top of page

ヘブル書 13章

  • 3月28日
  • 読了時間: 6分

 「宿営の外へ ― キリストのもとに生きる、キリストとともに生きる」

2026.3.22 豊川の家の教会 礼拝メッセージ

"動物の血は、罪のきよめのささげ物として、大祭司によって聖所の中に持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるのです。

それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。

ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。

私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。"

ヘブル人への手紙 13章11~14節

  この御言葉は、ヘブル書全体の勧めを非常に鋭く要約しています。

  「宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか」とは、地上の安全、宗教的な体裁、昔の制度、人からの承認の中にとどまるのではなく、辱めを受けられたキリストご自身のもとへ出て行けという招きです。

 

 まず、「宿営」とは、旧約的宗教制度、安全地帯、目に見える秩序の中で自分を保とうとする場所です。

 簡単に言えば、

  • 神を信じているつもりでいながら

  • 自分を守り

  • 人に認められ

  • 安全でいようとする場所です

 一見、正しく見える場所です。

 しかしそこは、キリストを必要としないで成り立つ場所です。

  または、さらに絞るなら:「宿営」とは、神の名を語りながら、自分の義に立って安心している場所です。

  そして、「イエスの辱めを身に負い」とは、キリストがこの世において迫害されたように、キリストに従う者もまた、その迫害を避けないということです。

 

キリストを迫害したのは誰か。

  • 神の名を語る者たち

  • 聖書を持つ者たち

  • 宗教的に正しいとされた者たち

 

すなわち、

  • パリサイ人

  • 律法学者

  • 宗教指導者たち

 

彼らは外面的には正しく見えながら、

  • 神の主権に服さず

  • 自分の義に立ち

  • キリストの義を拒みました

 

その結果、キリストを迫害し、十字架につけたのです。

 

したがって今も同じです。

 キリストに結ばれている者は、

  •  世からだけでなく

  • キリストの義を拒み、自分の義に立つ宗教者からも

 

迫害を受けます。だから信仰者は、自分を守る場所ではなく、迫害されたキリストの側に立つのです。

 

 【ヘブル13章全体】 

1. キリストにある者の歩み(1–6節)

  ここは明確に命令であり、服従が求められています。

  •     兄弟愛を持ち続けなさい

  •     もてなしを忘れるな

  •     苦しむ者を思いやれ

  •     結婚を尊びなさい

  •     金銭を愛するな

 これは行動だけではありません。 志し(内)と行い(外)の両方に及ぶ命令です。

 

信仰者は実際に、

  • 愛する

  • もてなす

  • 共に苦しむ

  • 聖を守る

  • 貪りを退ける

 そのように従う者とされます。しかし源泉は人ではありません。

 「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」

 神が保持される。神が結び続けられる。これが、キリストとの結合の現実です。

 

この結合の中で、

  • 神が志しを与え

  • 神が行わせる

 だから信仰者は、志しに動かされ、実際に従う。歯を食いしばって従う。内側から変えられた結果です。

これは律法主義ではありません。

2. 変わらないキリスト(7–9節)

 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、とこしえに同じです」

基準はキリストです。人でも制度でもない。 

3. 十字架 ― すべての土台(10–12節)

 「イエスもまた…門の外で苦しみを受けられました」

門の外は、罪のために捨てられる場所です。

そこに、キリストが置かれました。

  • 罪なき方が

  • 罪人として扱われ

  • 外に出された

 これが十字架です。そして、

 「ご自分の血によって民を聖なるものとするために」

 キリストが外に出されたことで、民が神のものとされた。これが福音です。

4. 宿営の外へ(13節)

 キリストが門の外で苦しまれた。これは歴史ではなく、キリストとの結合における現実です。

 信仰者は、すでにキリストとともに外に置かれています。

したがって、「外に出る」とは努力ではありません。すでにそうされている事実を認めることです。

  • 自分はこの世に属さない

  • すでにキリストとともにある

 この事実に従う。これが命令です。

5. 来たる都を求める(14節)

 「来たるべき都を求めている」

 ここに頂点があります。この御国は揺るがない約束であり、完成として確定しています。

 信仰者は、

  • すでに御国に属し

  • すでに御国に置かれています

 しかし同時に、

  •  この地上では未完成の中に置かれ

  •   完成へ向かって進まされています

 だから、「求める」とは、確定している完成へ向かって生きることです。

6. キリストから溢れるささげもの(15–16節)

  すべては、永遠の結合が源泉です。キリストは命の泉です。 その命の泉から賛美は溢れます。

 善行も同じです。人の努力ではなく、神が内に働かれる結果です。

  しかし放縦ではありません。神は罪の支配を許しません。

  神は、訓練します。神は、ご自身のものを訓練されます。神が志を与え、神が行わせます。

  神は罪を退けさせ、罪の力を打ち砕き、従う歩みを現されます。あきらめない歩みも、耐え続ける強さも、

希望も、勇気も、すべて神の働きです。

7. 神が成し遂げる(20–21節)

 "あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。

  最後まで主は神です。

 

【まとめ】

  •   キリストが外で苦しまれた

  •   その血で民は聖とされた

  •   すでに外に置かれている

  •   だから従う

 すべては、キリストとの結合を源泉としています。

 宿営とは、

  • 人が自分を守る場所

  • 宗教的体裁の中にとどまる場所

  • 自分の義で立とうとする場所  です。

 そこは一見、安全で正しく見えますが、キリストを拒んだ側の場所です。

しかしキリストは、門の外で苦しまれました。

  • 罪のために捨てられる場所で

  • ご自分の民の罪を負い

  •  血によって聖とされた

 

 したがって、信仰者はその血によって宿営から聖別された者です。内にとどまる者ではない。すでに外に分けられた者です。

  だから、私たちは宿営にとどまる者ではありません。キリストの血によって聖別され、すでに外に分けられています。だからその事実に従うのです。

  救いの全体像、聖書が示す救いは、キリストのもとに生きるとは単なる罪の赦しにとどまらず、キリストとの永遠の結合です。したがって、救いはキリストとの交わりに生きることです。

  キリストとともに生きるこの真理は新約聖書に繰り返し示されています。

 「キリストにあって」生きる

「キリストのうちに」ある

「キリストが内に生きている」

 これらはすべて、救いとはキリストとの共同生活そのものであるということを意味します。


 

救いの現実としての生活

 その結果として、日々の歩みにおいてキリストの命が現される。これは救いが単なる未来の希望ではなく、現在の生き方そのものであることを示しています。

  私たちの毎日の生活がキリストとともにあること。この理解が、信仰生活の基盤となります、

  みことばが信仰に結びつく。すなわち、生き様に現れることは、救いの原因ではなく、キリストにある救いが現れている結果です。救いと完成はキリストにあり、その現実が信仰者の歩みに現されるのです。

​お問い合わせはこちらから

bottom of page