溢れ生きる」……あなたが手を挙げて心を向ける、誰に向けるの? 神を知らないのに。そして**舌振り(したぶり)**をして、御言葉もないのにあなたは自分の肉を満たしていくんです。そうやって。だから「御霊に溢れ」じゃなくて「肉に溢れて」生きるんです。  そして、行いが示します。あなたは神に属していない。


### 信仰の正体と「再生」

 信仰者にある信仰というのは、人間の決意ではありません。何回も言っています。信仰者の信仰というのは、祈ることではありません。一生懸命祈ることではありません。

 信仰は、一生懸命祈るという人間の熱心そのものではない。祈りも御言葉も、神が与えた信仰から生じる実です。

 聖書を一生懸命読んで、朝から晩まで読むことではない。信仰者の信仰とは、人間の決意ではない。

一生懸命祈ることそのものでもない。聖書を朝から晩まで読むことそのものでもない。祈りも、御言葉を読むことも、信仰の原因ではない。それらは、神が再生によって与えた信仰から生じる実です。


 信仰者の信仰は、あなたが神によって……あなたがといっても、肉のあなたではなく、新たに生まれた人。神によって、永遠の時の始まる前に、あなたはキリストにあって選ばれる。すなわちキリストと結合する、そして選ばれる。これ同時に起こっています。別々のイベントではありません。「キリストにあって選ばれ」という言葉は、あなたは結合し、そして選ばれているということが、永遠の時の始まる前に同時に起こっているという風に考えないといけません。選ばれてから結ばれるとか、結ばれたから選ばれる、それはどういうタイミングですか。聖書はそんなことを言ってないでしょう?


 そして、あなたが一番嫌いな「信仰義認」から、「聖化」の話に入っています。信仰義認というのは再生された者じゃないとダメです。再生というのは時の中において、あなたが神によって新しい心を与えられる。神によって与えられる。だからあなたはどこにもいないんです、そこに。私はいないんです。私が何かしたもないんです。私が信じたもない。あなたは神によって与えられるんですよ、それを。


 そして、与えられたあなたには何が来るか? それは、そのプロセスにおいて、すでに神はあなたを試練の中に置いている事実があるんです。何もなく、あなたは与えられないんです。神の御言葉は、あなたが絶えず自分を減少させられる、自分が否定される、自分が壊される中において現れてくると言っているでしょう。それはあなたの救いの一歩からそうなんです。


### 打ち砕かれる中で与えられる信仰

 あなたは時の中において、信仰を与えられるでしょう。この最初のところから注意して聞いてください。もうやめてくださいよ、「今までの私は……」というのは。もう捨ててください。いい加減にもう、それは救いではありません。「私は」は。


 何度も言ってるから、心にある愚かな考えを捨ててください。「私は」だとか「信じたら救われる」とか、そんなことは聖書は言いません。「あなたは選ばれたから救われてるんだ」ということを聖書はずっと言っています。

 

 この神秘に立つ時に何が起こるかと言うと、あなたは自分が「もう何をやってもダメだ」っていうところに置かれるわけです、神様に。救いの一丁目一番地です。最初のところでもうそれが来るんです。


 そしてあなたは知らない間に、風のように神があなたに訪れて、あなたの心を新しく入れ替える。そして信仰があなたに与えられる。あなたの内に**創造される**んです。信仰は「ポイッ」と与えられないんです。そんなね、調子よくいかないんですよ。あなたの心が打ち砕かれる中において、**「私は神に頼るしかない」**。これが信仰でしょ?

 この、「私は神に頼る。私には正しいことなどできない。私は間違っている」。

この心があなたに現れる時、それは神の創造があなたの内に現れているということです。それは信仰があなたの内に現れている。それが「信仰を与える」という意味です。


### 聖化:精錬の火による純化

 その信仰は、御霊の働きです。聖霊と御霊はどう違うんですか? 聖霊は外側からと言います、御霊は内側からと言っています。御霊が働くというのは、あなたの内に支配が、神の支配が広がっていくということです。


 聖化の過程というのは、あなたが清くなっていく、キリストに似たものになっていく過程です。この過程は、あなたの力では起こりません。あなたが宗教心を持ってもダメです。あなたの自力ではなりません。聖化の過程というのは、本当に神があなたの人生に、あなたの日常におられて、神がそれを導く。すべてのことをあなたのために、神が試練として置くんです。


 それは**精錬(せいれん)の火**と言われます。火は裁きと、そして精錬の二つを表します。精錬は信仰者、選ばれたもの、キリストと結合したものを、神の支配で満たすことを行います。神の支配で満たすというのは、あなたが神に跪(ひざまず)くということですよ。「はーっ」て手を挙げて「私の内に心に平安が来た」という理解は、あなたがそこにいることがわかります。それは肉があなたの内で働いています。


 御霊に満たされるというのは、あなたが苦しみの中にいる中において、神にしか頼るものがないというところまで置かれた時に、あなたは神に頼ります。この神に頼る心というのは、神が創造されたもので、この頼る中において、このように起こります。**苦しみと悲しみと、神の平安がそこに同時に現れます。**


 明日から会社行くでしょ? 行きたくないよね? ああ嫌だなあと思うでしょ? まあ私も今日会社行きましたけど、嫌だったですね。そうすると肉はいろんな思いを持ってくるでしょ? 嫌な思い出、挨拶しない人もいるだとか、そういうようなことを通して、あなたに否定的な思いを渡すでしょう。逃げたいでしょう。

 でも、神はね、それをあなたが歩いていく**荒野(あらの)**にしているんです。それは一つの事例です。仕事だけじゃないです。あらゆることが、神はあなたを通して、あらゆることをあなたのために益とする。ただし、あなたの益と神の益は違うという前提をあなたは理解しなければならない。


 あなたの益は自己中心で、自分さえ良ければよくて、自分に良いことが起こって、得することが起こって、自分の心が安心なことが起こって、それがあなたの益でしょ? 神の益は全く違うんですよ。それはあなたの人間中心を否定する、あなたの自己中心を壊すんですよ。あなたの偶像を壊す。そのためには、神はあらゆることを使ってあなたを導く。どうやって? 荒野へ。ホセヤ書で学んだよね。神は(妻)ゴメルを荒野に連れて行くんです。聖書はあらゆるところにおいて、そういう試練と、そして御霊に満たされるが密接に結びついていることを説明します。


### 肉の基準が引き剥がされるプロセス

 私たちが信仰を与えられるというのは、新しい心がだんだんできるんじゃないでしょう。新しい心は再生の時、新しく生まれた時に一回だけ、すでに完全に与えられるんです。その心は神の言葉を聞く能力がある。神の心、御心を知る能力がある。それは神ご自身があなたと結合するから。そしてそれは完全に再生の時に行われているんです。だから、あなたに足りないものはもうないんです、実は。

 時の中において、神はあなたと結合し、再創造します。その再創造というのは新しい心をもらうということです。一回きりです。そして神は決してあなたを離れることはありません。あなたは永遠に結びつけられます。


 では、聖化の過程で何が起こるのか。それは、あなたはまだ肉の人です。あなたの意志、感情、思いの中に、この世の基準が入っています。その基準はあなた自身です。あなたの思い、意志、あなたが思う常識、あなたが欲しいもの。あなたはそのような人間です。それが罪人の姿でしょ。

 そうすると神は、御霊に満たすという過程の中で何をするか。神はあなたに精錬の火であなたを**純化(じゅんか)**していく。それはどうやっていくんですか? 試練を通して。その試練は最初から100%はしません。最初はあなたは泥水なんです。しかも極度にひどい泥水。そのように考えたらわかりやすいです。あなたは人を恨んだり、偽りの宗教に入ってたでしょ。そして神を冒涜し続けたんです。


 神はその大きなところからあなたを変えていきます。あなたを偽りの宗教から引きずり出すんです。あらゆる手段を使って、神はあなたを偽りの宗教から引き離し、偽りの思想を引き剥がします。だから最初にあなたに起こったことは何かと言ったら、偽りの思想から引き剥がされたことだと思います。それは大きな、目に見えてわかる汚いものです。それを引き剥がすということをします。それはちょうど、泥水の一番汚い部分を大きなフィルターでかっさらうことです。そうすると少し純化します。次に神は、さらに細かい網で純化を始めます。そうやって、純度が増していくんです。


### 荒野での「顕現」

 聖なる神が、キリストと結ばれたものを日々の摂理、試練の中において支配されます。神が導いています。荒野へ導くのは神です。あなたは知らないだけです。あなたが荒野、何もないところ、偶像が引き剥がされるところ、自分が潰されるところ、自分が逃げたいところにあなたがいるのは、神が導いているからです。

あなたはそれを否定したい。だから神に言います。「どうしてあなたは私をここに置くんですか」。でも神は御言葉を通して最初から言っています。あなたはただ御言葉を読めない人間、聖書を知らない人間です。自分が何を言っているのか分かっていない。しかし神は一貫して同じことを言います。


「私があなたを荒野に誘い込んだ。私は栄光から栄光へ、キリストの形にあなたを変える」

 神はそこで、その荒野で、新しく作られた心を現していくんです。これを**顕現(けんげん)**と言います。再生の時にすべて与えられているものが、時の中において、この試練を通して現れてくる。それが信仰であり、神を求める思いであり、悔い改めなんですよ。それは荒野で現れてくるんです。

 神を信じなければ生きていけない心、偶像には頼れない心。キリストに頼らざるを得ない心、言葉が生きる心。それが再生の時にあなたがいただいた新たな創造の現れなんです。そしてそれを、パウロは「愛によって働く信仰」と言ってるんですね。

> 「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないかは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラテヤ5:6)

>

それは時中で現れる、神の再創造の技なんです。それがあなたの心の中に信仰として現れ、悔い改めとして現れてくる。信仰と悔い改めは言ってみればコインの表と裏です。切り分けることはできません。


### 御霊の満たしと「方法」の拒絶

 つまり、御霊に満たされるというのは、再生時に新しい創造として作られた心が、聖化という中で現れること。それは、あなたが願って現れるのではありません。神があなたを荒野に置いて、その内側に新しい創造が現れます。

 それは、平穏な時に現れるということはあまりありません。むしろ、試練と苦しみの中で明らかにされていきます。聖書はそのように言っています。ヘブル11章、ヤコブ書、パウロもそう言っています。神は摂理によって信仰者を砕かれ、試練において肉を焼かれる。弱さの中で、神は「キリストに頼るしかない」というその心を働かせます。

 この、「キリストに頼るしかない」という心は、神の恵みが私を覆うと言ったパウロの信仰告白そのものです。パウロが「トゲを取ってください」と言って、主は「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と言われました。弱さの中で、キリストに頼る。この「頼る」というのは、あなたが頼るのではありません。神があなたを頼らせるという、神ご自身の働きによって現れます。

 金が火の中で不純物を取り除かれるように、信仰者も試練の中で、自力や誇りや自己憐憫や肉の安心、見えるものへの依存が引き剥がされていきます。あなたはすがるから、引き剥がされると言った方が正しいです。だから痛いですよ、すごく。

 ですから、「どのように御霊に満たされたらいいですか」という質問は肉です。なぜなら、それは「方法」に落ちているから。警告します、あなたがそのように考えた時に、あなたは肉によって歩いています。パウロはその結果として、賛美、感謝、服従があると言っています(エフェソ5:19)。


### 真理の結論

 パウロもペテロもヤコブも言っています。「試練の中を歩きなさい」「それをこの上もない喜びとしなさい」と。

> 「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり……」(第一ペテロ1:7)

>

 しかし皆さんは、これを人間中心で読むので全く理解しません。そして否定します。「私には無理です」と。分かってないんです。

 神はこう言います。試練は偶然ではない、父の訓練だ。主はその愛するものを訓練される。だけどあなたは試練は嫌だと言います。「なんで私にこんなことが起こるんですか? 牧師さん、この試練が去るように祈ってください」。それが表面的なキリスト教がやることです。


 しかし、あなたたちはもうそういったものを捨てなきゃいけない。新しい創造は、神がすることです。あなたが関与する部分は一つもありません。誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく作られたものです。それは「愛によって働く信仰」であり、その実は愛、喜び、平安、寛容、親切、誠実、柔和、自制です。それが結果として現れます。


 私たちの「御霊に満たされる」というのは、神に信頼して試練の中に立たされること。その中において私たちは、御霊に満たされなければならないところに置かれ、神は確かに私たちを満たしていくんです。それは結果として現れます。あなたのその口から「私は、私は」という言葉が消え、「神が」という言葉が自然に出てきます。忍耐があなたに現れてくる。


 御霊が私たちの心を神に頼らざるを得ない心に変えて、支配していきます。それは神の業です。あなたじゃない。どうやって、ではない。神がやるから。じゃあどうします? あなたは今与えられた時に、誠実に生きるんです。御言葉に誠実に生きる。でもあなたは生きれません。だけど神はあなたをそこに置きます。そしてあなたはそのように生きざるを得ないものとなります。


 それが愛によって働く信仰、新しい創造のこの時代における**顕現(けんげん)**です。あらわれです。

 今、試練に遭っている兄弟姉妹たち。あなたはその試練を喜びなさい。飛び上がって喜びなさい。あなたの弱さの中に、神を頼らざるを得ない心があるということは、それは神の創造の御業が今現れている、神があなたを愛して働く信仰なのです。

方法に行ってはいけません。あなたは試練と向き合って、その試練を歩くんです。苦しい、会社に行きたくないという試練の中にあなたはいますが、そこであなたはキリストを見るんです。神がすべてを支配していることを忘れてはいけません。あなたは必ず、神によって御霊に満たされるものとなっていきます。


お祈り

 愛する天のお父様、私たちの人生があなたによって変えられ、保たれ、導かれてあなたに至ること、このことを心から感謝します。

 どうか御霊に満たされる私たちが、今までの宗教観や考えにとらわれることなく、試練の中を喜んで歩いていく者へと、あなたが変えてくださることを感謝します。

 この真理が守られますように。いかなることがあっても、この真理が私たちの中において「然り(YES)」となりますように。

 愛するイエス・キリストの御名を通して感謝してお祈りします。アーメン。

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