top of page

キリストの死を身に帯びる

  • thewordforyoujapan
  • 5月24日
  • 読了時間: 4分

キリストの死を身に帯びる ― 苦しみと命が共にあるということ

 

聖書箇所

 

第二コリント 4:8–10

 

私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。

途方に暮れますが、行き詰まることはありません。

迫害されますが、見捨てられることはありません。

倒されますが、滅びません。

私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。

それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。




 

1. 苦しみの現実と信仰の希望

 

パウロは、自分が福音のために受けた様々な苦しみについて語っています。

しかし、そこに絶望はありません。

「苦しめられても、窮しない」「倒されても、滅びない」と、確信をもって語っています。

 

私たちの人生にも、病や人間関係の悩み、将来の不安などがあります。

けれどもパウロと同じように、信仰者にはたとえ苦しみの中でも保たれる希望があるのです。




 

2. 「キリストの死を身に帯びる」とは?

 

パウロは「イエスの死を身に帯びている」と言います。

これは、ただイエスのように苦しむという意味ではありません。

死に向かう過程においても、私たちはキリストと結びついて生きているということです。

 

「死」は聖書で、「魂と体の分離」や「神との断絶」を意味します。

しかしイエス・キリストは十字架でその死に勝利されました。

今、私たちはキリストに結びつけられているがゆえに、苦しみの中にも命が現れてくるのです。




 

3. 苦しみを通して現れる「いのち」

 

パウロは、苦しみの中で「キリストのいのちが現れる」と言いました。

どういうことでしょうか?

 

それは、自分の力が尽きる時にこそ、神の力が働くということです。

 

実際、重い病気や困難の中でも、なお賛美し続ける信仰者がいます。

その姿を見て、周囲の人は「なぜこの人は希望を失わないのか」と驚きます。

 

そこに表されているのが、「キリストのいのち」なのです。




 

4. 死と復活の約束

 

聖書は、「死は終わりではない」とはっきり語ります。

 

第一コリント15章ではこう書かれています。

 

死者の復活もこれと同じです。朽ちるものとして蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされます。

 

この世のからだは、弱く、やがて朽ちます。

しかし信仰者には、復活の栄光のからだが約束されているのです。

 



5. キリストの十字架に現れた栄光

 

イエス様が十字架で死なれる時、

そばにいたローマの兵士は「まことにこの人は神の子だった」と言いました。

 

また、十字架にかけられた犯罪人の一人も、死にゆくイエスの姿の中に

「この方こそ真の救い主である」と信じて告白しました。

 

死に向かうキリストの姿の中に、神の栄光が現れていたのです。




 

6. 私たちも、死に向かう中でキリストの命を現す

 

信仰者の歩みは、毎日の中で、

ときに苦しみや死に向かうような出来事を通ります。

 

しかしそれは、イエスの死と結び合わされる歩みです。

そして、その中で神は、イエスの命と栄光を現されるのです。

 

自分の力ではなく、神の力によって生きていく。

これが、福音の力です。

 



7. それは私たちの努力ではなく、神の選びと恵み

 

パウロは自分の人生を振り返って、こう言いました。

「以前の私は、教会を迫害していた者だった。でも、神が私を選び、救ってくださった。」

 

これは、すべての信仰者に共通する真理です。

 

私たちは、自分でがんばって変わったのではありません。

神が選び、再生させ、信仰を与えてくださったのです(エペソ1:4–5)。

 



8. 信仰義認と聖化の歩み

 

私たちは、信仰によって義と認められています(ローマ5:1)。

これは一度きりで完全な神の恵みです。

もう二度と失われることはありません。

 

そしてこの義とされた者は、生涯をかけてキリストに似た者へと造り変えられていくのです。

これが「聖化」と呼ばれるプロセスです。

 

苦しみも、失敗も、すべてが神の御手の中にあり、

私たちがキリストを映し出す器となるために用いられます。

 

まとめ

              •             苦しみの中にあっても、神は働いておられる

              •             キリストの死を身に帯びることは、命が現れるため

              •             死は終わりではなく、復活と栄光の入口

              •             私たちの信仰は努力ではなく、神の選びと恵み

              •             義とされた者は、苦しみの中でキリストの栄光を現す者へと造り変えられていく

 



 

お祈り

 

天の父なる神様、

あなたが私たちの弱さと苦しみの中に働いてくださっていることを感謝します。

キリストの死を身に帯びる歩みの中に、

あなたの命と栄光が現れますように。

 

私たちが苦しみの時にも、

あなたの恵みに支えられて歩むことができますように。

 

主イエス・キリストの御名によって祈ります。

アーメン。


2025.5.7

Comments


​お問い合わせはこちらから

© 2035 by by Leap of Faith. Powered and secured by Wix

bottom of page