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ハイデルベルク信仰問答(Heidelberger Katechismus)

  • thewordforyoujapan
  • 11月7日
  • 読了時間: 22分

ハイデルベルク信仰問答(Heidelberger Katechismus)は、プロテスタント(改革派教会)で最も広く用いられてきた信仰教育文書の一つであり、特に改革派神学(カルヴァン主義)に基づいた教理問答です。

【基本情報】

• 作成年:1563年

• 作成地:ドイツ・プファルツ選帝侯領のハイデルベルク(Heidelberg)

• 主な編纂者:ザカリアス・ウルシヌス(Zacharias Ursinus)、カスパー・オレヴィアヌス(Caspar Olevianus)

• 目的:若い信徒や教会全体に、慰め・信仰・感謝に基づく福音中心の信仰教育を行うため

【構成と内容】

全体は**52の主の日(LORD’S DAY)**に分かれており、1年を通して毎週1つずつ学べるように設計されています。


構成は以下の三部構造に基づいています:

1. 人間の悲惨(罪)

(LORD’S DAY 2〜4)

人間の堕落と神の義による裁き

2. 人間の救い(贖い)

(LORD’S DAY 5〜31)

キリストによる救い、信仰義認、使徒信条、洗礼と聖餐

3. 人間の感謝(応答)

(LORD’S DAY 32〜52)

十戒と主の祈りによる、救われた者としての新しい生活

【特徴と神学的意義】

• 慰めを出発点とする:「生きるにも死ぬにも、私の唯一の慰めは…」(LORD’S DAY 1

• 福音中心:律法による恐怖ではなく、キリストによる慰めと感謝の生活を中心に据えている。

• 契約神学に基づく構造:神の約束と人の応答という契約的枠組みが貫かれている。

• 公同信仰の継承:使徒信条、十戒、主の祈りを基本テキストとしている。

【使用と影響】

• オランダ改革派、ドイツ改革派、アメリカの長老派・改革派教会などで広く用いられている。

• ベルギー信仰告白やドルト信条とともに、「三つの一致(Three Forms of Unity)」と呼ばれる改革派の基本信仰文書のひとつ。

以下は、ハイデルベルク信仰問答の冒頭(Lord’s Day 1〜11)を一般、高校生向けに、わかりやすく現代語で再構成した翻訳です。内容の忠実さを保ちつつ、やさしく、福音の核心が伝わるようにしました。


【ハイデルベルク信仰問答】入門


1. あなたの人生と死の時における、たった一つの慰めは何ですか?

それは、私が自分のものではなく、体も心も、人生でも死ぬ時でも、私の真実な救い主イエス・キリストのものだということです。

キリストは、自分の尊い血をもって、私のすべての罪の罰を完全に受け、悪魔の力から私を買い戻してくださいました。そして今も、天の父なる神の御心がなければ、私の髪の毛一本すら失われることがないように、私を守ってくださっています。

すべてのことが、私の救いのために働くようにしてくださるのです。

だから私は、聖霊によって永遠のいのちが与えられていることを確信し、今から主のために生きたい、という願いが与えられているのです。


2. この慰めのうちに生き、死ぬために、あなたは何を知らなければなりませんか?

3 つのことです。

1. 自分がどれほど罪深く、惨めな者か

2. 自分がどのようにしてその罪から救われるのか

3. 救ってくださった神に、どう感謝して生きるべきか

第一部:人間の惨めさ(罪)


3. あなたは、自分の惨めさをどこから知るのですか?

神の律法(十戒など)によってです。


4. 神の律法は、私たちに何を求めていますか?

イエス・キリストが言われたように、

「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが第一の戒めです。次に重要なのは、隣人を自分のように愛しなさい」ということです。


5. あなたは、これらを完全に守れますか?

いいえ。私たちは、生まれつき神をも人をも愛せず、かえって嫌うような性質を持っているのです。


6. 神は、私たちをそのように悪くつくられたのですか?

そうではありません。神は、最初の人間を「神のかたち」に従って、正しく、聖く、神を愛し、共に生きる者として造られました。

7. それなのに、どうして人間は今、堕落しているのですか?

それは、最初の人間アダムとエバがエデンで神に背き、堕落したからです。その結果、すべての人が罪の性質を持って生まれるようになったのです。


8. では、私たちはそれほど堕落しているのですか?

はい。私たちは、自分では何の善もできず、悪に傾く者になっています。神の霊によって新しく生まれなければなりません。


9. 神は、私たちができないことを律法で求めることで、不公平ではありませんか?

いいえ。神はもともと私たちが律法を守れるようにつくられました。しかし、人間が自ら神に背き、その能力を失ったのです。


10. 神は、そのような罪を見逃してくださるのですか?

決してそうではありません。神は、私たちの生まれつきの罪も、実際に犯す罪も、正しくさばかれるお方です。永遠の刑罰をもってさばかれるのです。


11. でも、神はあわれみ深い方ではありませんか?

もちろん、神はあわれみ深い方です。しかし同時に、正しい裁き主でもあります。ですから、神への罪は、永遠の罰によって償われなければならないのです。


第二部:人間の救い(贖い)


12. それでは、どうしたらこの罰から逃れ、再び神に受け入れられることができます

か?

神はご自分の正義が満たされることを望まれます。だから、私たちは自分で、あるいは他の誰かによって、その罰を完全に償わなければなりません。


13. 私たち自身で、その罰を償うことができますか?

いいえ。むしろ、私たちは日々さらに罪を重ねてしまいます。


14. では、他の被造物(天使など)に償ってもらえますか?

できません。神は、人間の罪を他の存在に背負わせることはなさらないし、どんな被造物も神の怒りに耐える力を持っていません。


15. では、どんな救い主が必要なのですか?

人間であり、しかも罪のない正しい方。そして、すべての被造物よりも力ある、まことの神であるお方です。


16. なぜ、救い主はまことの人でなければならないのですか?

神の正義は、罪を犯したのと同じ人間の性質によって償われなければならないからです。しかも、その人自身が罪を持っていては他人の罪の代わりにはなれません。


17. なぜ、その救い主は神でもなければならないのですか?

神としての力によって、人間として神の怒りを耐えぬき、私たちに永遠のいのちを与えることができるからです。


18. そのようなお方は誰ですか?

私たちの主イエス・キリストです。神が恵みによって、私たちの完全な救い主としてお与えくださった方です。


19. どうしてそのことがわかるのですか?

聖書の福音によってです。これは、エデンの園で神が約束され、預言者たちが語り、旧約のささげものなどによってあらわされ、ついにキリストご自身によって成就しました。

承知しました。続けて、**LORD’S DAY 7〜11(救いにあずかる信仰)**を高校生向けに翻訳していきます。

第三部:信仰によってキリストに結びつけられる


LORD’S DAY 7

20. では、アダムによって全人類が滅びたように、キリストによって全員が救われるのですか?

いいえ。本当の信仰によってキリストに結びつけられた人だけが救われ、そのすべての恵みを受けるのです。


21. では、「本当の信仰」とは何ですか?

本当の信仰とは、神のことばに書かれているすべてを真実として知ることと、心から信頼して受け入れることです。

その信仰は、聖霊が福音を通して働かれることで私たちの心に生まれます。そして、その信仰によって、神が私の罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださると信じられるのです。しかも、それはキリストの功績だけによって、ただ恵みによって与えられるものなのです。


22. キリスト者として信じるべきことは何ですか?

福音に約束されているすべてのことです。これらは、「使徒信条」と呼ばれる信仰のまとめに表されています。


23. それはどういう内容ですか?

使徒信条

私は信じます。

• 天と地を造られた全能の父なる神を。

• そして、そのひとり子、私たちの主イエス・キリストを。

主は、聖霊によってみごもられ、処女マリアから生まれ、

ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死に、葬られ、陰府(よみ)にくだり、

三日目によみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座しておられます。

そこから、やがて生きている者と死んだ者とをさばくために来られます。

• 私は信じます。

聖霊を。

聖なる普遍的教会(全世界にある神の教会)と、聖徒の交わりを。

罪のゆるし、からだのよみがえり、そして永遠のいのちを。


LORD’S DAY 8

24. この信仰の内容(使徒信条)は、どのように分けられますか?

3 つに分けられます:

1. 父なる神と、私たちの創造について

2. 御子イエス・キリストと、私たちの救い(贖い)について

3. 聖霊と、私たちの聖なる生き方(聖化)について

25. でも、神はひとりなのに、どうして「父・子・聖霊」の三つの人格を言うのですか?

それは、聖書がそのように教えているからです。神はおひとりですが、「父・子・聖霊」という三つの人格(ペルソナ)として、ご自身を表してくださいました。ですから、私たちもそのように信じるのです。

神についての信仰の内容

LORD’S DAY 9(父なる神)

26. 「私は、天地の創造主である父なる神を信じます」とは、どういう意味ですか?

それは、イエス・キリストの父である永遠の神が、天地万物を何もないところから造られ、今もそれらを保ち、支配しておられることを信じるということです。

この神は、キリストのおかげで、私の神、私の父ともなってくださり、私が必要とするすべてを備えてくださると信じます。

たとえ苦しいことがあっても、それさえも私の益になるようにしてくださると信じます。なぜなら、神は全能の神であり、また、愛と誠実に満ちた父だからです。

LORD’S DAY 10(神の摂理)

27. 「神の摂理(せつり)」とは、どんな意味ですか?

神の摂理とは、神の力と愛によって、すべてのことが神の御手の中で導かれているということです。

草や花、雨や晴れ、豊作や飢え、健康や病気、貧しさも富も…すべては「たまたま」起きているのではなく、神の父なる手によって起こされているのです。


28. 神の摂理を知ると、私たちにどんな良いことがありますか?

3 つの祝福があります。

1. 苦しみの時には、神の目的があるとわかって、忍耐できるようになります

2. 良い時には、心から感謝できます

3. 将来のことにも、神がすべてを支配してくださっているという安心感を持てます そして、どんなことがあっても、神の愛から私たちを引き離すものは一つもないという確信を持つことができます。


LORD’S DAY 11(御子イエス)

29. なぜ神の子は「イエス(救い主)」と呼ばれるのですか?

それは、イエスが私たちの罪から救ってくださるお方だからです。

そして、救いは、イエス以外のどこにもないのです。


30. 「イエスを信じている」と言いながら、他のもの(聖人・自分の努力など)に救いを

求めている人も、本当にイエスを信じているのですか?

いいえ。彼らは口ではイエスを信じていると言っても、実際にはその信仰を否定しているのです。

イエスを本当に信じる者は、イエスの中に、救いに必要なすべてがあると信じるからです。

もし他のものにも頼ろうとするなら、それは「イエスだけでは足りない」と言っているのと同じなのです。

キリストと私たちの救い(続き)

LORD’S DAY 12

31. なぜイエスは「キリスト」(=油注がれた者)と呼ばれるのですか?

それは、神がイエスを特別な働きのために任命し、聖霊によって油注がれたからです。その働きは、三つあります:

1. 預言者として、神の真理を語られること

2. 祭司として、十字架で自分自身をささげ、私たちの罪のために完全ないけにえとなられたこと

3. 王として、今も私たちを治め、守り、悪に打ち勝つ力を持っておられること

4. では、なぜ私たちも「クリスチャン(キリストに属する者)」と呼ばれるのですか?

それは、私たちが信仰によってキリストに結びつけられ、「小さなキリスト」として生きる者となるからです。

つまり私たちは:

• 神のことばに従って生きる預言者として、

• 自分の生活を神にささげる祭司として、

• 罪や悪と戦い、キリストとともに王として生きる者として、

この地上で生きるように召されているのです。


LORD’S DAY 13

33. なぜイエスは「神のひとり子」と呼ばれるのですか?私たちも神の子ではないの

ですか?

イエスは、永遠の存在として、神と本質を同じくする「本当の子ども」だからです。

一方、私たちは神の子とされていますが、それはキリストを通して神に受け入れられた養子としての意味です。


34. なぜイエスを「主」と呼ぶのですか?

それは、イエスが私たちを完全に罪から贖い(買い戻し)、自分のものとしてくださった主であるからです。

つまり、イエスはもう「一部の助け手」ではなく、人生のすべてを支配する主人、王なのです。

LORD’S DAY 14

35. 「イエスは聖霊によって宿り、処女マリアから生まれた」とは、どういう意味です

か?

これは、イエスが人間の普通の方法ではなく、聖霊の働きによってマリアの体に宿られたという意味です。

そのためイエスはまことの人間でありながら、罪を持たない完全な存在として生まれられました。


36. このように「まことの人」として来られたことは、私たちにとってどんな意味があり

ますか?

それは、イエスが私たちと同じ人間として、

• 私たちの罪の身代わりになり

• 神の怒りを受け止め

• 完全に償ってくださったことを意味します。

つまり、イエスは神でありながら人となられ、本当の意味で「私たちの代表」となってくださったのです。

キリストの苦しみと救いの完成

LORD’S DAY 15(苦しみと十字架)

37.「苦しみを受け、十字架につけられた」とはどういう意味ですか?

それは、イエスが生涯のすべてにおいて、特に十字架の上で、

神の怒りを受けて苦しまれたという意味です。

この苦しみは、自分の罪のためではなく、私たちの罪の身代わりとして受けられました。

イエスは完全に正しい方でしたが、私たちの代わりに罪人として扱われ、

神の裁きを受けてくださいました。

そのゆえに、私たちは神の怒りから解放され、神の子どもとして受け入れられるのです。


LORD’S DAY 16(死と葬り)

38. なぜイエスは「死なれた」と言われるのですか?

それは、罪の代価が「死」であるからです(ローマ6:23)。

イエスは私たちの罪の報いを完全に受け取られ、真の死をもって償いを完成されました。

この死によって、罪の支配は終わり、信じる者は永遠の死(神からの断絶)から救われたのです。

 

39. なぜ「葬られた」とも言うのですか?

それは、イエスが本当に死なれたことを確証するためです。

葬られたということは、キリストが「本当に死んだ」と公に示されたということです。

そして、私たちの古い人もキリストとともに葬られたのです(ローマ6:4)。

つまり、信仰によってキリストに結びつけられた者は、罪に対して死んだ者とみなされます。


LORD’S DAY 17(復活)

40. イエスの復活は、私たちにどんな益をもたらしますか?

  1. イエスの復活は、私たちの義が確かなものになったという証拠です(ローマ4:25)。

― つまり、神は御子の死を受け入れ、すべての罪が赦されたと宣言されたのです。

  1. イエスの復活は、新しいいのちの力として、私たちの心に働きます。

― 聖霊によって、罪の支配から自由にされ、新しい歩みへ導かれます。

  1. そしてイエスの復活は、私たち自身のからだの復活の保証です。

― キリストが初穂(最初の復活者)であるように、私たちも同じ栄光のからだによみがえります。


LORD’S DAY 18(昇天)

41. なぜイエスは天にのぼられたのですか?

それは、御自身の地上の使命を完成し、父の右の座に着くためです。

そこにおいてイエスは、王としてすべてを治め、信じる者のためにとりなし続けておられます。

また、天におられるキリストは、私たちの永遠の命の保証です。

私たちの「かしら(頭)」がすでに天におられるので、やがて「体(教会)」である私たちもそこに引き上げられるのです。


LORD’S DAY 19(再臨と裁き)

42. 「そこから来て、生きている者と死んだ者とをさばく」とはどういう意味ですか?

それは、イエスがやがて栄光の主として再び来られるという約束です。

そのとき、すべての人はよみがえり、キリストの前に立たされます。

  • 信じる者には、すでに裁きが済んでいます(ローマ8:1)。

― なぜなら、彼らの罪はすでにキリストの十字架で裁かれたからです。

  • しかし信じない者には、義なる神の裁きが下されます。

この再臨の約束は、恐れではなく慰めと希望です。

キリストが今も主として治めておられ、最後には完全な勝利をもたらされるからです。

聖霊と聖化の恵み


LORD’S DAY 20(聖霊)

43. 「私は聖霊を信じます」とは、どういう意味ですか?

それは、聖霊が父と子とともにまことの神であり、また、信じる者のうちに住まわれる方であると信じることです。

聖霊は、

  • キリストの救いの恵みを、実際に私たちに適用してくださる方です。

  • 福音を通して信仰を生み出し、

  • 日ごとに私たちをキリストに似た者へと変えてくださる方です。

聖霊によって、私たちはキリストと結びつけられ、神の子どもとして歩む力を与えられます。

教会と交わり


LORD’S DAY 21(教会と赦し)

44. 「聖なる普遍的教会と聖徒の交わりを信じます」とは、どういう意味ですか?

それは、キリストが、世界のあらゆる時代と場所から、

信仰によって呼び集められた民を一つの体として結んでおられる、という意味です。

この教会は、人間の組織ではなく、キリストご自身のからだです。

聖霊によって結び合わされた信徒たちは、互いに助け合い、祈り合い、愛をもって仕え合います。

だから教会の交わりとは、ただ「仲良くすること」ではなく、キリストを中心として一つにされることなのです。


45. 「罪のゆるしを信じます」とは、どういう意味ですか?

それは、キリストの十字架のゆえに、神がすべての罪を完全に赦してくださると信じることです。

この赦しは、部分的なものではなく、

「過去・現在・未来の罪」すべてがキリストの血によって洗い清められるという意味です。

神は、私たちを「義」と認めてくださり(義認)、

今も御霊によって聖めてくださいます(聖化)。

つまり、「赦し」と「きよめ」はどちらもキリストとの結合から流れ出る恵みなのです。

復活と永遠のいのち


LORD’S DAY 22(からだのよみがえり)

46. 「からだのよみがえりを信じます」とは、どういう意味ですか?

それは、死がすべての終わりではないということです。

信じる者は、死んでも魂がすぐにキリストとともにある喜びの世界へ行きます(ピリピ1:23)。

そして、キリストが再び来られるとき、

神は私たちのからだを新しくよみがえらせ、

キリストの栄光のからだのように変えてくださいます(ピリピ3:21)。

そのとき、死も苦しみもなく、罪ももう存在しません。

すべてが新しくされ、神の国が完全に現れるのです。


LORD’S DAY 23(永遠のいのち)

47. 「永遠のいのちを信じます」とは、どういう意味ですか?

それは、すでに今この地上で、キリストによって永遠のいのちを持っているということです。

永遠のいのちとは、単に「終わりのない時間」ではなく、神との親しい交わりの中で生きることです。

信じる者は、すでにこのいのちを味わいながら歩み、やがて再臨の日に、それを完全に受け取ります。

そのとき、「神ご自身が彼らとともに住み、涙をぬぐい去られる」(黙示録21:3–4)。

― これが信仰の完成、永遠の喜びなのです。

義認と感謝の生活


LORD’S DAY 24(義認と行い)

48. 私たちはなぜ「行いによって」ではなく、「信仰によって」義と認められるのですか?

それは、私たちの中には神の前に誇れる善が何一つないからです。どんなに良い行いをしても、罪の汚れが混じっており、神の完全な義には届きません。

だからこそ、神は恵みによって、キリストの完全な義を私たちに着せてくださったのです。信仰とは、自分の力を捨てて、このキリストの義により頼むことです。

「信仰によって義と認められる」(ローマ3:28)― それは、キリストとの結合によって、彼の義が私のものとされるという意味です。

 

49. では、良い行いには何の意味もないのですか?

いいえ。良い行いは、救いの原因ではなく結果です。つまり、救われるために行うのではなく、救われた者として行うのです。

神は、キリストに結ばれた者を新しく造り変え、その人が喜んで神を愛し、隣人に仕えるようにされます。これが聖霊による「新しい生き方」です。


LORD’S DAY 25(信仰の源 ― 恵みの手段)

50. そのような信仰は、どこから生まれるのですか?

信仰は人間の努力からではなく、聖霊の働きによって生まれます。聖霊は、**福音の宣教と聖礼典(洗礼と聖餐)**を通して信仰を育ててくださいます。

福音は、神の恵みを耳から心へ伝える「ことばの手段」。聖礼典は、その恵みを目に見えるかたちで示す「しるしと保証」です。


LORD’S DAY 26–27(洗礼)

51. 洗礼は、何を意味していますか?

洗礼は、キリストの血と御霊によって、私たちの罪が洗い清められたことを神が保証するしるしです。

水で洗うように、神は私たちの罪の汚れを取り除き、キリストの義によって新しくしてくださいました。つまり、洗礼は「キリストと結ばれた」ことの外的な証拠なのです。


52. では、洗礼の水そのものに力があるのですか?

いいえ。水ではなく、キリストの血と聖霊の力が罪をきよめます。洗礼は、信じる者にとって、神の約束のしるしであり、確かな保証なのです。


LORD’S DAY 28–30(聖餐)

53. 主の晩餐とは何ですか?

主の晩餐(聖餐)は、イエスが十字架にかかられる前の夜に弟子たちに与えられた食事で、キリストのからだと血を覚える聖礼典です。

パンは、キリストの「裂かれたからだ」を、杯のぶどう酒は、キリストの「流された血」を表しています。

信仰によってこの食卓にあずかるとき、私たちは聖霊によって、キリストご自身に養われ、結ばれていることを確かめます。


54. 聖餐はただの記念なのですか?

いいえ。聖餐は単なる記念ではなく、霊的な現実の交わりです。キリストのからだは天にあり、しかし聖霊によって信じる者の魂に与えられるのです。

「私はぶどうの木、あなたがたは枝である」(ヨハネ15:5)― 聖餐とは、この結合を目に見える形で確かめる恵みの食卓なのです。


55. 誰でも聖餐にあずかれるのですか?

いいえ。主の晩餐は、真実な信仰と悔い改めをもつ者のための食卓です。

もし罪を悔いずにあずかるなら、

それは「主のからだをわきまえない罪」となります(Ⅰコリント11:29)。

だから信徒は、聖餐にあずかる前に、自分の心をへりくだらせ、「キリストだけが私の義」と信じて臨むのです。


LORD’S DAY 31(天国の鍵 ― 宣教と戒め)

56. 「天国の鍵」とは何ですか?

それは、キリストが教会に与えられた二つの務め、すなわち

  1. 福音の宣教

  2. 教会の戒め(discipline)

    のことです。

福音が宣べ伝えられるとき、信じる者には天国の門が開かれ、拒む者には閉ざされます。

また、教会の戒めを通して、罪を悔い改めない者を教え導き、教会の清さを守ることもまた、神の恵みの働きなのです。

感謝の生活:恵みへの応答


LORD’S DAY 32(感謝と善い行い)

57. では、恵みだけで救われるのなら、なぜ良い行いをする必要があるのですか?

それは、キリストが私たちを新しく造られたからです。救いは、私たちをそのままの罪人として残すためではなく、神のかたちに回復するためのものです。

善い行いとは、救いの条件ではなく、救われた者の証しです。私たちは、神に感謝し、神を愛し、隣人に仕えることで、この世界においてキリストの栄光を現すのです。

「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするために造られた」(エペソ2:10)


58. 善い行いとは、どのようなものですか?

それは、

  • 神のことばに従って行われ、

  • 神の栄光を目的とし、

  • 自分の知恵や人の習慣からではなく、

  • 信仰と感謝から生まれる行いです。


LORD’S DAY 33(悔い改め)

59. 悔い改めとは何ですか?

悔い改めとは、心の真の変化です。古い人(罪の性質)が死に、

新しい人として神に従うようになることです。

この変化は、

  1. 罪のために悲しみ痛むこと(罪の死)

  2. 神の恵みに生きる新しい喜び(新しい命)


    の二つから成り立っています。


LORD’S DAY 34(十戒 ― 第一戒)

60. 神の律法(十戒)は、救いに関係あるのですか?

はい。ただし、「救われるための手段」ではなく、「救われた者が神を愛して生きるための道しるべ」としてです。

律法は、罪を示す鏡であり、同時に、神の御心を示す光でもあります。

第一の戒め:

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト20:3)

意味:神を第一とし、心のすべてをもって神を信頼すること。自分の力、財産、人間、偶像、運命などを神のように頼ることは偶像礼拝です。


LORD’S DAY 35–44(十戒の続き)

第二の戒め:

「あなたのために偶像を造ってはならない。」

神は、目に見えるかたちで礼拝されることを望まれません。神を自分の想像でつくり変えることは、真の礼拝を歪めます。神は御言葉によってご自身を現されます。

第三の戒め:

「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。」

神の名は軽く扱われてはなりません。祈り・賛美・誓いのすべてにおいて、神の名は真実と敬意をもって語られなければなりません。

第四の戒め:

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」

この戒めは、神が私たちを休ませる主であることを思い出させます。キリストにあって、私たちは律法のわざから解放され、毎日が「主の日(Sabbath)」として、神の安息に生きるように招かれています。

第五の戒め:

「あなたの父と母を敬え。」

権威を与えられた人々(家庭・社会・教会)を尊び、従うこと。これは、秩序と愛の中に神の御手を見る信仰の表れです。

第六の戒め:

「殺してはならない。」

神はすべての命の主です。憎しみや怒り、無関心によって他者を傷つけることも殺人の罪です。むしろ、隣人を愛し、助け、守るように召されています。

第七の戒め:

「姦淫してはならない。」

心も体も神に属しています。性的な純潔は、キリストとの結合を映し出すものです。忠実さと貞潔さは、神の愛のかたちです。

第八の戒め:

「盗んではならない。」

神が与えたものを正しく管理し、他人のものを奪う代わりに、分かち合う心を持つように求められます。働きは神の恵みへの応答です。

第九の戒め:

「偽りの証言をしてはならない。」

真理を語ることは、神の性質を映すこと。うわさ話、誤解、偽りの沈黙も神の名を汚します。誠実に語り、隣人の名誉を守りましょう。

第十の戒め:

「むさぼってはならない。」

むさぼりは、心の偶像礼拝です。「神がくださったもので満足する心」こそ、感謝の生活の頂点です。


LORD’S DAY 45–52(祈り ― 主の祈り)

61. 感謝の生活の中で最も大切なことは何ですか?

それは祈りです。祈りは、神との親しい交わりであり、感謝の息そのものです。神に従う力は、自分の中にではなく、祈りを通して神から受け取ります。

「祈りこそ、信仰の呼吸である」(カルヴァン)

主の祈り

62. どのように祈るべきですか?

イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」が模範です。これは、私たちの祈りのすべてを正しい順序に導きます。

主の祈りの意味(マタイ6章)

① 天にまします我らの父よ→ 神が父であることを思い出し、信頼をもって近づきます。

② 御名が聖とされますように→ 神の名があがめられるように、私たちの言葉と生き方を清めてください。

③ 御国が来ますように→ 神の支配がこの地に広がり、人の心が主に従うように。

④ 御心が天で行われるように地でも行われますように→ 自分の願いではなく、神のご計画に従う心をください。

⑤ 日ごとの糧を今日もお与えください→ 物質的・霊的に、今日生きるために必要な恵みを求めます。

⑥ 私たちの罪をお赦しください→ キリストの十字架を思い出し、赦された者として他者を赦します。

⑦ 私たちを試みにあわせず、悪からお救いください→ 誘惑に勝つ力を与え、サタンの策略から守ってください。

⑧ 国と力と栄えはあなたのものだからです→ すべての栄光が神に帰される。祈りは感謝で終わります。

結びの告白

私は信じます。救いは、始めから終わりまで神の恵みによることを。私はキリストに結ばれ、聖霊によって導かれ、父なる神の栄光のために生きる者です。アーメン。

 

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