試練の中でイエスを見る
- 3月7日
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2026.3.4 The Word for you
ヘブル人への手紙12章3節:試練の中でイエスを見る
あなた方は、罪人たちのご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなた方の心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。
1. 支配が見えないという現実
私たち信仰者は、すべてが神の支配の下にあり、絶えず訓練の中にいます。その訓練の中においては、苦しみが現実であり、状況は変わらず、神の支配などが見えないと感じる時があります。
ヘブル書2章8節は「万物はキリストの下にある」と言います。しかし、その聖書の箇所を読んでも、まるで空想のように思える時があります。空想とは、根拠のない思い込みであり、現実と無関係な思いです。しかし、ヘブル書2章8節(後半)にはこのように書かれています。「今なお、私たちはすべてのものが彼の下に置かれているのを見ていません」。
この御言葉は、事実として「すべてのものがキリストの下に置かれているのが見えていない」という前提で話しています。見えていないという現実を否定していません。
2. 永遠と時の二重構造
私たちは聖書において、神の支配は永遠の中で、時の始まる前から永遠の未来まで、すでに完成していることを学んでいます。しかし同時に、未だ完成に向かって進んでいるという、二つの次元があることを知っています。「永遠の次元」と「時の流れの中にある次元」です。
永遠の中においてはすべてが確定していますが、私たちは時の中で完成に向かって進んでいます。この「見えていないのに、神によって定められている」という緊張の中に、神様は私たちを立たせています。
ここで語られているのは、「苦しみがある」ことを認め、「支配が見えていない」ことを認めるということです。しかし、それでもなお、神の宣言を退けずに従う。この緊張感の中にこそ信仰があり、神が時の流れの中で完成に導いておられるという「信仰の確証」に立ちます。
3. 信仰とは「目を閉じること」ではない
聖書は、目に見える現実を否定せよとは一言も言っていません。信仰とは、目に見えるものを見て将来を安心することではなく、「目に見えないものに希望を置く」ことです。
それは、目を閉じることでも、目に見える苦しみから顔を背けることでも、痛みに対して目をつむることでもありません。これら(苦しみ)が「最終的な支配者ではない」と知ることです。
目に見える現実の上に、御言葉を置く。
目に見える苦しみの上に、御言葉を置く。
ですからパウロは、第二コリント4章18節でこう言っています。「私たちは目に見えるものにではなく、目に見えないものに目を留めます」。これは目に見えるものが存在しないと言っているのではありません。見えるけれども、そこに「最終判断」を置かないと言っているのです。苦しみは現実ですが、それが最終決定ではありません。神の御言葉こそが最終決定です。
4. 忍耐という場所
ヘブル書10章32節から39節では、苦難との激しい戦いに耐えた日々を思い起こすよう励ましています。
忍耐とは、私たちが頑張って作り出すものではありません。私たちは、神によって「忍耐が必要な場所」に置かれるのです。そこには逃げ道がありません。神はそのようにすべての逃げ道を塞ぎ、その場所を「忍耐が結実する場所」へと変えていかれます。
「義人は信仰によって生きる」。神は私たちを喜びます。なぜなら、私たちは神によって「恐れ退いて滅びる者」ではなく、神が永遠に守り通し、「信じて命を保つ者」へと変えられるからです。
5. 苦難を通ることが祝福であるという真理
聖書66巻を通して一貫している原則があります。それは、信仰者が苦難や試練を通らないことが祝福であると教える箇所はどこにもないということです。
創世記から黙示録まで、神の主権の下で信仰者が試練を通らされ、その中で神が働き、最終的に栄光が現れるという構造です。アブラハム、ヨセフ、ダビデ、預言者たち、そしてキリストご自身も、苦難を通らずに栄光に至った例は一つもありません。
もし「苦難を通らないこと」を願うなら、それは自分の欲望に基づいた間違った教理です。自分の思いで作り上げた「逃げ場所(偶像)」に逃げてはいけません。
祝福とは、神の主権の下に置かれ続け、苦難を通して神の栄光に導かれることです。
もし、この真理を知っていると言うのであれば、苦しみの中で「信仰の創始者であり完成者であるイエス」に目を留めないはずがありません。もし「分かっている」と言いながら、現実の苦しみから逃げ、自分中心の偶像に浸っているのなら、それは偽りです。悔い改めて、イエスに目を留めなさい。
終点は苦しみではありません。終点は必ず、神が最初に決められた「栄光」です。私たちはキリストの姿に変えられていく、その栄光の道を走っていくのです。
お祈り
愛する天のお父様、私たちの人生には苦難や困難が絶えませんが、どうか私たちが信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストから目を離すことがないよう導いてください。
「困難がないことが幸せだ」という麻痺した心や、自己中心的な偶像礼拝に陥っている者がいるならば、主よ、どうか語りかけてください。それが罪の性質であることを示し、悔い改めへと導いてください。
私たちが傲慢にならず、自分の力に頼らず、ただ主の主権を仰ぎ見ることができますように。
愛するイエス・キリストの御名を通して、感謝してお祈りします。アーメン。
