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「イエスが教えた本物の信仰のしるし」— マタイ5章から学ぶ

  • thewordforyoujapan
  • 5月25日
  • 読了時間: 8分

更新日:8月11日

<全体の概要>

「山上の説教」と「幸いの教え」は密接に関係していますが、範囲と焦点が異なります。以下に明確 な違いを示します。



【1】山上の説教(マタイ5–7章)

• 範囲:マタイの福音書 第5章〜第7章全体

• 内容:キリストが山の上で弟子たちと群衆に語った、最も長く体系的な説教

• 主題:神の国に属する者の「義」「生活」「心の在り方」

• 構成:

o 幸いの教え(5:1–12)

o 塩と光の譬え(5:13–16)

o 律法の成就(5:17–48)

o 隠れた義の実践(6章)

o 金銭・心配・信頼(6章後半)

o 批判と祈り(7章)

o 二つの道と家の譬え(7:13–27)

→ 山上の説教は、キリストの弟子にふさわしい生き方全体を語る包括的な教えです。



【2】幸いの教え(マタイ5:3–12)

• 範囲:山上の説教の「導入部分(序文)」にあたる

• 内容:「再生された者の聖化の祝福を宣言」つまり 「神の国に属する者の祝福の宣言」であり、律法ではない。 「これを守れば祝福される」のではなく「このような者はすでに救われており祝福されている」 という福音的な宣言

➡ この宣言は、神の恵みによって再生され、御霊によって歩んでいる者の姿を描いている。

• 構成:

o 心の貧しい者

o 悲しむ者

o 柔和な者

o 義に飢え渇く者

o あわれみ深い者

o 心のきよい者

o 平和をつくる者

o 義のために迫害される者

→ これらは「真の信仰者の救いの成長」であり、単なる道徳、倫理の教えではなく、再生された者 に人生を通して現れる祝福の実態を示しています。

① 単なる道徳的教訓ではない

• 幸いの教えは「こうすれば祝福される」という行動リストではなく、再生され、信仰義認され た者に神が造り出す「内なる性質と実」である。

• これは律法ではなく、福音に根ざす(ローマ8:29、ガラテヤ5:22)。

② 順序性を持った聖化の歩み

• 「心の貧しさ」→「悲しみ」→「柔和」→「義への渇き」→「あわれみ」→「きよさ」→「平和」→ 「迫害」の流れは、救いの成長過程として読むべき。

• 幸いは「性格的傾向」ではなく、「神が造り変えてくださる証拠」。

③ 神中心の救いの実としての理解

• 幸いとは「自分の努力で到達する」ものではなく、神の恵みによる再創造の実(エペソ 2:10)。

• すべては「神の栄光と御国の拡がり」を表す。

観点

山上の説教

幸いの教え

範囲

マタイ5–7章

マタイ5:3–12

 内容

 神の国の義・生活の全体像

神の国に属する者の霊的特徴

位置づけ

キリストの教え全体の包括的説教

の説教の冒頭、導入

目的

律法の成就・真の義の示し

御国に属する人の祝福の状態を宣言

対象

キリストの弟子(真の信仰者)

同上(弟子の姿勢と状態)


はじめに

  マタイの福音書5章3〜12節にある「幸いの教え」は、イエスが本物の信仰を持つ人にどんな特 徴があるかをはっきりと教えてくださった箇所です。これは、「こうすれば天国に入れる」という条件 ではなく、すでに神に救われた人に見られる特徴(しるし)なのです(R.C.スプロール)。


1. まず、「心の貧しい者」とは?

 イエスは最初にこう言いました。 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:3) これは、「神の前で自分は何も持っていない」と心から思っている人のことです。

ジョン・マッカーサーはこう言います: 「心の貧しさ」とは、神の前に自分が霊的に破産していると認めることです。

 つまり、自分ではどうしても神に受け入れられないと知っている人です。だからこそ、救いをただ神 のあわれみにすがって受け取るのです。


2. その心には、罪を悲しむ思いがある

 イエスは続けてこう言いました。 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」(5:4)

  これは、自分の罪に対して本当に悲しむ心を意味します。 悔い改めとは、「自分はもう十分にやった」と思うことではなく、神の前で砕かれていることなので す。


3. その人は柔らかい心になります

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」(5:5)

  神の前にへりくだり、人と争わず、自分の正しさを主張しない心。これも、救われた人に自然にあら われる性質です。


4. 義に飢え渇く人へ

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです」(5:6)

 この「義」は、神に喜ばれる正しさのことです。

 ジョン・オーウェンはこう言いました: 義に飢え渇くのは、再生された人のしるし。聖霊の働きがその人の中にある証拠です。

  神をもっと愛したい、罪からもっと離れたい…そういう思いは、信仰が本物であることのサインで す。


5. 主がしてくださる変化

 このような心を持つ人に、神はこうしてくださいます:

  • あわれみ深くなる(5:7)

  • 心が清くなる(5:8)

  • 平和をつくる者にされる(5:9)

  これは自分の努力ではなく、神の恵みによる変化です。


6. そして、最後には迫害される

「義のために迫害されている者は幸いです…」(5:10)

 本物の信仰を持っている人は、この世ではときに誤解され、拒まれることがあります。 でも、天の御国がその人たちのものとイエスは約束しておられます。


7. 外側だけの信仰ではない

 最後に、マタイ5:20ではイエスはこう言われました: 「あなたがたの義が律法学者やパリサイ人 の義にまさっていなければ…」

 これは、外側の行動だけでは足りないという意味です。

  R.C.スプロールも言います: 神が見ておられるのは、私たちの「心」です。内側からの変化こそが、神の御国にふさわしいもの です。


8.神の前にへりくだることから始まる道

 へりくだると言う意味は、「神さまの求めている基準には、自分の力ではとても届かない」と心の底 から悟るということ

 ――それは、イエスさまが語られた「本当の祝福された道」の入り口に立ったと いうことです。


 イエスさまはこう言われました。

 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)

 「心の貧しい」とは、自分には神さまの前に立てるような正しさがないとわかっている、そんな人の ことです。「自分にはどうにもできない」「神さまの前にふさわしくない」――そう心から思えること。 そこから、本当の信仰の道が始まるのです。

 そして、このようにへりくだって歩み始めた人は、だんだん神さまのことばに従うようになります。そ れは自分で頑張ってやるのではなく、神さまがその人の心に信仰を与えてくださるからです。だか ら、神の国に属する人たちには、必ずこのような心の変化が現れてきます。


9.子どものような信仰って?

 ある日、イエスさまは弟子たちに、大切なことを教えるために、小さな子どもをそばに呼んで言わ れました。

「本当に言います。あなたがたも悔い改めて子どものようにならなければ、決 して天の御国に入れません」(マタイ18:3)

 ここで言われているのは、子どもが持っている「素直さ」や「正直さ」です。子どもは、「自分の力で なんとかしよう」とは考えません。信頼する人にすなおに頼ります。そんな姿こそ、神さまが喜ばれ る信仰の姿なのです。


10.本物の信仰には、従う心がある -

  イエスさまは、ご自分を信じる人のことを「わたしの羊」と呼んで、こう言われました。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしは彼らを知っています。彼 らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼ら は決して滅びることがありません」(ヨハネ10:27–28)

 イエスさまの「羊」とは、イエスさまのことばに耳を傾けて、従っていく人のことです。信じる心は、神 さまが与えてくださるもの。そして、ほんとうに信じている人には、神さまに従いたいという心が与え られていくのです。 だから、「イエスさまを信じている」と言っていながら、神さまのことばにまったく従う気がない人は、 自分の信仰が本物かどうか、もう一度よく考えてみる必要があります。


11.まとめ

• イエスさまの「幸いのことば」は、救われた人に見られる特徴です。

• 「自分にはどうすることもできない」と気づいて、神さまにすがるところから信仰が始まりま す。

• そこから、罪に対する悲しみ、優しさ、正しさを求める心へと導かれていきます。

• 神さまは、そういう人を変えてくださり、やがて人を愛し、平和をつくる者へと成長させてくだ さいます。

• この道を歩む人には、たとえ苦しみや迫害があっても、天の御国の祝福が約束されていま す。


12.聖書が教える信仰

「御子(イエス)を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者 はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる」(ヨハネ3:36)

 信仰は「心の内側の変化」から始まります イエスさまを信じるとき、神さまはその人に「新しい心」を与えてくださいます。

「わたしは彼らのうちにわたしの律法を置き、彼らの心にこれを書き記す」 (エレミヤ31:33)


13. 神さまは「従わせようとする心」を与えてくださる

• 信じたからといって、すぐに楽に従えるようになるわけではありません。

• ときには苦しみ、ときには葛藤し、自分のわがままを捨てる痛みもあります。

• でも、それでも「神さまに従いたい」と自分を叩いてでも従わせようとする思いが生まれる それは、神さまが与えてくださる信仰の働きです。

「私は、自分の思いを行うために、あなたがたのうちに働いて、願いを起こさ せ、実行させてくださる神なのです」 (ピリピ2:13)


14. 従順とは、楽なことではなく「戦い」です

• イエスさまご自身も「ゲッセマネの祈り」で、御心に従うことに苦しみ、汗が血のように流れ るほど祈られました(ルカ22:44)。

• 私たちも、神の子として従おうとするとき、苦しみが伴います。

• でもその戦いこそ、神さまに属する者のしるしです。


  あなたはこの1度しかないこの地上での人生をイエスキリストに最後の望みをおいて 生きたいですか? 心から従順に御言葉に従いたいですか? あなたがそのように望むことは神がすでに幸いの教え、神の主権の中に招きいれてくださ っているのです。 主は幸いの教えを通して従順に神に従う真の信仰者の聖化の祝福を教えています。

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