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主語はゲラサの男ではない マタイの福音書

主語はゲラサの男ではない マタイの福音書Artist Name
00:00 / 1:02:29
以下のリンクからこのメッセージのブログ記事を読むことができます。
この箇所の本質は
男は一度も戦っていないという点である。
主は戦っていない。主は悪霊が願ったことを許しただけ!
主は出ていけと命令しただけ!
この箇所の 「主語をイエス・キリストから人間にすり替え」ると以下のようになる。
•人が悪霊に命じる
•人が霊を押し返す
•人が信仰で勝利する
•人が戦いに勝つ
•人が地域を支配する
これらは全て
「人がイエスキリストに置き換わる」思想である。
マルコ5章は、その正反対を語る。
悪霊はキリストの許しがなければ一歩も動けない
男は何もできず、ただ解放されただけ
豚は悪霊の破壊性が現れただけ
人々は光を拒んだだけ
キリストは戦わず、悪霊たちの願いを許し、出ていくように命令した。
人間は一かけらも何もしていない。
この章のテーマはキリストが闇の支配を断ち切り、魂を光の領域へ移す
➡ 主語はすべてキリスト、男、レギオン、2000匹の豚でもない
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