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律法の義と信仰の義2 「律法主義」「霊的戦い」「福音の三要素」がなぜ十字架の御業を冒涜することになるのか ローマ人への手紙第10章 

律法の義と信仰の義2 「律法主義」「霊的戦い」「福音の三要素」がなぜ十字架の御業を冒涜することになるのか ローマ人への手紙第10章 Artist Name
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律法による義、信仰による義-律法主義、霊的戦い神学、福音の三要素はなぜ十字架の御業を冒涜するのか


ローマ10章6-11

10:6 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、『だれが天に上るのか』と言ってはならない。」それはキリストを引き降ろすことです。

10:7 また、「『だれが深みに下るのか』と言ってはならない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。


ローマ10章のパウロの警告

「天に上る」=自分の努力でキリストを降ろそうとする。

「地に下る」=自分の力でキリストを復活させようとする。

「律法主義」「霊的戦い」「福音の三要素」がなぜ十字架の御業を冒涜することになるのか


3つの異端の教えの接点

1)律法主義=「天に上る」試み

 律法を守って自力で義を獲得しようとすること。

2)霊的戦い神学=「地に下る」試み

 悪霊を断ち切ることで、赦しや解放を自力で完成させようとすること。

3)福音の3要素=「天にも地にも行こうとする」試み

 告白という人間の行為を救いの成立条件にし、御業を補おうとすること。

 すべて「十字架の完成を不十分と見なし、自分の手で完成させようとする」という点で、パウロの警告と直結する。

 

福音の答え

「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」(ローマ10:8)。

救いは「遠くに探しに行くこと」でも「儀式で断ち切ること」でも「口で条件を満たすこと」でもない。すでに完成された十字架の御業が、再生によって信じる心に与えられている。そこから自然に信仰の告白があふれ出る。



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