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アダムにおける分離とキリストにおける結合

  • 2月23日
  • 読了時間: 9分

2026.2.22 豊川の家の教会 礼拝メッセージ

1章 アダムの罪、死、律法(神様の与えたルール)

 聖書は、すべての人は罪人であると宣言しています。

なぜ、すべての人は罪人なのかを学びます。聖書は人が神様の与えたルールを破ったから罪人であると説明しないこと知っていますか?

  聖書は創世記のアダムから、話を始めます。

  そこには、はっきりした順序があります。

1.アダムの罪

2.アダムは死んだ

3. アダムの罪が世に入り、

4.死の状態がすべての人に広がった

5.原罪(罪の性質) 死が人のうちにある状態

6.個々の罪(思い・言葉・行い)

7.律法による暴

 

1.アダムの罪

 最初の人アダムの罪によって、アダムは神から切り離されることになりました。人と神との関係が壊れました。この出来事は、アダム一人だけの問題ではなく、人類全体に影響する出来事でした。 なぜなのか?

 

2.それは死です

 アダムの罪によって、アダムは死にました。

 この死とは2つの意味があります。1つは霊的に神様から分離されること。2つ目は肉体的に神様と分離されることです。

 アダムは罪を犯してすぐ、霊的に神から分離されて死にました。そしてそのあと930歳まで生きて、死にました。この「死」は、霊的、肉体的な死です。

 それは霊的にすぐ神様から分離され死に、肉体的に930歳まで生きて死んだ。アダムは死の裁きを受けたのでした。

  その裁きである死とは

  •  神のいのちから切り離された状態

 を指します。

 そしてアダムの罪は世に入りました。それはアダムはすべての人類ははじめであり、代表であり、すべての人類は神がアダムと結んだ契約、裁きもアダムを通して受けているからです。

 

3.死の状態がすべての人に広がった

ローマ人への手紙 5章12–19節

 特に 5:19

「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされた」

すべての人は神から離れた状態に置かれているということです。

  •  神を求めない

  •  神を信頼しない

  •  自分中心で生きようとする

 死とは:

  •  神との分離

  • 裁きの状態

  • 神の怒りの下にあること

 

4.原罪(罪の性質)

 神から離れた状態は、完全にくさっていて、ひどい腐った臭いがただよっている状態。死が人の内にある状態のことを原罪、罪の性質と呼びます。原罪とは、神と分離した状態が人のうちにあることを現わす表現です。

  • 神を求めない

  • 神を信頼しない

  • 自分中心で生きようとする

  このような状態が人の内にあることを原罪、罪の性質と呼びます。すべての人間は原罪をうちに宿し、生きており、これは誘惑と結びついて様々な罪を生みます。

 

5.個々の罪

 この原罪から実際の個々の罪が生まれます。

<ガラテヤ人への手紙 5章18~21節>

すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。

  •  原罪をもつ罪人であるから、罪を犯してしまうのです

 

6.神が与えたルールの役割

 神様は人間にルールを与えました。それは律法と呼ばれます。罪はルールがあるまえからありました。それは神様から切り離されていることが罪だからです。 ルールは人を良くするためのルールはではありません。

  律法の役割は、

  •  罪をはっきりと罪であると見せるためです。

 実際に犯す罪だけではありません。実際には犯さないけれど、心の中で想像して犯す罪でさえ明らかに見せます。

  聖書は、心の中で想像する罪も、実際に犯す罪も同じであると指摘されています。

 <申命記 5章21節>

"あなたの隣人の妻を欲してはならない。あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。」"

  こうして神様のルールは、人がどんな状態にあるのかを明らかにします。そして、すべての人を罪の中に閉じ込めました。

<ガラテヤ 3章22節>

 「しかし聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました。それは、イエス・キリストを信じる信仰による約束が、信じる人々に与えられるためでした。」

  聖書が教えるすべての人は完全に堕落していると言われる教え、原則です。それは赤ん坊、小学生、中学、高校、大人、老人、どこの国の人でも一切、例外はありません。すべての人は罪人です。ここから救いは始まるのです。

  選ばれた者も、生まれながらは罪の下にあるしかし永遠の結合においては神の計画の中にあります。


 第2章 キリストとの永遠の結合 ― 神の分離に対する神の御計画

  前章では、アダムの罪によって人類すべてが神から切り離され、死の状態に置かれたことを見ました。 しかし聖書は、分離で終わりません。

  神は、分離に対して、永遠の結合というご自身の御業を備えておられました。それは人間が回復する道ではなく、神が永遠の昔から備えておられた救いの計画です。

 

1.永遠の昔における選び ― 「キリストにあって」

<エペソ人への手紙 1章4節>

 「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選びました。」

 ここで重要なのは、神が人を「キリストにあって」選ばれたと言うことです。つまり、神の選びは最初から個人の能力によってではなく、行いによってでもなく、信仰を将来持つからによってでもなく、キリストとの結合の中でなされました。

 「アダムにおいて人類が滅びに結びつけられたのと同様に、選ばれた者はキリストにおいて救いに結びつけられています。」

 

2.分離の原因 ― 罪の中にある人間の状態

エペソ書2章は、アダムの堕落の結果としての人間の状態を明確に示します。

 

<エペソ人への手紙 2章1–3節>

 「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者でした。」

  ここで再び「死」という言葉が用いられています。これは前章で見たアダムの死と同じ性質のものです。

 

この死の状態とは:

 神のいのちからの分離

 神の支配からの分離

 神の支配の下ではなく、自己中心の支配下

 この世と悪の力の支配下、神の怒りの下、

 

 さらに聖書は言います。

 「私たちもみな…生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(2:3)

  つまり、人は罪を犯したから罪人になったのではなく、罪人として生まれるために罪を犯すのです。

  これはローマ5章で語られた、「一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされた」という事実です。

 

3.神の御業

― 「しかし神は」エペソ2章はここで大きく転換します。

 <エペソ人への手紙 2章4–5節>

「しかし、あわれみ豊かな神は…私たちをキリストとともに生かしてくださいました。」 

  救いの主語は常に神です。人が神に近づいたのではありません。神が死んでいる者を生かされたのです。

 

ここで起こっていることは:

 分離 → 結合へ  神の一方的な御業です。

 

4.キリストとの結合 ― 「ともに」

この箇所には「ともに」という言葉が繰り返されます。

 <エペソ人への手紙 2章5–6節>

 キリストとともに生かし

キリストとともによみがえらせ

キリストとともに天の所に座らせた

これは単なる比喩ではありません。

  キリストの出来事が、そのまま信仰者の人生の出来事として適用されているということです。「アダムにおいて人類が罪と死に結びつけられたように、アダムと共に神から分離されたように」「キリストにおいて選ばれた者はキリストに結ばれており、キリストと共に聖霊によって父なる神に結ばれています。」

  キリストのいのち、キリストの義、キリストの御座に-天の身分そして、三位一体の神に結びつけられています。

 

5.救いの秩序 ― 結合から流れ出る恵み

 聖書が示す救いは、人間が段階的に登る過程ではありません。すべては キリストとの結合から流れ出る 神の恵みです。それは神の置かれた救いの秩序です。

 永遠の結合(神の選びにおいて)、

効果的召し

再生(霊的に生かされる)、

悔い改めと信仰(再生の結果)

義認、聖化、栄化

  これらは別々の救いではなく、神の救いの秩序であり、キリストとの永遠の結合にあります。

 

6.結合は修復ではなく新しい創造

 救いとは単に「元に戻る」ことではありません。

エペソ2章10節は言います。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」

 ここで用いられている言葉は「創造」を意味します。

 つまり救いは: 

元に戻るではない、修復ではない、改善ではない、教育でもない、

➡ 救いとは完全に新しい創造です。

 

7.分離と結合 ― 二つの人類

聖書は最終的に、人類を二つに分けます。

 ■ アダムにある人

 罪の下、死の支配下、神からの分離、神の怒りの下、裁きの下

 ■ キリストにある人

 神のいのちの中、義の支配下、神のゆるし、神との和解、恵みの下

 中間はありません。

 

8.恵みによる救い

このすべては、人間の努力によるものではありません。

 <エペソ人への手紙 2章8–9節>

 「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。」

  信仰さえも、人間の能力ではなく、神の働きの結果として与えられるものです。この信仰は救いはイエスキリストを信じる信仰であり、これによって神の御前で正しい者とされるとされます。信仰義認は神からの贈り物です。

 

9.まとめ

 アダムにおいて人類は神から分離されました。しかし、キリストにおいて、選ばれた人々がいます。その人々は永遠にキリストと結合させられています。分離が人間の行為によって起こったのではなく、代表者アダムにおいて起こったように。永遠の結合は、代表者キリストにおいて起こっています。

 

したがって救いとは:

 人が神に到達することではなく、神がキリストにおいて人を取り戻している永遠のご計画ことです。

 これらの人々はその永遠の結合がその人の人生にある時において、聖霊によって現実に現れます。

 神の恐ろしい怒りの下から、ゆるしと恵みに下に移されるのです。

 神は選ばれた者を、永遠の昔からキリストに結びつけ、再生させて信仰と悔い改めを与えます。そしてそのキリストを信じる信仰を通して義とされます。神は永遠の昔から、その人をキリストと結びつけると決めておられます。

 そして神が決めた時に、その人を聖霊によって生かし、キリストとの結びつきが実際の人生の中で現れます。それは永遠の結合は新しい創造として現れます。

 

■ 古い創造 アダムにある性質(罪の性質)

1.神を求めない

2.神を信頼しない

3.自分中心で生きようとする

 

■ 新しい創造 キリストにある性質(神の性質)

1.神を求める心が与えられる

2.神を信頼するようになる

3.神を中心として生きるようになる

 

 ここに、もっとも素晴らしい知らせ、福音の中心があります。

  神は、永遠の昔からキリストと一つに結びつけると決めておられた人々のために、そのご計画の通りにキリストを十字架につけられました。

  十字架の上で、神は彼らのすべての罪をキリストに背負わせ、身代わりとして完全に裁き切ることで、救いを成し遂げられました。さらに神は、死の力に完全に打ち勝った証明として、キリストを死者の中から復活させました。

 そしてすべての選ばれている人々はこのキリストと結びつかられています。

  神が主導されたこの十字架と復活によって、救いが揺るぎないものとなりました。

  これが福音です。次回は、この十字架についてお話しします。

 

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