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エペソ5:18「そこには放蕩がある」とは何か― 聖書全体から見る放蕩の道と御霊による歩み

  • 8月8日
  • 読了時間: 5分

2026.8.5 The Word for you

エペソ5:18「そこには放蕩がある」とは何か

― 聖書全体から見る放蕩の道と御霊による歩み

 

「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があります。むしろ、御霊に満たされなさい。」(エペソ5:18)

 

ここで「放蕩」(ἀσωτία)は、酒を飲み過ぎることではありません。聖書全体を見ると、その本質は神ではないものによって心を支え、苦しみから逃れようとする生き方です。放蕩とは辞書でみると自分のやりたいように勝手気ままにふるまい、特に酒や異性と遊びに夢中になってやるべきことをやらずに身を持ち崩すこと。これは間違いではありません。しかし、「浪費」という理解だけでは狭すぎます。エペソ5:18の「放蕩」はギリシャ語 ἀσωτία(asōtia) で、「救いようがない」「制御を失った」「破滅へ向かう放縦」という意味を持ちます。ですから、日本語の「お金を浪費する」という意味だけでは、この語の深さを表せません。

ルカ15章の放蕩息子は、お金を浪費したので「放蕩」と呼ばれています。しかし、本質はお金ではありません。

  • 父から離れた。

  • 自分の欲望のままに生きた。

  • 父との交わりを失った。

  • 最後は破滅に向かった。

これが放蕩です。同じことがエペソ5:18でも言われています。 

「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があります。」

パウロは、「酒代を浪費するから駄目だ」と言っているのではありません。酒によって自分を失い、神ではなく酒に支配され、苦しみから酒によって逃れようとする。その結果、人生が神から離れ、破滅へ向かう。これを「放蕩」と呼んでいます。

ですから、聖書全体から要約すると、

放蕩とは、「神ではないものに自分を委ね、自分を失い、神から離れて生きること」です。

その代表例として、

  • 快楽

  • 情欲

  • 感情への依存

  • 人への依存

などが挙げられます。だからこそパウロは、「酒に酔ってはいけません。」で終わらず、 「むしろ、御霊に満たされなさい。」と対比させています。

つまり聖書全体の構造では、

  • 放蕩=試練の中で神以外のものに支配される道

  • 御霊に満たされる=試練の中で神によって砕かれ、キリストだけを望みとして歩む道

という対照になっています。これはローマ5章、Ⅱコリント1:9、ヘブル12章、ヤコブ1章などとも一貫しています。創世記から黙示録まで、聖書は二つの歩みを対比しています。

 

① 肉によって歩む道

試練に直面すると、人は神ではなく別のものに頼ろうとします。

 

·        酒

·        快楽

·        娯楽

·        怒り

·        愚痴

·        人への依存

·        感情の噴出

·        自己憐憫

 

これらは形こそ違いますが、「神ではないもので心を支えようとする」という点で共通しています。これが放蕩の本質です。

ルカ15章の放蕩息子も同じです。父から離れ、財産を浪費したこと以上に、父を離れて自分の力で生きようとしたことが放蕩でした。

 

これに対してパウロは続けて命じます。 「むしろ、御霊に満たされなさい。」

つまり問題は酒そのものではなく、何に支配されるかです。

 

·        酒に支配されるのか。

·        御霊に支配されるのか。

 

聖書全体を見ると、神は試練を通してご自身の民を造り変えられます。

試練

→ 自分では耐えられない

→ 神に叫ぶ

→ キリストだけが望みとなる

→ 御霊が支える

→ キリストに似た者へと造り変えられる

ローマ5章、ヤコブ1章、Ⅰペテロ1章、ヘブル12章は、この流れを一貫して教えています。つまり、試練はキリストへ向かわせます。

 

一方、放蕩は、試練から逃げようとします。

 

河島英五の『酒と泪と男と女』には、

「どうしようもない悲しみに包まれた時に男は酒を飲む」

という趣旨が歌われています。

 

忘れてしまいたい事や どうしようもない寂しさに

包まれたときに男は 酒を飲むのでしょう

飲んで飲んで 飲まれて飲んで

飲んで飲みつぶれて 眠るまで飲んで

やがて男は しずかに眠るのでしょう

 

忘れてしまいたい事や どうしようもない哀しさに

包まれたときに女は 泪みせるのでしょう

泣いて泣いて ひとり泣いて

泣いて泣き疲れて 眠るまで泣いて

やがて女は 静かに眠るのでしょう

 

これは罪の性質の現実をよく表しています。

 

悲しみ → 酒で忘れる

苦しみ → 酒で麻痺させる

孤独 → 酒で慰める

もし酒が神への信頼に代わる拠り所となるなら、それはエペソ5章が警告する放蕩の方向です。同様に、女は「泣くいて、泣いて」、泣き疲れて眠れ。要するに「感情を全部吐き出せ」という考え方も、感情そのものを解決とするなら聖書とは異なります。

 

よくカリスマ的な集会では、まさに泣く、笑う、震える、倒れる、走り回るなど、感情や身体的な現象が御霊のしるしであるかのように扱われることがあります。

 

しかし、新約聖書が御霊の働きとして強調しているのは、そのような感情や現象そのものではありません。

 

御霊は、キリストをあがめ(ヨハネ16:14)、試練の中で神の民を砕き、自分自身ではなくキリストだけを望みとする信仰を造り上げられます。そして、その結果として、愛・喜び・平安・忍耐などの御霊の実を結ばせられます(ガラテヤ5:22-23)。

パウロ自身も苦難の中で、「自分自身を頼みとせず、死者をよみがえらせてくださる神を頼みとする者となりました。」(Ⅱコリント1:9)と証ししました。

 

これが御霊による歩みです。

 

放蕩の道

試練

→ 苦しい

→ 酒・快楽・感情の噴出・自己憐憫などで苦しみを紛らわせる

→ 神ではないものに頼る

 

御霊による歩み

試練

→ 砕かれる

→ 自分ではどうにもならない

→ キリストだけを望む

→ 御霊が支える

→ 神を賛美する

 

エペソ5:18は、宗教が言う禁酒を教える箇所ではありません。ですから飲酒を否定しません。重要なのは神は聖書全体を通して、「試練の中で何に支配され、何を望みとして生きるのか」という問いを示しています。神は御霊によって、ご自身の民を試練の中で砕き、自分ではなくキリストを唯一の望みとする者へ造り変えてくださるのです。

 


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