キリストの証人の使命
2026.7.15 The Word for you
キリストの証人の使命について今日は話しをします。
キリストの証人についてずっと話をしてます。今週の日曜日に、支配進学とキリストの証人について話をしました。今のこの時代の中には、教会の中には、この世界はまだサタンの支配にあるから、教会が祈って霊的戦いを行って、国や地域をサタンから奪還しなければならないという教えが多くあります。しかし、聖書は本当にそのように教えてるのか。
神は聖書全体を通して、キリストは十字架と復活によって、すでに天地の王として着座され、全てを支配しておられると告白しています。したがって、キリストの証人の使命とは、神の国を拡大するのではなく、すでに王として支配しておられるキリストを証しすることです。
第1に弟子たちの関心は、イスラエル王国の再構築でした。復活された主イエスに対して弟子たちは訪ねました。使徒1:6で、「主よ、イスラエルのために国を再してくださるのはこの時なのですか?」と質問しています。この弟子たちの関心は、イスラエル王国がいつ回復されるのかということでした。彼らはなお、地上的な王国の完成を期待していました。しかし、主イエスはその問に直接答えられていません。いつとか、どんな時とかいうことは、あなた方も知るところではない。それは、父がご自分の権威を持ってすでに定めておられることです。使徒1:7。歴史の完成も王国の完成も再臨の時も、全ては父なる神の絶対主権の中にあります。人間が実現するものではない。
続いて主は、弟子の関心を、この地上のイスラエル国家の再生から、再構築から証人としての使命に目を向けさせました。しかし聖霊があなた方の上に望む時、あなた方は力を受けます。そしてエルサレム、ユダやサマリアの全土、さらに地の果てまで私の証人となります。
イエス様は王国を築きなさい、第三神殿を立てなさいと、はじめられていません。サタンから国を奪還しなさい、悪霊を縛り土地を、その地域を奪還しなさいとは言ってません。
イエス様は、御霊を受け、私の証人となりなさいと命じられました。なぜ証人なのか?それは王がすでに即位しているからです。イエス様はマタイ28:18でこう言います。私には、天においても地においても一切の権威が与えられています。イエス様は決してこれから権威を受けるとは言われませんでした。与えられていますと宣言されました。十字架と復活によって、天地の一切の権威はすでにキリストに与えられました。もし王国がまだ存在せず、王も支配していないなら、教会は王国の最高建設者にならなければならない。しかし聖書は、教会が王国を拡大しろと伝えていません。王はすでに支配して完成していると言ってます。私たちはその王を証しする証人だと、そのようにイエス様は言ってるのです。
第3に、キリストの王国は本当に確立されているのか?パウロは神はこの力をキリストのうちに働かせてキリストを死人の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座につかせて、全ての支配、権威、権力、主権の上に置かれました。エペソ1:20~22また神は一切のものをキリストの足の下に従わせました。と語ります。未来系ではないです。置かれました。従わせましたと完了した形で語られています。
サタンも、悪も、国家も、権力者も、死も、歴史も、全てキリストの足の下にあります。十字架でサタンは、極限、決定的に敗北したと言っています。コロサイ2:15はこう言ってます。神は様々な支配と権威を武装解除してさらしものとし、彼らに勝利されたのです。これはただ書いてあるだけではありません。十字架は敗北ではなく勝利でした。支配と剣は武装解除されたと言っています。キリストは公に勝利を十字架の上で宣言したのです。ヘブル2:14~15はこう言います。それは死の力を持つもの、すなわち悪魔をご自分の死によって滅ぼし、このように言ってます。
私たちは、どのようにサタンが決定的に敗北したのかを知ってるのか、それはみ言葉によってです。悪魔は将来敗北するのではなく、十字架によって2000年前にすでに完全に敗北しているのです。現在も活動してますが、それは神に対抗する独立した支配者ではありません。 神の主権の下にある、敗北した敵として活動しているのです。
では、あなたはこう言うかもしれません。なぜサタンは今も活動しているのか。なぜサタンは人々を苦しめるのか。なぜサタンは国を支配するのか。
ここではっきりと私たちは、神の主権、キリストの主権を理解する必要があります。全ての被造物はキリストのご支配の下にある。全ては神の主権の下にあり、その支配の外にあるものは何ひとつありません。サタンも例外ではありません。なぜなら、全ては神の栄光のために存在しているのです。サタンは神に反逆する悪しき被造物です。しかしその悪意さえも、神はご自身の聖なるご計画の中で用いられています。
サタンは、自らの悪意に従って行動します。この世の人々も自らの悪によって行動します。全てのものは、自らの悪意によって行動します。しかし、その悪意を持ったそれぞれの行動は、決して神の主権を超えることはありません。神の主権は、それらの悪意の上に、それらの悪意を自分の永遠のご計画を成し遂げるための、道具として用います。選ばれた神の民に対しては、その攻撃さえも神は試練として用います。信仰は練られ、キリストに似たものへと変えられていく。一方、神を拒み続けるものに対しては、その罪が明らかにされ、悔い改めのないまま裁きへと至ります。このように同じ出来事であっても、同じサタンの攻撃であっても、同じ罪の攻撃であっても、神は救いにも、裁きにも用います。
ここで、決して間違ってはならないことがあります。それは、神が悪や罪の作者ではないということです。神はどこまでも限りなく完全に聖なるお方です。神はどこまでもどこまでも限りなく限りなく完全に完全に聖なる聖なる聖なる聖なるお方です。悪はサタンと罪ある人間から生じるものであり、神から生じるものではありません。
しかし、神はその悪さえもご自分の主権の外には放置せず、聖なる計画の中で支配し、用いておられます。
では、なぜ神は悪や罪そしてサタンの活動をお許しになるのでしょうか?ある人は言います。なぜ神がいて、このような悪が許されるの?このような罪が許されるのか?なぜ、サタンを放置するのか?神はいないんではないか?神はなぜお許しになってるのか?
答えは、時の始まる前からキリストにあって選ばれ、キリストと選ばれた神の民を救いへと導き、キリストに似たものへと作り替え、ご自身の恵みと義と栄光を、彼らを通して表すためです。お許しになる、その理由は、永遠の時の前から決められていました。キリストにあって選ばれたもの、神の民、この民とはキリストと結ばれ、この民をこの試練、罪、苦しみの中を通りながらキリストに似たものへと、その心を作り替え、ご自身の恵みと義と栄光をこの者たちを通して表すためです。エペソ書の1章です。エペソ書の2章です。
そして、同時に悔い改めない者たちに対する、悪魔に対する神の正しい裁きを明らかにするためでもあります。
このように、神の救いも、裁きも、試練も、歴史の全ては、神の絶対的な主権の下で、神のご計画を実行し、神の栄光を表すために用いられています。神は全てを治めておられるということを、神は私たちにずっと語っています。詩編103編19節。主は天にご自分の王座を固く立て、その王国は統べ治める。ここに土台があります。神の支配の外にあるものは何1つもないということを、神は語っています。神の支配の外にあるものは何ひとつありません。偶然は何ひとつありません。サタンも、罪も、全てのものは、神の摂理の中において、ご自身の栄光、神の子供たち、神の民を導き出し、救い、そして、ご自身の栄光を、彼らを通して表す。サタンも、国家も、歴史も、死も、全て神の支配の下にあります。何ひとつ神の支配の下にないものはない。
すでにサタンは完全に敗北している。しかし未だこのようなサタンの活動が許されている。聖書のいう、既にと未だとは、王権が未完成という意味ではないのです。聖書の既にサタンが敗北しているのは、サタンの敗北が未完成であるという意味では全くないのです。王権は完成しており、サタンは完全に敗北している。キリストの王権は十字架、復活、昇天によって完全に確立されている。未だその王権の栄光が、歴史の終わりに向かって動いています。再臨において、聖書は言います、世界に完全にそれが表されると。全ては完成しており、完成に向かって進んでいます。
それは、神の栄光が再臨において、全世界に完全にされ、ここに到達します。サタンの全ての活動、罪、苦しみ、全てのものは、神の支配の中にあり、神の栄光を表す道具となっています。そしてこの働きは神の民たちを贖いだし、救い、そして神の栄光を表し、そして神に敵対するものたち、悔い改めない者たちに正しい裁きを明らかにするためでした。
だから、キリストの証人の使命は、王国を拡大したり、築いたりすることへの参加ではありません。神の証人の使命は、イスラエルに行って第三神殿を作ることではありません。サタンからこの地域の日本のある地域、また都市を奪還することではありません。神は、全て、一切のものの上に立たれ、座られ足を置いています。一切の権威を持たれてる王キリストを、キリストの証人は証しし、御国の福音を述べ伝えることです。
イエス様はマタイの福音書の28章18節でこう言います。私には天においても地においても一切の権威が今与えられています。この王なるイエスを証しすること。それが2000年前に私たちの使徒たちに、主イエスが委ねられ、今日私たちキリストの証人にも委ねられている、証人、キリストの証人の使命、教会の使命なのです。
教会の使命は、私たちが御霊によって歩く中において、御霊の働きとして、私たちのうちに新たに創造され、そしてこの創造は愛を持って働く信仰によって、この全地に福音として広がっていきます。
それではお祈りします。主よ、私たちのこの人生において、あなたの主権が、どれほど広く、どれほど深く、高く、長く、私たちを覆っていることを、主よ、あなたは語られています。何ひとつあなたの主権の下から出るものはなく、外にあるものはなく、全てのことは必然であり、全てのことは永遠の時の始まる前に、あなたがご計画され、キリストによって実行され、御霊によって完成されることを、主が教えてくださることを感謝します。私たちの完成は御霊によって行われる。この素晴らしい福音を心から感謝します。イエスキリストの御名を通して、感謝してお祈りします。アーメン。
