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十字架の神学

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以下のリンクからこのメッセージのブログ記事を読むことができます。

十字架の神学 ― 第二コリント4章10–12節

十字架の神学 ― 第二コリント4章10–12節

 

 今日は十字架の神学について話します。ここでは、どのようにパウロが苦しみの中において伝道をしていったのか、再生と照明がどのように彼を動かしたのかということを説明したいと思います。

 

「私たちはいつもイエスの死を身に帯びています。それはイエスの命が私たちの身に現れるためです。」

これは第二コリントの4章10〜12節のところに書いてあります。

 

「私たちはいつもイエスの死を身に帯びています。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されています。それはまた、イエスの命が私たちの死ぬべき体において現れるためです。こうして、死は私たちのうちに働き、命はあなたがたのうちに働いています。」


 この箇所は、実は「照明の神がその栄光の輝きを私たちに照らしてくださっている」という節の後に続いています。そしてその後に、パウロがどのように苦しみの中で福音を伝えたのかが語られ、その中心にこの4章10〜12節が置かれています。


 ここは、十字架の神学を最も深く語った箇所の一つです。

 ここには、キリストとの結合によってキリストの死と命が信仰者の生活の中に同時に現れるという真理が示されています。

これは、パウロがダマスコに行く途中に光に照らされたときの、神の照明によって悟った事実の結果です。

 神の照明は人を壊し、そして新しく創造します。

 

 信仰者は十字架と共に、キリストと共に十字架につけられて死にました。そしてキリストと共に復活し、そこから新しい命がその人の人生に現れてくるのです。

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