試練の中におけるキリストとの結合と聖化の現実

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エペソ4章22〜24節は、救われた者の現実を明確に示しています。
「すなわち、あなたがたの以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を、あなたがたが脱ぎ捨てること、また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい 人を着ることでした。」(エペソ4:22–24)
これは単なる倫理や努力の話ではありません。
すべてはキリストとの結合から流れ出ている神の働きです。
神がキリストにあって与えられた新しい存在が、時間の中で現れていく現実です。
「結合から流れ出る」とは何か
「結合から流れ出る」とは、神が、永遠において
キリストと一つに結びつけておられる者に対して、その結合を源泉として、
救いのすべてを時間の中に実際に現されることです。
聖書はこの結合をこう語ります。
「神は、私たちをキリストにあって選び…」(エペソ1:4)
「あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。」(Ⅰコリント1:30)
まず神が、永遠の過去において、信仰者をキリストのうちに置かれます。
これが、キリストとの結合であり、源泉です。
そこから、再生、信仰、義認、聖化、保守、栄化に至るまで、すべてが流れ出ます。
「神は、あらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々を義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」(ローマ8:30)
したがって、「流れ出る」とは、人が何かを生み出すことではなく、
すでにキリストとの結合において与えられている救いが、
神の働きによって時間の中で現れてくることです。
このため、
信仰は人が作るものではなく現れるもの
従順は努力の産物ではなく現れ
聖化は積み上げではなく顕れ
となります
「私はぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人のうちにとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15:5)
枝は実を生み出すのではなく、木から流れるいのちによって実が現れます。
結論として、
「結合から流れ出る」とは、キリストとの結合という源泉から、
神ご自身が救いのすべてを実際に現される働きです。
人が起点ではありません。神が源泉であり、神が働かれます。