「キリストと教会」 本当の結合の奥義について
- thewordforyoujapan
- 5月27日
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更新日:8月11日
「キリストと教会」 本当の結合の奥義について
キリストと教会の奥義とすり替わる「夫婦についての非聖書的」な誤解と、福音による秩序の回復―
エペソ5:31–32
31 「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。」
32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
1. こんな教え、聞いたことありますか?(実際にある誤った考え)
今の教会の中には、こんなふうに言われることがあります:
「夫婦の愛こそが神さまの愛を映すもので、霊的な本質である」
「夫婦が仲良くなるほど、霊的にも成長していく」
「理想的な夫婦になることこそ、信仰者のゴールだ」
「夫婦の愛を通してキリストと教会の関係を表すのがクリスチャン」
一見「いいことを言っている」ように思えるかもしれません。でも実はこれらの考えは、聖書が教える秩序や、私たちの信仰の中心をすり替えてしまう誤った危険な考えです。
2. どこが間違っているのか?―改革神学に基づく聖書理解から見た問題点
【間違いその1】
夫婦の関係が先で、キリストとの関係はそのたとえと言う考え
→これは順番が逆です!
エペソ5:31–32では、パウロが創世記の「夫婦の結びつき」を引用しながら、「実はこれはキリストと教会の結びつきのこと」と教えています。
つまり、霊的な原型(本体)は、キリストと信仰者たちの結合であり、夫婦の結びつきはその地上的な型(モデル)にすぎません。
そしてこの「キリストとの結びつき」は、ただの象徴的関係ではありません。
それは全人格的、契約的、有機的な結合です。
人格的結合:私たちの思い・意志・感情がキリストに向けられ、人格全体がキリストに応答し、交わる関係です(ヨハネ17章)。
契約的結合:キリストの十字架によって成し遂げられた新しい契約に基づく、取り消されることのない救いの関係です(ヘブル9:15)。
有機的結合:ぶどうの木と枝のように、「聖霊」によってキリストに結び合わされ、そのいのちに生かされて実を結ぶ実質的なつながりです(ヨハネ15:5、ローマ6:5)。
だから、夫婦関係を原型とし、それを土台に聖書の霊的真理を理解しようとするのは、神の啓示の順序を転倒させることになるのです。
【間違いその2】
夫婦関係がうまくいけば、信仰も成長する、また、夫婦の愛を通してキリストと教会の関係がこの世に示されるという考え;
→これは、人の努力で霊的に成長できるという、ペラギウス主義、霊的体験主義的な間違いです。
たとえば「良い夫婦になること」が神との結びつきや霊的な成長につながるというのは、神の恵みによる救いという聖書の真理に反しています。
エペソ2:8–10「救いは、あなたがたの努力ではなく、神の賜物です」
ヨハネ15:5「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」
霊的な成長は、個々の信仰者がまずキリストとの人格的・契約的・有機的な結合にあずかるところから始まります。それは天から新たに生まれることであり、すべて神の御業です。
夫婦関係の成熟や調和も、個々の救いの結果です。その結果として現れてくる実であり、決して霊的成長の出発点ではありません。
【間違いその3】
結婚を通して霊的な結びつきを体験できるという考え
→これは「結婚を神秘的な体験」と考える、スピリチュアリズムやニューエイジ思想に近い考え方です。
結婚は、救いを与えるものでも、霊的体験の場でもありません。
結婚は、すでにキリストとの結合にあずかっている者たちが、神の創造秩序に従って歩む中で、福音の型として神の栄光を表すものです。
ローマ12:1–2では「自分のからだ全体を神にささげなさい」と教えています。
霊的な礼拝とは、夫婦で一体的に体験する神秘ではありません。それは一人ひとりが神に与えられた信仰によってキリストに結ばれ、その恵みに生きることです。信仰者が受ける神の恵みは神がそのそれぞれの信仰者に与えた信仰によって義と認められます。
3. 本当に大切なのは何か?―エペソ5章が語る「奥義」
この箇所では、夫婦の話をしているように見えて、実はキリストと教会(信者)との人格的・契約的・有機的な結合の奥義を語っているのです。
だから、地上の夫婦に完全な一致や愛を求めすぎることは、偶像化につながります。私たちのうちに真の一致と愛を生み出すのは、キリストとの生ける結合に生きることによってです。パウロはこの文脈で「御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)と[「キリストのことばをあなたたがたのうちに豊かにすまわせ」と命じています。
18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。19 詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。
(コロサイ3:16)
16 キリストのことばをあなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
私たちはキリストに結ばれ、そのいのちに生きる者として、御霊によってみことばに生かされるとき、あらゆる関係がゆっくりとですが確かに整えられていきます。
4. 先輩たちの証言 ― 改革派の偉大な神学者たちの言葉
ジャン・カルヴァン(『キリスト教綱要』III-1-1)
→「キリストとの結合は、私たちが救いのすべての祝福にあずかる入り口である」
ジョン・マレー(『Redemption: Accomplished and Applied』)
→「キリストと教会の関係は、創造の前から神に定められたものであり、結婚はその型である」
ヘルマン・バヴィンク(『改革派教義学』)
→「結婚は霊的成長の手段ではなく、創造秩序にある制度。福音の象徴である」
これらの証言は一貫して、「キリストと信者との結合が救済論の中心であり、結婚はそれを反映する型にすぎない」と教えています。
5. まとめ ― 本当の「結合」とは?
- 本当の結合は、信じる者とキリストとの間にある、全人格的・契約的・有機的な永遠の結合です。
それは:
〇全人格的結合
私たちの思い・意志・感情がキリストに向けられ、人格全体がキリストに応答し、交わる関係です(ヨハネ17章)。
〇契約的結合:
キリストの十字架によって成し遂げられた新しい契約に基づく、取り消されることのない救いの関係です(ヘブル9:15)。
〇有機的結合:
ぶどうの木と枝のように、聖霊によってキリストに結び合わされ、そのいのちに生かされて実を結ぶ実質的なつながりです(ヨハネ15:5、ローマ6:5)。
夫婦の結びつきは、その霊的原型を地上に映し出す型であり、救いの手段ではありません。
結婚は、福音によって新しくされた者が、神の秩序の中で整えられていく過程の中で与えられる祝福です。
それは共同体としての結合、真のイスラエルすなわち神の花嫁 キリストと神が時の始まるまえより、選ばれたすべての民との結合
「子羊の婚宴」は本質的結合の完成、契約の完成であり、終末論的完成です。
この日こそ、私たちが待ち望む結婚の完成です。それは地上の結婚制度を超えた、贖われた信仰者たちとキリストの永遠の契約の完成です。そしてこの約束に預かっているものは「幸いな者」と呼ばれています。
黙示録19:7-9
7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。
8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、とかきなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。
【最後に】
結婚や家庭は神が与えられた尊い祝福であり、制度です。しかし、それを信仰の中心や霊的成長の源泉ではありません。
すべてはキリストとの結合という福音の本質にあります。すべてはそこから始まり、そこに帰って行きます。私たちは、まずキリストとの結合に生きることを第一とし、そこからすべての関係が整えられていくという秩序を理解し、大切にしましょう。
キリストこそが私たちのいのちであり、すべての結合の中心です。
この恵みの真理を、感謝と信仰のうちに受け取り、歩んでいきましょう。

