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十字架とあがない

  • thewordforyoujapan
  • 10月4日
  • 読了時間: 3分

2025.10.1 The Word for you

 少年が自分の作った大切なボートを失くして、それをおもちゃ屋に飾ってあるのを見つけて買い戻す話からあがないの理屈を話しました。しかし、それは子ども向けの理屈であって本質ではありません。

 皆さん、想像してください。

 イエスさまは、無実であるのに、あの残酷なローマの鞭で打たれました。ただの縄ではありません。革ひもの先に鉛や骨が縫い込まれ、振り下ろされるたびに皮膚をえぐり、肉を裂き、血が飛び散る鞭です。打つたびに背中は開き、肉片がはじけ飛び、骨がのぞき出る。普通の人なら、その場で死んでもおかしくない。


注)「イエスは39回の鞭打ちを受けた」と説明しましたが、申命記25:3に基づくユダヤ人の習慣(39回で止める)と間違えました。残酷なことに回数は限定ありませんでした。ローマ兵による拷問であり、ユダヤ律法の制限には従っていなかったと理解した方が良い。ですから十字架のあがないにおいて聖書記述には鞭打たれた「回数は不明」とローマ兵士の気分で鞭を打たれた言うのが正確です。恐ろしいことです。

 そして、兵士たちは茨で冠を編み、それを頭に押し付けました。鋭い棘が頭皮に突き刺さり、血が顔を覆い、目に流れ込み、視界を奪う。その上で杖で頭を殴りつけ、唾を吐きかけ、「ユダヤ人の王さま、万歳!」と嘲笑いました。

――王ではなく、笑いものにされたのです。

 やがて十字架刑。分厚い鉄の釘が、両手首と足首を貫きました。神経を砕き、骨を割り、激痛が全身を走る。呼吸をするためには、釘にかけられた手と足で体を持ち上げなければならない。そのたびに、背中の裂けた肉が荒削りの木にこすれ、血が滲み、痛みは増す。肺は押しつぶされ、息ができない。数分おきに窒息しかけ、全身はけいれんする。

 十字架は、ゆっくり、ゆっくり、人を殺すための拷問でした。

 そして、その中でイエスさまはこう言われたのです。「わたしは渇く。」血も汗も流れ尽くし、体内の水分は失われ、舌が乾き、上あごに張り付く。声も出せないほどの渇き。

 それは肉体の渇きだけではない。父なる神から見捨てられた魂の渇き――地獄の乾きです。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか!」これは、永遠の断絶、地獄の叫びです。本来なら私たちが味わうはずの地獄を、イエスさまは数時間のうちにすべて飲み干された。

 皆さん、これが代価です。

イエスさまがあなたを買い戻すために支払われた代価――血、裂けた肉、渇き、見捨てられる孤独、そして死。少年がボートをお金で買い戻したのは理屈ですが、とても表面的に見えてしまいます。

本当のあがないは以上のようにイエスさまはご自身の命であなたを買い戻されたのです。


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