神との結合「キリストとの結合」にある奥義
- thewordforyoujapan
- 8月5日
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更新日:8月18日
「キリストとの結合」にある奥義 2025.7.29
「キリストとの結合」にある奥義について更に学びを進めたいと思います。
この結合について語るときに、どうしても見落としてはならない大切な側面があります。それは父なる神、御子キリスト、聖霊なる神についてです。キリストとの結合がその父なる神、聖霊なる神との交わりに結合する事実です。
イエスさまは、(ヨハネ10:30)「わたしと父とは一つである」と語られました。聖書が示すキリストと信仰者の結合は父なる神との結合を意味します。イエスさまはこうも言われました。(ヨハネ14:23)
「わたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに行き、ともに住みます」
このみことばも、キリストだけでなく、父なる神ご自身も信じる者と結合して、住まわれるということです。これは父なる神、子なる神の臨在と親密さの約束です。この臨在、すなわち結合は聖霊を通して実現します。
さらに、主イエスは十字架に向かう直前、御父にこう祈られました。(ヨハネ17:21–23)
21 それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
この祈りにおいて、私たちは驚くべき真理の啓示を受けています。
すなわち、信じる者たちは三位一体の神の内に永遠におかれており、父なる神、子なる神は聖霊により信じる者たちの内に神はいます。信仰者たちはIn Christ、In Father、In Holy Spiritにあります。
さらにイエス様は、聖霊の内住についても語られました。
「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります…その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです」(ヨハネ14:16–17)
このように、キリストとの結合は同時に、父なる神との結合であり、聖霊なる神との結合でもあるのです。これは、御子イエスご自身のことばによる明確な証言です。この結合は永遠であり、時の内において実行された現実です。
この真理は、使徒たちの証しによっても繰り返し確認されています。ヨハネは「私たちの交わりは、父および御子イエス・キリストとの交わりです」(1ヨハネ1:3)と記し、パウロも「キリストの御霊を持っていない者は、キリストのものではありません」(ローマ8:9)と語りました。
もし私たちが、キリストとの結合だけを取り上げて、そこにとどまるならば、私たちの理解は狭く、ゆがんだものになってしまいます。キリストとの結合は、三位一体なる神すべてとの結合、交わりを含む、壮大で全的な関係なのです。
この結合の真理は、最高次元の神秘、すなわちミステリーと言われます。それはカリスマやペンテコステで言う恍惚とした感情の混乱や抽象的な霊的高揚感ではありません。
聖書の啓示にしっかりと根ざした、真実な信仰の交わりです。
信じる者たちは、父なる神を父として知り、永遠の中におけるその選び、愛の交わりに参加します。
神であり、人である御子キリストと結び合わせられることにより、救い主、贖い主、栄光の主として知り、そのご人格、義、十字架の御業にあずかります。聖霊なる神を、助け主、慰め主、聖化を苦しみ、悲しみにあってもともに歩いて下されるとして知り、その臨在のうちに歩みます。
それは、聖書に明確に示された救いの真理であり、それを聖霊が内なる証しによって、私たちに悟らせ、確信させてくださるのです。この信仰は、知識だけでは終わりません。それは、私たちの最も深い心を揺り動かし、聖なる愛と喜びの泉を湧き上がらせます。
(エペソ2:6)キリスト・イエスにあって、ともに甦らせ、共に天のところに座らせてくださったからです。この御言葉は信じる者たちが、「三位一体の神との交わり」という「至聖所」に入れられていることを明言しています。
福音はパウロはキリストと結合した人々はゴルゴダの丘に立った十字架でキリストとともに死に、葬られ、三日後に甦ったと語ります。そしてパウロはこの結合が信じる人々をキリストともに天のところに座らせてくださいましたと力強く宣言してます。
私たちのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されています(コロサイ3:3)。
私たちの命は神の命の内にともにあるのです。
だからこそ、この確信により、私たちは確信をもって神に近づくことができるのです。
罪を洗い清められ、心に平安を得て、私たちは大祭司であるキリストにあって、まことの御前に進み出るのです。なぜなら、キリストは人の手で造られた聖所ではなく、天そのものに入り、今や私たちのために神の御前に現れておられるからです(ヘブル9:24)。
この真理の啓示に生きるとき、信仰は単なる宗教や知識ではなく、三位一体の神との永遠の交わり、結合という現実に包み込まれます。御言葉はあなたに語ります。時が始まる前から神は「キリストにあって、キリストに結合され」、「父なる神あって、父なる神に結ばれ」、「聖霊なる神にあって、聖霊なる神に結ばれ」、そして、そこには父なる神、そこには絶えず子なる神、聖霊なる神がともにおられました。
父なるはあなたを選ばれた。御前に聖なる傷のない者とされようとしました。
それは神のみこころの良しとするところに従って。神の愛、喜び、やさしさ、楽しみに従ってイエスキリストによりご自分の子にしようとあらかじめ定められたのです。
信仰者の永遠の選びは信仰者と父なる神との交わりです。信仰者はいつもどこでも神による永遠の選び、を思います、それは父なる神の愛です。
そして信仰者の内には子なるキリストの十字架の御業、神の主権にあります。それは子なるキリストとの結合にあります。信仰者はいつもキリストとともに死に、キリストともによみがえり、キリストのすべての主権があることを思い、感謝し、平安に行きます。それは子なる神との交わりです。
そして聖霊は信じる者の内に内住されています。この聖霊は助け主であり、聖化の過程をともに歩んでくださいます。聖霊ご自身とりなしてくださる神です。私たちはこのように聖霊の神とも絶えず交わりをもっています。
キリストとの結合によって、永遠のいのちの中に、真実な交わりの中に生きると言うことは特別な宗教儀式や集会に行って感じたり、経験しりすることではありません。
この交わりはあなたの日常の生活の中にあります。家で、職場で、学校で、あなたはキリストと結合されていることを喜んでください。そして、三位一体の神の住まいとされていることを心から喜こんでください。この喜びは神への賛美、神の栄光の輝きです。この喜び、栄光の集合体は教会です。
永遠に消えることのない希望、永遠の喜びです。

