「十字架の御業」、また「あがない」は救いにおける中心教義です。
これをわかっていないということは、その人は救われていないのか?
ここについて少し話したいと思います。
救いというのは、どのように私たちに来るのか?
聖書をしっかりと見つめて考えていくと、聖書はこのように言っています。
救いにおける一番重要な部分、それは「選び」です。
そして選びに基づいて何が行われているかというと、イエス・キリストとの結合の中において選びが行われているのです。
この選びの現れは、神の御指によって行われています。
決して私たちの意思によるものではありません。
また、決して私たちの知識によるものでもないということを理解する必要があります。