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ローマ人への手紙 8章26節 祈り2
ローマ書7章と8章のメインテーマは「私はみじめな人間です」というところから始まります。
この「私はみじめな人間です」から、深いうめきが起こってくる、とパウロは言っています。
この「うめき」とは何でしょうか。
キリストを知らない人、再生していない人は、このうめきを「人生の苦しみ」と捉えます。
自分が抱えている問題に自分を重ね合わせ、そこから脱出したい、その問題から逃れたいという思いを「深いうめき」だと思い込み、聖書にかぶせてしまいます。


ローマ人への手紙 8章26節 祈り
キリストとの結合と祈りについて更に学んでいきたいと思います。
ローマ8:26はこう言います:
「私たちは何を祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が言葉に表せないうめきをもって、私たちのためにとりなしてくださる。」
この聖句をよく見ると、何を祈ったら良いかわからない時に御霊ご人身が信仰者のためにうめきとりなすと言っていません。注意して読んでください。
→ 何を祈ったら良いかとは「信仰者がある特定の状況の時に何を祈ったらよいかと言う意味ではありません」 また、「特別に何か意識して」「何を祈ったら良いのか」と言うことでもありません。
むしろ「ただ、信仰者は何を祈ったらよいか分からない」 信仰者が何を祈ったらよいのかと言うことはその人の状態を表しています。つまり、実際に、神の御前にあって、ただ、わたしたちは何を祈ったらよいかわからない、そう言う人なのです。


「いのちの御霊の律法」
キリストとの結合による「いのちの御霊の律法」とキリストのからだ
ガラテヤ5:16 「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させることはありません。」
いのちの御霊の律法、原理は「御霊によって歩む」とは、「御言葉=信仰によって生きる」ことです。
信仰は、自分の力に頼らず、すべてを神にすがりつき生きること。
それは御霊によらない人間の方法や努力ではない。絶えず御言葉を通して神に、頼む生き方。
その生き方は個人的な生き方ではありません。それはキリストの体である選ばれ、召し出された人々の共同体、教会、交わり、説教、賛美、祈りの中にある生き方です。
コロサイ3:16は言います。
“キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。”
この理解はとても重要です。神は時の始まる前から人々を神の住まい、教会として選んだのです。
キリストとの結合による「いのちの御霊の律法」は真の信仰者の共同体となります。
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