詩篇23篇から見る試練
6月27日
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「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」
詩篇23篇1節
試練は、それ自体が美しいのではない。
死の陰の谷は、やはり谷であり、苦しみは苦しみである。
しかし、信者はその谷の中で、なお告白する。
「主は私の羊飼い」と。
主は、緑の牧場に伏させる時だけ羊飼いなのではない。
死の陰の谷を歩ませる時も、なお羊飼いである。
だから信者は、試練の中で捨てられたのではなく、むしろ羊飼いの御手の中にある。
詩篇23篇は、試練の中で何が慰めなのかをはっきり示す。
それは、谷が浅いことでも、苦しみが短いことでも、自分が強いことでもない。
「あなたがともにおられますから」――これが慰めである。
そしてダビデは、
「あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです」
と言う。
主のむちは、羊を打ち捨てるためのものではない。
主の杖は、羊を見失うためのものではない。
それは、迷う羊を正し、守り、導き、引き戻す、羊飼いの愛の手である。
だから、試練の中にある信者は知っている。
この苦しみは、神に見捨てられたしるしではない。
むしろ主はこの試練を通して、砕き、清め、キリストにより頼ませ、御自身の羊を最後まで保っておられる。
まことに、信者の生涯を追って来るのは、偶然でも不運でも絶望でもない。
主のいつくしみと恵みである。
だから試練のただ中にあっても、信者はこう告白する。
試練そのものを賛美するのではない。
しかし、試練の中でも主が羊飼いとしてともにおられ、むちと杖で導き、いつくしみと恵みをもって最後まで保ってくださる。
その主の取り扱いは、実に素晴らしい。
