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わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している―その本当の意味

わたしの目には、あ なたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している―その本当の意味Artist Name
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わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している―その本当の意味
イザヤ書43章は、多くの人によって、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」「恐れるな」「見よ、わたしは新しいことをする」という慰めや、励ましの言葉として読まれています。しかし、この章は単なる慰めの章ではありません。この章全体には、一つの大きな流れがあります。それは、神がご自身の民を選び、贖い、守り、試練を通して造り変え、ご自身の証人として立てられるという救い全体の構造です。そして、その預言はイエス・キリストによって究極的に成就しました。
私はイザヤ書を読むたびに思わされます。旧約聖書は決して、新約とは別の救いを語っているのではありません。イザヤはキリストの初臨の七百年以上前に、神によって示された預言を通して、やがてキリストにおいて完成される救いを見ていました。
エペソ人への手紙が語る神の選び、ローマ人への手紙が語る神の救いの連鎖、ガラテヤ書が語るキリストにある神の民、それらの土台が、すでにイザヤ書の中に置かれています。
そして、この章で繰り返される言葉があります。それは、「わたし」です。
神は、「わたしが造った」「わたしが贖った」「わたしが集める」「わたしが新しいことをする」「わたしが罪をぬぐう」と、繰り返しご自身を救いの主語として示しておられます。神は、ご自身が救いのすべてを行うと語っておられるのです。
救いの主語は、最初から最後まで神です。ここにイザヤ書43章の中心があります。救いとは、人間が自分の力で神へ近づくことではありません。神が罪人をご自身のもとへ引き寄せ、キリストによって贖い、最後まで完成される救いの御業なのです。
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