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律法による義、信仰による義-律法主義、霊的戦い神学、福音の三要素はなぜ十字架の御業を冒涜するのか
信仰による義がもたらす結果
ローマ10:1-11はキリストとの結合を源泉とする救いの実際的な適用を説明している。信仰から来る告白は義認の条件と言うより、むしろ、救われた結果の信仰が外的・継続的にその人に現れると言う聖化そのものである。
・ローマ10章の中核
救いの土台はすでに成し遂げられたキリストの御業
人は自分の努力で天に登ったり、死の陰府からキリストを引き上げたりすることはできない(10:6–7)。 これは「律法による義」の不可能性を示す。
すべてはすでに キリストの受肉・死・復活という完成された福音 による。
信仰による義は、人間の行為ではなく、神の恵みの絶対的主導。
信仰と告白は聖霊によって与えられた心の動機のあふれ
「心で信じて義と認められ、口で告白して救われる」(10:9–10)。
スプロールはこれを「救いを獲得する条件」とは理解しない。
むしろ、神が新しい心を与えたときに必ず現れる内的動機の外的表現。
したいこと=志しとしての告白であり、律法主義的な「しなければならない」ではない。
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