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啓蒙主義と教会:人間の理性を神に置き換える宗教

啓蒙主義と教会:人間の理性を神に置き換える宗教Artist Name
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啓蒙主義と教会:人間の理性を神に置き換える宗教

啓蒙主義とは何か

  「人間の理性を神に置き換える宗教」というタイトルで、どうして日本の多くの教会が人間主義的なキリスト教になってしまっているのか、また世界でも同じような傾向になっているのかを扱います。

  そこに一番大きく介在しているのは、啓蒙主義という教え、考え方、思想です。この啓蒙主義は、近代の日本の思想・経済・教育と大きく関わっています。

 

 まず「啓蒙」という言葉の意味について説明します。啓蒙の「啓」は「開く・悟す」という意味です。「蒙」は覆われて暗い無知な状態、つまり無知や迷信や古い習慣に覆われている状態を指します。したがって啓蒙とは、無知や迷信や古い習慣に覆われている人を、理性や知識によって目覚めさせるという意味になります。

 

 啓蒙主義というのは、辞書的に言えば、無知や迷信、古い習慣に覆われている人々が、理性や知識によって目覚めさせられる、というものです。日常では「知識を与える」「教えて理解させる」「近代的・合理的にする」というニュアンスで使われます。

 

 会社でも「啓蒙活動をしましょう」という言葉をよく使いますが、そこでは「無知」という言い方はせず、「古い習慣・しきたりを、知識や理性によって改革しましょう」という意味で使われます。

 

 しかし、西洋思想での啓蒙(Enlightenment)の本来の意味は、単なる教育ではありません。語源には「光で照らす」「闇から理性へ抜け出す」という意味があります。

  そこでイマヌエル・カントが定義した言葉が重要です。カントはこう定義しました。「啓蒙とは、人間が自ら招いた未成年状態から抜け出すことである。」

  ここで言う「未成年状態」とは、他人の権威、教会、伝統、神に依存して考える状態です。啓蒙とは、自分の理性で考え、判断し、結論することです。ここには明らかに「神」が絡んでいます。カントの有名な標語はこうです。「自らの理性を用いる勇気を持て。」

  啓蒙思想という言葉の革新的な意味は、単なる知識の普及ではありません。**判断の最終権威は神ではない。啓示ではない。伝統ではない。人間の理性だ。**という転換です。つまり「光」は神の啓示ではなく、人間の理性に置き換えられるのです。

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