信仰義認―わかっただけじゃ救われない―救いの中心とは?
- thewordforyoujapan
- 5月4日
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更新日:6月11日
みなさん、こんにちは。
今日、とても大事なことを一緒に学びます。それは、「イエスさまのことを知っているだけでは救われない」「救いの中心は、自分が芯まで腐っていることを神に悟らされること」ということです。
聖書にはこう書かれています。
「あなたは神は唯一だと信じています。それは結構なことです。しかし、悪霊どもも信じて震え上がっています。」(ヤコブ2:19)
悪霊も、神さまがいることを知っています。でも、悪霊は救われていません。
なぜでしょう?今日、その本当の理由と、救いの本当の始まりを学びます。
聖書では、「信じる」という言葉はギリシャ語でピステウオーといいます。でも、この言葉には使い方に2つの意味があります。一つは事実として知っているだけ(知識レベル)、もう一つは心から信頼して、すべてをゆだねる(信頼レベル)という意味です。単語は同じでも、意味は天と地ほど違うのです。
ヤコブ2:19で語られている悪霊たちは、神がいることを知っていて、イエスさまが神であることを事実として認めています。でも、愛していない、従っていない、信頼していない。だから震え上がるだけで、救われないのです。
一方、聖書はこう言います。「人は律法の行いによってではなく、信仰によって義と認められる。」(ローマ3:28)ここでの信仰は、イエスさまに心からより頼み、自分ではなくイエスさまに全てを委ねる信仰です。これが救われる信仰です。
そして、救われる信仰さえ、自分では作り出せません。私たちは、外側だけでなく、心の奥の奥まで、芯まで腐りきっています。「心は何よりも陰険で、それは治らない。誰がそれを知り尽くすことができようか。」(エレミヤ17:9)だから、自分が腐っていることを認める心さえ、神に与えてもらわなければならないのです。
たとえば、大けがをして倒れている人が、「自分は大丈夫だ」と言い張ったら、救急車に乗ることも、治療を受けることもできません。でも、自分が助けが必要だと認めた人だけが、救急車に乗せられ、救われるのです。
救いも同じです。「自分は大丈夫」「ちょっと頑張ればいい」と思っている間は救われません。「私は芯まで腐っている」「自分ではどうにもできない」――これを認めさせるのは、神の働きです。
まとめます。悪霊も神を知っているが、救われない。知っているだけではだめ。心から信頼してゆだねることが必要。でもそれも、自分の力ではできない。神が心を砕き、自分の腐敗を悟らせてくださる。
だから私たちがするべきことは、こう祈ることです。
神さま、私がどれほど腐っているかを悟らせてください。私に砕かれた心を与えてください。
この祈りこそ、神に引き寄せられているしるしです。救いは、あなたのがんばりではなく、神のあわれみで始まります。
主よ、私に「自分が芯まで腐っている」ことを悟らせてください。あなたのあわれみにすがります。私を救ってください。アーメン。

