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信仰義認と死んだ信仰 音源2

信仰義認と死んだ信仰 音源2Artist Name
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信仰義認と死んだ信仰

 

信仰義認とは、罪人である人が、自分の行いや功績によってではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって、神の前に「義」と宣言されることです。 

信仰義認とは、簡単に言えば、神の前で有罪の罪人が、キリストの贖いと義のゆえに、信仰によって「義」と宣言されることです。 

 

中心は三つです。

 

第一に、人間は自分で義となれない。人は神の律法を完全に守れません。善行、宗教熱心、悔い改めの深さ、奉仕、献金、教会生活によって、神の前で義を獲得することはできません。人間の側には、神に差し出せる救いの功績がないのです。 

 

第二に、キリストが罪人の代わりに立たれた。キリストは罪のないお方でありながら、十字架で私たちの罪の罰を負われました。そして、キリストの完全な義が、信じる者に与えられます。つまり、私の罪はキリストに負われ、キリストの義は私に数えられる。これが信仰義認の核心です。 

 

第三に、それを受け取る手段が信仰である。信仰は、救いを生み出す功績ではありません。信仰そのものが立派だから救われるのではありません。信仰は、ただキリストを受け取る空の手です。だから聖書は言います。「人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められる」(ローマ 3 28 節)

 

信仰義認で大切なのは、神が人の中に何か良いものを見つけて義とするのではないということです。神は、キリストに結ばれた者を、キリストの義のゆえに義と宣言されます。 

 

ですから、救いの根拠は、私の信仰の強さではなく、私の悔い改めの涙でもなく、私の奉仕や変化でもなく、キリストの十字架と復活です。 

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