神との結合 2025-3-30
- thewordforyoujapan
- 4月20日
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更新日:8月11日
2025.3.30 神との結合
礼拝メッセージ
【祈り】
愛する天のお父様、あなたの御霊、私たちと共におられる主よ。あなたと私たちが、神様によって結合していることを感謝します。
私たちの救いが永遠にあり、永遠の始まりから永遠の過去まで保証されていたことを、心から感謝します。
愛するイエス・キリストの御名をとおして感謝してお祈りします。
みことばを朗読を朗読します。
ローマ人への手紙 6章1節から11節
それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。
決してそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
死んだ者は、罪から解放されているのです。
私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。
私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。
なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。
エペソ人への手紙 2章4節から9節
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。
それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
ガラテア人への手紙 2章19節から21節
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
今から、「神の主権とは何か」、それから「キリストとの結合とは何か」を皆さんがはっきりと理解できるように話したいと思います。
プリントを見てください。プリントの一番上に、ヨハネの福音書14章20節が書いてあります。
その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。
これは、イエス様が弟子たちに言った言葉です。そしてこの言葉は非常に深くて、神の主権と神の内在を表しています。
これは、聖書には、「キリストにあって」という言葉がたくさんありますが、この「キリストにあって」というのは、「あなたがたがわたしの(内)におり」ということと同じです。in Christ キリストにあって。
そして、「わたしが父におり(I am in Father.)」の意味は、図で見ると、父なる神とあり、この父なる神には、支配を行っている領域があります。父なる神には、支配、権威、権力、主権があると聖書には書いてあります。ここの支配、権威、権力、主権というのは、神様がこの領域を100%支配しているということを言っています。ですから、何もこの神に逆らうものはありません。そして、全てのことは、神様が行っていると言っています。これが聖書の基本的な教えです。
この父なる神が支配している、この領域は、この宇宙であり、この地球であり、そして霊的な世界も含んでいます。
霊的な世界も含んでいます。ですから、天上にあるという言葉がよく使われます。エペソ人への手紙1章3節
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
3 Blessed be the God and Father of our Lord Jesus Christ, who hath blessed us with all spiritual blessings in heavenly places in Christ:
この聖句でも、天上にあるすべての祝福と言うときに in heavenly places in Christと言っています。この、in christ キリストにあってなので、この範囲のことをいいますが、霊的な祝福と言っているので、ここでは霊的な世界のことも言っています。すべての霊的祝福をもってと言っていますが、そこはheavenly placesと言っています。この、heavenly places天上というのは、天国という発想は間違いではありません。しかし、私たちはここで、この言葉の意味をもっと深くするために、神の主権、権威、権力、支配がある世界ということに目を向けます。なので、単純に天国と言ってしまうと、 死んだら行くところかなとなってしまい、そうすると自分の生活に、結びつかなくなってしまいます。私は天国に行って、そこの祝福をもらうというようになってしまいます。
このみことばは、天上にあるすべての霊的祝福というみことばは、自分の生活に結びついています。パウロは、生きているエペソの聖徒たちに語っています。そうすると、天国の話をしてるのでは無いことが分かります。彼は、神の主権の中だと言っています。
神が統べ治める中にある、全ての霊的祝福と言っています。ですから、今のこの時点でもそのように当てはまります。それは、今の、この生きている、この現在において、キリストは霊的祝福を、神の支配するところにおいて、霊的祝福をすべて私たちにくださっていると言っています。
そうすると、次に分かるのは、エペソ人への手紙第1章3節では、「すなわち」と書いてあります。
すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
ここで、神の主権は、時の始まる前から始まっているということを言っています。神の領域は時を超えます。霊的祝福は、「すなわち世界の基が据えられる前から、この方にあって」この方というのはイン・クライストです。神の主権の中、キリストの中にあります。
そして、そこで私たちを選び、御前に聖なる傷のないものにされようとしたのです。
この主権の範囲を、イエス様は何とおっしゃっているかというと、マタイ福音書28章18節 (プリントの下の方)
わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
このように言われています。つまり、永遠の過去からそして永遠の未来まで、そして領域としては宇宙の果ての果てまで、すべて神が創造されたものは神の世界です。また、そこにおいてイエス・キリストには、一切の権威が与えられています。
ですから、その素晴らしい神の力は、キリストの中にあります。領域も全てキリストの中にあります。なので、神は、キリストを通して万物を創造されました。
その下の、詩篇の135の6でこう言います。
主は望むところをことごとく行われる。天と地で 海とすべての深淵で
この聖句は、すべて、神が思われ、望むことを、どこにおいても行うということを言っています。神がすべてを行います。どの場所においても、どの時代においても、どの人たちにおいても、万物に対して、すべて神がコントロールされています。すべて神が行っています。
そして、このプリントにはありませんが、この全体、永遠の過去から永遠の未来まで、そして宇宙の果てまで神が行いますが、この行い方、神が意思を行う方法の中には、摂理といって、神が全ての物事を調和させながら動いているということが分かります。摂理は、神がすべての物事を調和させることを言います。良いことも、人間の目から見たら、良いこと、悪いこと、大惨事などいろいろなことがあります。皆さんの生活の中には、勉強もあり仕事もあり、そしてその中には、良い人、悪い人、良い出来事、悪い出来事いろいろとあります。
ですが、その中において、それらのものが全て組み合わさり、自分の意思とは全く関係なしに起こります。それは、選ばれた人が御子の形に変えられていくという目的があるからです。
なので、この構造の中で一番の中心となるのは、御子の形に変えられていくという目的です。
そして、この図を見ていただくと、黄色いエリアは神の主権、キリストの主権があるエリアでその中に信仰者がいるということがわかります。ですから、みことばで、「あなたがたがわたしにおり」と言っています。
それは、霊的にも、物理的にもその通りです。この言葉はそのままです。そして、その中において、これはまた不思議ですが、私キリストが、「わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」すなわち、私たちの魂のところに神様がいるということです。
それが、キリストと結合している信仰者の、意志、感情、思い、体の中に入っています。
ここの、信仰者の意志、感情、思い、肉体、これは信仰者自身だと思ってください。このブルーの部分は人の形を表しています、四角ですが。そして、その下のところにピンクで書いた 父・キリスト・聖霊と書いて魂と書いてあります。この魂は、人の魂のことを言っていますそして父 ・キリスト・聖霊は 私たちがあなたの内にいることが分かりますと言った、その神です。このことを Christ in you.と言いますキリストがあなたの内にいます。
そして、魂が、上半分が黒くなっていて、半分がピンクになっています。これには意味があり、黒いところは原罪が宿っています。そして死ぬまで原罪は宿っています。
皆さんはこの黒い部分が変えられて全部ピンクになると思うでしょ?ならないですから。ピンクにこれ全部なるなと思って、これを見ても、ならないです。黒いものです。ずっとそうです。
ですが、注目すべきは、ここに矢印が入っていて、キリスト、聖霊から、この魂に栄養分が行きます。これを、ブドウの木と枝という形で見てもらうと分かりやすいと思います。
そして、ここの下のところに「天から新しく生まれ永遠に結合する」とあります。
天から新しく生まれること、結合は自分で結合できません。できるわけがありません。
神とどうやって結合するんですか?信じたら結合するんですか?しないです。それは、神が天からあなたの内を変えられることによって、この結合が起こります。そして、キリストが私たち信じる信仰者の内にいて、このピンクの部分の新しい結合は、外側すなわち肉体の方に向かって、影響を始めます。外側とは、ここでは信仰者の意志、感 情、思いのことです。神の支配、権威、権力、主権がその人のうちに広がっていきます。ですから、真の信仰者は、必ず神の主権に行きます。神の主権を認めない、神の権力に服従しない、神の主権に服従しない信仰者はいません。それは病気です。間違った教えの影響を受けています。
そして、放射線のように、神の優れた力がその人の内側から流れ出てきます。それは、命で、流れ出て、その人の意思、感情、思いに影響を与えて、良い行いをすることに導きます。この良い行いは、エペソ人への手紙で、実に私たちは神の作品であって、良い行いをするために作られた、創造されたと書かれています。
この今説明した、ブルーのとピンクの部分、この部分を新しい創造というように、聖書は パウロは言っています。
このブルーのところの立て付けを、新しい創造と言います。
そしてこの、父、キリスト、聖霊(ピンク)の中に三位一体の神がいますが、それは、
ローマ人への手紙から分かります。
ローマ人への手紙第8章9節ー10節
しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。
あなた方は、聖霊の中にいます。御霊の中にいます。
最初に言ったとおり、神の主権の中にいる、キリストの中にいるその人は、霊的にまたは 物理的にも主権の中にいますと。ここで、はっきりと、キリストがあなた方の内にいると言ってます。そして、キリストと、神の御霊と結合しているがゆえに、霊がそれは魂ですが、義のゆえに生きています。
キリストの義のゆえに、あなた方は義とされます。だから生きています。もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊と 言っていますが、それが誰かというと、イエスを死者の中から蘇らせた方は、父なる神しかいません。そして、あなた方のうちに住んでいると言っています。すなわち、父子精霊があなたと結合してあなたのうちに住んでおられるということをはっきりと言っています。
ですから、私たちの、この創造の素晴らしさというか、ものすごく私たちの通常の理解を超えるのは何かといったら、父・子の中に私たちがいて、私たちのうちに父・子・御霊がいることです。すなわち、父・キリスト・御霊の中に私たちは存在していて、そして守られていて、私たちの魂と父・子・御霊が、父・キリスト・御霊が結合しているという、このブドウの木と枝のような一体性があります。
この神の御業の凄さを、何と表現したか分かリマせんが、宝です。これがわかること、これを知っていること、この素晴らしさ、このことを何十億人という人たちが知りたがりました。しかし、知ることができた人たちはごくわずかです。旧約の信仰をもって、ヘブル書で信仰の模範とされた人たちもこれが知りたかったのです。ですが、彼らはキリストの影を見て、希望を置きました、キリストに。
これが、聖書で言われている、「奥義」です。ずっとこのことが隠されていました。
いいですか、これを私たちが知るということは、本当に素晴らしいことです。これに価値を見出さない人たちは、滅んでいく人たちです。
次に、永遠の過去から永遠の未来について、どのように影響するかですが、天から新しく生まれた人は、永遠に結合しています。結合した人は、決して神と離れることがありません。これを回復と言います。
神と人間は、アダムの堕落によって分離されました。それは、人間の世界に死を持ち込んだからだと言われてます。それによってすべての人は死にました。
神はキリストを2000年前の十字架の上で死につけて、そして3日後に復活させ、このキリストを信じる信仰を選ばれた人々に与えて、誰でもその信仰によってキリストを信じる者は神との和解を得ます。
この結合は2000年前までさかのぼると言っています。
この結合の適応は、どこで行われているかと言ったら、2000年前のゴルゴダの丘で、イエス・キリストが十字架につけられている、そこにあなたもいた、ということになります。霊的にそれは、キリストと結合しているからです。でなかったら、あなたの十字架論は意味のない、ただの物語になってしまいます。私はキリストと共に死にましたと言っても、もしあなたが天から新しく生まれてなければ、あなたはそう思っているだけで、あなたはただそういう物語をクリスチャン物語を夢見ているだけです。
救いの三要素という教えがあります。それはクリスチャン物語です。絵に描いた餅で、何もそこに実体がありません。絵に描いた餅、「十字架の上でイエス様が死にました。墓に入りました。三日後によみがえりました。あなたはそれを信じますか?」、
「はい、信じます。」
「はい、あなたは救われました。」
実体がありません。それは、あなたがキリストと一体でなければ実体がないのです。ですから、神は、そういった人たちも含めて、哀れんで、選んだ人には全て、実体を伴わせるために、新しくその人の心を生まれさせました。 そして、その人がキリストと一体である、結合しているということを教えています。それは、天から来ている贈り物です。そして、その信仰によって、その人は2000年前の十字架に、自分がいたということを理解します。
キリストは、ビアドロローサ、十字架のゴルゴダの丘への道を歩いていく時に、父からあなた方のことをすべて知らされています。
苦しみの道を歩いていく時に、キリストの心の目がどこを見ていたかと言うと、あなたを見ていました。十字架についたキリストは、あなたを心の目で見ていました。分かりますか?
キリストは、自分の命を懸けて死んでいく、その自分に与えられた、羊たちの名前を知っています。その羊たちのことを、彼は十字架の上で、心の目で、遠い遠い未来に対して見ていました。
そして、キリストが十字架の上で死にゆくものとなった時に、この現代を生きている私たちもそこでそのように、同時に死にました。
そして3日間墓に入り、よみがえた時に、キリストの内には、あなたがいました。一緒に。
そして今、時を超えながら、あなたは2000年後の現代に生きていても、キリストの十字架と共に死んで生きているということです。これが、永遠に結合している意味です。そして、決して離れないキリストの結合は、永遠の未来に行きます。
やがてあなたの体が死んでいくとき、あなたは一人ではありません。あなたは、この結合が、そのままずっと続きます。死んでもあなたは、永遠に生きると言われたのはそれによります。復活があります。霊的な復活と、肉体的な復活があります。
霊的な復活は、キリストを信じた時に、すでに起こっています。ですが、意思、感情、思い、肉体は罪の中にあります。ですから、これに対して私たちは、キリストからの供給、すなわちみことばの力を受け、従うことによって、これらの罪の性質を打ち叩きながら勝利をしていきます。失敗もします。しかし、全体的に勝利していくようになります。これを聖化と言います。
そして、あるポイントがきて、私たちはキリストの再臨を見ますが、見ない人たちはそのまま死にます。その人たちは、キリストの再臨を霊の状態でパラダイスで待ちます。
しかし、三位一体の神はあなたと、あなたの霊から絶対に離れません。いつも共にいます。それは永遠に変わらない神の約束です。神の約束は、「決して私はあなたを捨てない」と、そこに来ています。だから、神は決してあなたを捨てません。決して見放しません。決してあなたを一人にしません。あなたは、神と永遠にいます。
そして、キリストが空中再臨する時栄光の体が与えられます。この栄光の体は、キリストと同じ体です。そして、この地球の終わりの時が来ます、その時には、神の新しいエルサレムがあなたと共にあります。
私たちの救いは、永遠の過去から永遠の未来まで、また、全宇宙霊的な領域すべて含めて、神の支配、権威、権力、主権の中にある私たちの内にも、神の支配、権威、権力、主権が今輝いています。そして父、キリスト、御霊、この三位一体の神と、私たちの魂が結合している、この新しい創造の中に私たちがいるということです。
最初に、最初に朗読した御言葉が、皆さんの中で、よりクリアにな理、皆さんの生活の中で、この御言葉が生きて、そして皆さんと共にあることを期待します。
【祈り】
愛する天のお父様、私たちの心に、私たちの魂とあなたが結合しているこの事実を感謝します。
時の始まる前から、天まであなたが私たちと共にいてくださっていること、あなたが決して私たちを見捨てないこと、どんなことがあってもあなたが私たちの信仰を守ってくださること、あなたが私たちを導いてくださることを感謝します。
しずさんも、あなたの子供ですから、どうかあなたが守理、永遠の御国まで導いて下さいますように。
愛するキリストの御名を通して、感謝してお祈りします。アーメン。

