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エペソ5:18「そこには放蕩がある」とは何か― 聖書全体から見る放蕩の道と御霊による歩み

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エペソ5:18「そこには放蕩がある」とは何か― 聖書全体から見る放蕩の道と御霊による歩み

エペソ5:18「そこには放蕩がある」とは何か

― 聖書全体から見る放蕩の道と御霊による歩み

 

「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があります。むしろ、御霊に満たされなさい。」(エペソ5:18)

 

ここで「放蕩」(ἀσωτία)は、酒を飲み過ぎることではありません。聖書全体を見ると、その本質は神ではないものによって心を支え、苦しみから逃れようとする生き方です。放蕩とは辞書でみると自分のやりたいように勝手気ままにふるまい、特に酒や異性と遊びに夢中になってやるべきことをやらずに身を持ち崩すこと。これは間違いではありません。しかし、「浪費」という理解だけでは狭すぎます。エペソ5:18の「放蕩」はギリシャ語 ἀσωτία(asōtia) で、「救いようがない」「制御を失った」「破滅へ向かう放縦」という意味を持ちます。ですから、日本語の「お金を浪費する」という意味だけでは、この語の深さを表せません。

ルカ15章の放蕩息子は、お金を浪費したので「放蕩」と呼ばれています。しかし、本質はお金ではありません。

  • 父から離れた。

  • 自分の欲望のままに生きた。

  • 父との交わりを失った。

  • 最後は破滅に向かった。

これが放蕩です。同じことがエペソ5:18でも言われています。 

「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があります。」

パウロは、「酒代を浪費するから駄目だ」と言っているのではありません。酒によって自分を失い、神ではなく酒に支配され、苦しみから酒によって逃れようとする。その結果、人生が神から離れ、破滅へ向かう。これを「放蕩」と呼んでいます。

ですから、聖書全体から要約すると、

放蕩とは、「神ではないものに自分を委ね、自分を失い、神から離れて生きること」です。

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