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幼児洗礼の歴史的背景と現代的再考察(ウェストミンスター信仰告白補足資料)

  • thewordforyoujapan
  • 2025年12月21日
  • 読了時間: 10分

補足資料:幼児洗礼の歴史的背景と現代的再考察

結合中心救済論に基づく評価


 

豊川の家の教会長老 後藤愼二

 

 本資料は、ウェストミンスター信仰告白における洗礼理解を補足するために、歴史的文脈(教会‐国家一体構造)と、救いの秩序(永遠の結合→時中の結合→再生→信仰→洗礼)の関係を整理したものである。


ここで示される内容は、救いの源泉をキリストとの結合に置く改革神学の中心線に立つ。洗礼は救いを生み出す儀式ではなく、すでに与えられた救いの外的証である。


 1.序論

幼児洗礼が歴史においてどのように理解され、どのような社会的役割を担ってきたのか、また今日の教会においてどのように再評価すべきかを整理するものである。

 

幼児洗礼を単に「正しい/誤り」という二分法で扱うのではなく、救いの秩序とキリストとの結合(union with Christ) を中心に据え、その歴史的文脈と神学的根拠を区別しながら再構築することが目的である。

 

【永遠のうちにおけるキリストとの結合】

神がご自身の民をキリストに結びつけられたという救いの源泉である。この結合は人の意識経験には現れない。

救いは「人間が信じた瞬間に始まる」のではない。救いの源泉は 永遠のうちにおけるキリストとの結合にある。永遠の結合にあって神はご自分の民を選らばれた。


【時の流れの中「時中の結合」に現れる結合】

神は永遠においてキリストに結びつけられた者を、聖霊によって時の中で実在的にキリストへ結びつけ(時中の結合)、そのとき聖霊は心を新しく創造し、再生が生じる。

それは神の主権的働きによって、時の流れの中の1点において信仰者の魂を聖霊によってキリストに結び付け、その心を新たに生まれさせる。

 

ここで重要なのは、再生がキリストとの結合を生み出すのではなく、永遠における結合が、聖霊によって時の流れの中で現実となる出来事が「時中の結合」であるという点である。

 

時中の結合が起こるとき、聖霊は人の心を新しく創造し、再生が生じる。信仰と悔い改めは、この再生から生じる実である。

 

したがって、結合は永遠の時の始まる前にあり、そして時の流れの1点で現実となる。それは再生より前にあり、再生は結合の歴史的顕現であり、信仰と悔い改めは再生の実として生じる。洗礼はその外的証である。

 

永遠の結合

     ↓

時の中の結合(聖霊が歴史の一点で顕在化)

     ↓

再生(聖霊の主権的創造)

     ↓

信仰と悔い改め(再生の実)

     ↓

洗礼(すでに与えられた救いの公の証)

     ↓

教会における従順と聖化

 

洗礼は、救いを生み出す行為ではなく、すでに神が与えられた救いを示す外的証(sign & seal) である。

教会は、人間が自ら選択して集まる組織ではなく、神がご自身の民を呼び集められる共同体である。

2.幼児洗礼が必要とされた社会的背景

16〜18世紀の西欧では、教会・国家・社会が一体構造をなしていた。これは ローマ・カトリック教会の中世的キリスト教王国体制の産物である。

 

この体制では、洗礼は:

ゆえに 信仰の有無にかかわらず、洗礼は「生存の前提条件」であった。

領域

機能

宗教

神の民としての共同体への所属

社会・法

戸籍・相続・婚姻・教育への公式登録

 

洗礼を受けない者は:

·        教育

·        婚姻

·        財産

·        法的保護

·        共同体の庇護

 からの 排除を受けた。したがって幼児洗礼は、信仰に関わらず 「生きるために必要」 であり、この制度は 大量の未再生者を教会に組み込む構造 を生んだ。


 3. 改革者による神学的再定義

改革者(カルヴァンを含む)は、幼児洗礼が社会‐教会一体構造の中核に位置していたことを理解していたが、「洗礼=再生」というローマ・カトリック的理解を退け、洗礼を 「救いの印ではなく、救われた者に与えられる外的証印」 として再定義した。

 

3-1. カルヴァンが保持した神学的根拠は次の通りである。

 

1)契約は神の側から始まる一方的恵みの関係であり、選びの秩序に基づく。(創17章)

2) 洗礼は救いの原因ではなく、すでに与えられた恩恵の印である。(綱要 4.16)

 3)再生は神が御心の時に単独で行われる。人は再生の時を決定できない。(綱要 4.16.17)

 

ここで本研究において「契約(Covenant)」とは、神が永遠においてキリストに結びつけられた者に対して、一方的に恵みを与える関係的約束を指す。契約は家系・血統・共同体所属・領域的身分を意味しない。すなわち 契約は救いの因果ではなく、救いの言語的枠組みである。

 

3-2. (重要)長老派による後代的展開

後代の長老派神学(17–20世紀)は、カルヴァンの契約理解を 「契約共同体=領域」 として発展させた。

 

カルヴァン:契約 = 神が選んだ者に対する恵みの約束(外形は歴史的理由で保持)

 

長老派(後代):契約 = 共同体に属すること

子は共同体に生まれた時点で「契約領域」に含まれるとみなす


この「契約=所属」の転換により、

  • 洗礼は 再生の証 ではなく

  • 「共同体に属する身分の標識」へと変質した。


本考察の結論

  • 契約は神の側の関係であり、所属ではない。

  • 再生は契約の枠組み内で、神が時に応じて単独で行う。

  • ゆえに、契約の継続性は再生前の洗礼を正当化しない。

 

契約(神の側)

    ↓

再生(神の主権)

    ↓

信仰

    ↓

告白

    ↓

洗礼(証)

 

 

つまり:幼児洗礼は、救いの秩序の中には位置付けられない。

 

 

4. 改革者による神学的再定義

改革者(カルヴァンを含む)は、幼児洗礼がこの社会秩序の中核であったことを理解していたが、「洗礼=再生」というローマ的理解を拒否し、洗礼を「印と証印」として再定義した。

彼らが保持した神学的根拠は:神の契約は世代に及ぶ(創17 / 使徒2:39)

すなわち、子は「福音が告げ知らされる領域(sphere of covenant nurture)」に含まれる。

 

本考察において「契約(Covenant)」とは、神が永遠においてキリストに結びつけられた者に対して、一方的に恵みを与えられるという神側の関係的約束を指す。契約は、家系・血統・共同体所属・領域的身分を意味しない。契約は救いを生む原因ではなく、救いを与える神のご計画を言語的に示す枠組みである。

 

しかしここで決定的に区別すべき点: 

·        契約は救いを生み出す原因ではないが、神が救いを届ける枠組みである。

·        すなわち、再生は契約の外では起こらず、契約の内で聖霊により行われる。

·        再生は聖霊の主権的創造である

 

ゆえに、契約の継続性は 再生前の洗礼を正当化しない。


 

歴史上で実際に同時に存在していた二層構造

     二層構造

内容

評価

① 神学的契約(一次・不変)

家庭と教会における福音の継承

有効に保持される

② 社会的共同体

(国家キリスト教モデル・二次)

洗礼=国民登録・生活保障

現代では完全に消滅

 

史実ではこの二つは「同列に同時並行」していた。現代において存続しているのは ①のみ。

 

したがって、②なき世界で①を根拠として幼児洗礼を保持すると:

→ 「洗礼=宗教的所属」 という誤認が生じ

→ 救いの秩序が曖昧化する危険 が高い。

 

5. 幼児洗礼理解の三者比較:カルヴァン/長老派/本考察

幼児洗礼をめぐる議論において同一の語彙(「契約」「子ども」「教会」)が用いられていても、その背後にある神学的構造は歴史的に異なる三つの体系へと分岐している。したがって、幼児洗礼の妥当性を検証するためには、これらの体系を明確に区別する必要がある。

項目

カルヴァン(16世紀)

長老派約共同体    モデル(17–20世紀)

本考察(結合中心救済論)

中心概念

「契約に含まれる」(comprehended in foedere)

「契約共同体に属する領域」(sphere of covenant nurture)

「永遠におけるキリストとの結合」

洗礼の性質

教会への外的導入印(社会‐教会一体構造下)

共同体身分と宗教的所属の標識へ変質

再生と信仰の後に与えられる公の証し

救いとの関係

洗礼は救いを生じない (明確に否定)

表面上は否定するが運用上は救いの前提化へ傾く

洗礼は救いの原因ではなく結果のみ

子どもの位置づけ

契約に含まれるが、再生の時は神の主権に委ねられる

領域内出生という事実により特別視される

誰が結合されているかは神が決め、人は判定できない

実践的帰結

外形保持は歴史的制約から生じた

共同体の形骸化・自動信者意識を生む危険

再生・信仰の現実性が保持される

 

ここで用いられる「領域 (sphere)」はカルヴァンの語彙ではなく、後代長老派教育論において発展した表現である。

本研究は救済論の本体ではなく外形構造としての領域概念を退ける。

本比較から明らかなように、カルヴァンの幼児洗礼保持は、救済論の本体ではなく、当時の社会‐教会一体構造の維持に関わる外的要因に影響を受けていた。

しかし長老派は、この外形を神学的原理へと昇格させ、「契約=所属」の等式を形成したことにより、洗礼が救いと混同される危険構造を生み出した。

本考察は、カルヴァンが保持した救いの源泉としてのキリストとの結合と再生の主権性をそのまま継承しつつ、後代に付加された「領域・身分としての契約構造」を退ける立場に立つ。よって、幼児洗礼は救済論における神の側の働きと一致せず、救いの秩序上の必然性を持たない。

以上の比較を前提として、次に、幼児洗礼に対して最初に体系的に異議を唱えた再洗礼派(アナバプテスト)の主張を歴史的文脈の中で再検討する。


 

6.アナバプテスト(再洗礼派)

アナバプテストは、ツヴィングリの聖書講義を共有した青年信徒らによって生まれた運動で、次の信念を持っていた:

·        教会とは 信仰告白者の共同体 である

·        洗礼は 信仰の告白の後に与えられる

·        救いは国家でも教会制度でもなく、キリストから来る

 

国家が激しく迫害した理由

 彼らの主張は、国家教会体系の根本を破壊するものだった:

アナバプテストの主張

国家が受け取った意味

「信じる者のみが教会」

国民統治の崩壊

「幼児洗礼は無効」

国民籍管理制度の崩壊

「信仰は強制できない」

王権の宗教支配の否定

 

そのため、アナバプテストは:

·        投獄

·        追放

·        財産没収

·        火刑

·        水死刑(例:フェリックス・マンツ, 1527)

 という徹底的な虐殺の対象となった。

 

彼らが遺した二つの実り

1.   信仰告白者の教会の確立

2.   信仰と良心の自由の再発見

 

ただし注意すべき歴史的変質

 ·  初期アナバプテスト:再生は神の御業であると理解

 ·   後期の一部:「信仰を人間の決断行為」とし 決心主義へ変質

 → これは「主語が神から人へ移る」危険である。

 

7. 改革派とアナバプテストの接点

 改革派が守った原理:

再生:神の主権的御業

信仰:再生の実

洗礼:信仰の結果としての証

教会:神が呼び集めた民

 

 アナバプテストが守ろうとしたもの:

 洗礼の形骸化を拒む純粋性

教会は信者の共同体であること

信仰は神と人の直接関係であること

 

両者が一致する中心軸は

「救いを生み出すのは神である」という一点である。

 

8.現代教会における正しい洗礼理解 

今日、②の社会的共同体モデルは 完全に失われている。

よって洗礼は:

 

時中の結合 → 再生 → 信仰 → 告白 → 洗礼

という救いの秩序に従って与えられるべきである。

洗礼を 所属の印 に戻してはならない。


 9.最終結論

RCスプロールは幼児洗礼を、救われているという印ではなく、福音の養育領域に置かれるという印と定義した。しかしその領域に置かれても、再生は聖霊の主権的働きによるものであり、領域と再生は決して同一ではない。

 

洗礼は、神がすでに与えた救いの公の証である。ゆえに神の御業である再生は 原因、信仰告白はその現れであり、洗礼は 外的な証である。教会は、形式ではなく、キリストとの結合に生きる者の共同体へ立ち返らなければならない。

 

教会とは、神がキリストにあって選び、神が呼び出し、神が保ち続けられる共同体である。

 

救いは、人が神に近づくのではなく、神が永遠においてキリストに結びつけられ、憐れみにと慈しみ、満足、喜びをもって選んだ者に時に応じてその救いを与えられた出来事である。

洗礼は救いの結果、その素晴らしい外形的な証であり、救われた者が歩む神への最初の従順である。

 

以上


 

 

 

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