top of page

恵みの上にさらに恵み1

10月10日
読了時間: 9分

2026.10.4 豊川の家の教会礼拝メッセージ


 父なる神は、御子キリストにあって、ご自身の民に救いの恵みのすべてを与えてくださいました。その救いは、世界の基が据えられる前の選びに始まり、キリストの血による贖い、罪の赦し、神の子とされること、御霊の証印、召し、義認を経て、最後の栄光にまで至ります。

父なる神がキリストにあって定め、御子が成し遂げ、御霊が適用し、栄光において完成される、一つの救いの全体を語っています。

救いの主語は神です。救いのすべてはキリストにあります。そして神の民は、御霊によってキリストに結ばれ、キリストのうちに満ちている救いの恵みをすべて受けます。これが本日のみことばの中心です。

すべての霊的祝福

エペソ1章3節で、パウロは父なる神をほめたたえます。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」と語ります。

ここでパウロは、信者がいつか十分に努力したなら祝福を受ける、と語っているのではありません。「祝福してくださいました」と、すでに与えられた神の御業として語っています。父なる神は、キリストにある者を、すべての霊的祝福をもって祝福してくださいました。

「すべて」という言葉は重要です。神は救いの一部分だけを与えられたのではありません。罪の赦しだけを与え、後は人間に任せられたのでもありません。救いを始める恵み、罪人をキリストへ召す恵み、義とする恵み、聖める恵み、守る恵み、復活させ、栄光へ入れる恵みまで、救いに必要なすべてを与えてくださいます。

そして、そのすべては「キリストにあって」与えられます。父なる神は、キリストを離れて救いの恵みを配られるのではありません。すべての救いは御子のうちにあります。御霊が私たちをキリストに結び、キリストのものを私たちのものとしてくださいます。

「霊的祝福」とは、単に気分が平安になることや、生活が順調になることではありません。それは、父なる神が、御子キリストに結ばれた者に、御霊によって与えてくださる、選びから栄化までの救いの恵みすべてです。

ここで、3節の『キリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福』と、4節以下との関係が重要です。4節はギリシャ語で καθώς(カソース)から始まります。日本語では文脈に応じて『ちょうど〜のように』『〜したように』『実際』『というのも』などと訳されますが、ここでは単なる例示ではありません。3節で総括された『すべての霊的祝福』が、どのような神の御業として与えられているのかを、4節以下が具体的に展開していきます。つまり、4節の選びは3節とは別の話題ではなく、3節で宣言された祝福の具体的内容の第一歩です。NETの注解も、4節の καθώς が、父なる神がほめたたえられる理由を説明する働きをしていると指摘します。したがって、日本語で『すなわち』とだけ置くと、原文の関係を簡潔に示せる反面、καθώς が持つ『3節の宣言を4節以下で具体的に展開する』という流れを十分に表せません。より正確には、『神は私たちをあらゆる霊的祝福で祝福された。その具体的な現れとして、世界の基が据えられる前からキリストにあって私たちを選ばれた』という関係です。

しかも、エペソ1章3節から14節はギリシャ語では一続きの長い文です。3節が表題のように『すべての霊的祝福』を宣言し、4–6節では父の選びと子とされること、7–12節では御子による贖いと御心の奥義、13–14節では御霊の証印と相続の保証が展開されます。ですから、『すべての霊的祝福』を4節から14節の内容と結びつけるのは、後から神学的に並べたのではなく、文章そのものの構造に基づいています。4節の καθώς が3節と4節以下を接続し、さらに『キリストにあって』『この方にあって』という反復が全体を一つに束ねています。選び、贖い、赦し、相続、証印は別々の救いではありません。すべては父が主権的に定め、御子において与え、御霊によって確実に私たちのものとされる、一つの『キリストにある霊的祝福』なのです。

 

1 創世の前からキリストにあって選ばれたこと

4節は、「神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び」と語ります。

救いの始まりは、人間が神を選んだことではありません。世界が造られる前に、父なる神がキリストにあってご自身の民を選ばれたことです。私たちが存在する前、私たちが何か善いことをする前、父はご自身の恵みの御心によって選ばれました。

この選びはキリストにある選びです。父は、御子から切り離して私たちを選ばれたのではありません。初めから、御子に結ばれる者として選び、御子のうちに救いのすべてを備えられました。

選びの目的も4節に示されています。「御前で聖く、傷のない者にしようとされた」のです。父は選んだ者を罪の中に放置されません。キリストの聖さにあずからせ、最後には御前で聖く、傷のない者として立たせてくださいます。

ですから選びは、救いの始まりだけではなく、救いの完成を含んでいます。父がキリストにあって選ばれた者を、御霊によって聖め、栄光へ導かれます。選びから栄化までが、一つの神の御業です。

2 神の子と定められ 子とされたこと

5節は、父なる神が、愛をもって、イエス・キリストによって私たちを神の子にするために、あらかじめ定めておられたと語ります。

救いとは、罪の刑罰を免れることだけではありません。神の子とされ、父の家に迎え入れられることです。御子イエス・キリストに結ばれる者は、御子にあって父の子とされます。

私たちは生まれながらに神の子であったのではありません。恵みによって子とされました。父がそう定め、御子が贖い、御霊が私たちのうちに住んで、父に向かって祈る者としてくださいます。

子とされた者は、神を遠い裁判官としてだけ知るのではありません。聖く義なる神を、キリストにあって父と呼びます。父の愛を受け、父の訓練を受け、父に祈り、父の相続を受ける者とされます。

これも、すべての霊的祝福の一つです。父なる神は、私たちを赦すだけでなく、ご自身の子として迎え入れてくださいました。

3 キリストの血による贖いと罪の赦し

7節は、「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています」と語ります。

永遠における父の選びは、歴史の中で御子の十字架によって成就しました。御子はまことの人となり、私たちの罪を負い、十字架で血を流してくださいました。その血によって、私たちは罪の支配と刑罰から贖い出されました。

罪の赦しは、神が罪を見なかったことにされたという意味ではありません。私たちが受けるべき刑罰を、キリストが代わって負われました。神の義は十字架において満たされました。そのため、キリストにある者は、本当に赦されています。

私たちは罪を軽く扱いません。御子の血が必要であったほど罪は深刻です。同時に、キリストの血を小さく扱いません。罪が深いからといって、キリストの贖いが足りないかのように絶望しません。

信者は罪を認め、悔い改め、キリストのもとへ帰ります。贖いと赦しは、自分の悔い改めの深さによって作り出すものではありません。神の豊かな恵みによって、キリストの血のゆえに与えられています。

4 神のみこころを知る恵み

8節から9節は、神が恵みをあふれるばかりに与え、あらゆる知恵と理解をもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださったことを語ります。

神は救いを成し遂げられただけではありません。その救いの御旨を、みことばによって私たちに知らせてくださいました。罪によって心も知性も暗くなった人間は、自分の知恵によって神の救いを見いだすことができません。しかし神は福音を語らせ、御霊によって私たちの心を照らし、キリストにある救いを悟らせてくださいます。

その御旨とは、時が満ちるに及んで、天にあるものも地にあるものも、すべてをキリストにあって一つに集めることです。救いの中心はキリストであり、歴史の中心もキリストです。これは御国の完成、すなわち万物がキリストをかしらとして統括され、キリストの王権が何の妨げもなく完全に現れることです。

そして、この御国完成の奥義を知らされたこと自体が、神の民に与えられた「キリストにある霊的祝福」なのです。聖書を読むとき、キリストにある選び、贖い、召し、義認、聖化、堅忍、栄化という救いの全体が見えるようになったことは、自分の知性を誇る理由ではありません。神が御霊によって、みことばを通して、その救いの奥義を知らせてくださったからです。

5 キリストにあって相続を受けること

11節は、「この方にあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました」と語ります。父が、ご自身のみこころの計画に従って、すべてのことを働かせ、私たちを相続する者として定めてくださいました。

神の子とされた者には、父からの相続があります。その相続は、地上の財産ではありません。罪と死から完全に解放され、復活のからだを与えられ、キリストの栄光にあずかり、永遠に神とともに住むことです。

この相続は、私たちが自分で獲得する報酬ではありません。キリストにあって与えられます。御子が相続者であり、御子に結ばれた者が御子とともに相続を受けます。

選びは過去だけの恵みではなく、相続へ向かう恵みです。贖いは現在の赦しだけでなく、からだの贖いと栄光へ向かう恵みです。神の救いは、私たちを途中に置き去りにしません。父が定めた相続へ導きます。

6 約束の聖霊によって証印されたこと

13節は、真理のことば、救いの福音を聞き、キリストを信じた者が、約束の聖霊によって証印されたと語ります。

聖霊の証印は、神が私たちをご自身のものとしてくださったしるしです。父がキリストにあって選び、御子が血によって贖われた者に、御霊が住んでくださいます。

御霊は、キリストが成し遂げた救いを私たちに適用されます。死んでいた心を生かし、福音を信じさせ、キリストに結び、父の子として歩ませます。御霊は、罪を悲しませ、悔い改めへ導き、みことばに従う願いを与え、キリストのかたちへと聖めてくださいます。

救いは、永遠において父が定め、歴史において御子が成し遂げ、御霊が一人ひとりに適用される神の御業です。御霊の証印によって、その救いが私たちのうちに現実のものとされます。

7 やがて栄光の相続を完全に受けること

14節は、聖霊が「私たちが御国を受け継ぐことの保証」であると語ります。保証とは、残りのすべてが必ず与えられることを確かにする、最初の賜物です。

私たちはすでにキリストにあって救われ、御霊を受けています。しかし、まだ罪との戦いがあり、苦しみがあり、死があります。救いはすでに与えられていますが、その栄光はまだ完全には現れていません。

御霊は、やがて完全に受ける相続の保証です。キリストが再び来られるとき、死者は復活し、信者は栄光のからだを与えられ、罪から完全に解放されます。キリストの栄光を見、キリストに似る者とされます。

エペソ1章のすべての霊的祝福は、創世前の選びから始まり、最後の栄光にまで及びます。3節が総題であり、4節から14節がその具体的内容です。

すべての霊的祝福とは、父なる神が、御子キリストに結ばれた者に、御霊によって与えてくださる、選びから栄化までの救いの恵みすべてです。

 

​お問い合わせはこちらから

bottom of page