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祈りと主の祈り 主の祈り

問187 「主の祈り」は、どのように用いられなければならないか。

答 「主の祈り」は、わたしたちがそれに従って他の祈りをなす型として指針であるだけでなく、一つの祈りとしても用いられる。それゆえ、これは、理解、信仰、敬けんな心、また祈りの義務を正しく果たすために必要な他の美徳をもって、祈られなければならない。

証拠聖句 マタイ6:9、 ルカ11:2

問188 「主の祈り」は、いくつの部分から成っているか。

答 「主の祈り」は、三つの部分、すなわち序言、祈願、結びの言葉から成っている。

証拠聖句 原文に個別の証拠聖句の記載なし

問189 「主の祈り」の序言は、わたしたちに何を教えているか。

答 「天にましますわれらの父よ」という言葉に含まれている「主の祈り」の序言は、わたしたちに次のことを教えている。すなわち、祈るとき、神の父らしいいつくしみへの確信と関心とを持ち、尊敬や、その他すべての子供らしい気持、天的愛情、神の主権的御力と尊厳と恵み深いへりくだりとの正当な理解をもって、神に近づくこと、また他人と共に、他人のために祈ることである。

証拠聖句 マタイ6:9、 ルカ11:13、 ローマ8:15、 イザヤ書64:9、 詩篇123:1、 哀歌3:41、 イザヤ書63:15-16、 ネヘミヤ記1:4-6、 使徒の働き12:5

問190 第一の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「み名をあがめさせたまえ」という第一の祈願においては、自分自身とすべての人々の中にある、正しく神を崇められない無能力と無気力とを認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、神がその恵みによって自分と他人に、神と、その称号、属性、規定、御言葉、御業、および何事であれ、それによって神がご自身を知らせることを良しとされる事柄を、知り、認め、高く評価し、また思いと言葉と行為において神を崇めることができ、また崇めたくなるようにして下さること、神が無神論、無知、偶像崇拝、冒とく、および何事であれ神に不名誉な事柄をはばみ、取り除いて下さり、またその支配的摂理によって、万事を神ご自身の栄光へと導き、処理して下さることである。

証拠聖句 マタイ6:9、 Ⅱコリント3:5、 詩篇51:15、 詩篇67:2-3、 詩篇83:18、 詩篇86:10-13, 15、 Ⅱテサロニケ3:1、 詩篇147:19-20、 詩篇138:1-3、 Ⅱコリント2:14-15、 詩篇145:1-21、 詩篇8、 詩篇103:1、 詩篇19:14、 ピリピ1:9, 11、 詩篇67:1-4、 エペソ1:17-18、 詩篇97:7、 詩篇74:18, 22-23、 Ⅱ列王記19:15-16、 Ⅱ歴代誌20:6, 10-12、 詩篇83:1-18、 詩篇140:4-8

問191 第二の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「み国をきたらせたまえ」という第二の祈願においては、わたしたち自身と全人類とが、生まれながら罪とサタンの支配下にあることを認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、罪とサタンの王国が滅ぼされ、福音が全世界に広められ、ユダヤ人が召され、異邦人の満数が召し入れられること、教会がすべての福音の奉仕者と規定とを備えられ、腐敗から清められ、国家為政者から支持され維持されること、キリストの規定が純正に執行され、いまだに自分の罪の中にいる者たちの回心と、既に回心している者たちの確立、慰め、建設とに、有効なものとされること、キリストがこの場でわたしたちの心を支配し、彼の再臨と、彼と共なるわたしたちの永遠統治との時を早めて下さること、またその力の支配を、これらの目的に最も貢献するよう全世界に及ぼすことを良しとして下さることである。

証拠聖句 マタイ6:10、 エペソ2:2-3、 詩篇68:1, 18、 黙示録12:10-11、 Ⅱテサロニケ3:1、 ローマ10:1、 ヨハネ17:9, 20、 ローマ11:25-26、 詩篇67:1-7、 マタイ9:38、 Ⅱテサロニケ3:1、 マラキ書1:11、 ゼパニヤ書3:9、 Ⅰテモテ2:1-2、 使徒の働き4:29-30、 エペソ3:14-20、 黙示録22:20、 イザヤ書64:1-2、 黙示録4:8-11、 エペソ6:18-20、 ローマ15:29-30, 32、 Ⅱテサロニケ1:11、 Ⅱテサロニケ2:16-17

問192 第三の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」という第三の祈願においては、生まれながら自分もすべての人々も、神の御心を知ることも行なうことも全くできず、欲しもしないだけでなく、御言葉に逆らい、摂理に反して嘆き、つぶやきがちであり、肉と悪魔の心を行なうことに全面的に傾倒していることを認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、神がみ霊によって、自分自身と他人から、心のすべての盲目、弱さ、無気力、強情を取り除いて下さり、またその恵みによって、天において御使いたちがしているように、わたしたちにも万事に同じへりくだり、喜び、忠実、勤勉、熱心、誠実、および堅忍持久をもって、神の御心を知り、行ない、従うことができ、また欲するようにして下さることである。

証拠聖句 マタイ6:10、 ローマ7:18、 ヨブ記21:14、 Ⅰコリント2:14、 ローマ8:7、 出エジプト記17:7、 民数記14:2、 エペソ2:2、 エペソ1:17-18、 エペソ3:16、 マタイ26:40-41、 エレミヤ書31:18-19、 詩篇119:1, 8, 35-36、 使徒の働き21:14、 ミカ書6:8、 詩篇100:2、 ヨブ記1:21、 Ⅱサムエル記15:25-26、 イザヤ書38:3、 詩篇119:4-5、 ローマ12:11、 詩篇119:80、 詩篇119:112、 イザヤ書6:2-3、 詩篇103:20-21、 マタイ18:10

問193 第四の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「われらの日用の糧をきょうも与えたまえ」という第四の祈願においては、わたしたちがアダムにあって、また自分自身の罪によって、この世のすべての外的祝福に対する権利を失っており、神によってそれらを全く奪われても、またそれを用いる時、わたしたちに対してのろわれたものとされても仕方がないこと、またそれらがそれ自体でわたしたちを支えることも、わたしたちがそれをかせいだり、自分自身の勤勉によって手に入れたりすることができず、むしろそれらを不合法に望み、手に入れ、用いようとしがちであることを認めつつ、自分自身と他人のために、次のことを祈るのである。すなわち、彼らもわたしたちも共に、合法的手段を用いるに当たって、日ごとに神の摂理に頼りつつ、神の自由な賜物から、また父らしい知恵に最善と思われるように、その正当な分を享受でき、またそれをきよく快く用いるに当たっては、それをわたしたちにとって継続的な祝福されたものとし、それに満足できること、またわたしたちのこの世での支えと慰めとに反するようなすべての事柄から守られることである。

証拠聖句 マタイ6:11、 創世記2:17、 創世記3:17、 ローマ8:20-22、 エレミヤ書5:25、 申命記28:15-68、 申命記8:3、 創世記32:10、 申命記8:17-18、 エレミヤ書6:13、 マルコ7:21-22、 ホセア書12:7、 ヤコブ4:3、 創世記43:12-14、 創世記28:20、 エペソ4:28、 Ⅱテサロニケ3:11-12、 ピリピ4:6、 Ⅰテモテ4:3-5、 Ⅰテモテ6:6-8、 箴言30:8-9

問194 第五の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「我らに罪を犯す者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という第五の祈願において、自分も他のすべての人々も、原罪と現実の犯罪との両方について有罪であり、そのために神の正義に対して負債者となっていること、また自分も他のどのような被造物も、その負債に対しては最低の償いも支払えないことを認めつつ、自分自身と他人のために、次のことを祈るのである。すなわち、神がその自由な恵みから、信仰によって理解され適用されるキリストの服従と償いを通して、わたしたちを罪のとがからも罰からも共に免除して下さること、その愛するみ子にあってわたしたちを受け入れて下さること、そのいつくしみと恵みとをわたしたちに対して持ち続けて下さること、わたしたちの日ごとの失敗を許して下さること、またわたしたちの日ごと払いよいよ許しの確信を与えることにおいて、平和と喜びを満たして下さることである。この許しの確信は、わたしたちが心から他人の罪を許すという証しを自分自身のうちに持つ時、一層力強く求め、勇気をもって期待できるものである。

証拠聖句 マタイ6:12、 ローマ3:9-22、 マタイ18:24-25、 詩篇130:3-4、 ローマ3:24-26、 ヘブル9:22、 エペソ1:6-7、 Ⅱペテロ1:2、 ホセア書14:2、 エレミヤ書14:7、 ローマ15:13、 詩篇51:7-10, 12、 ルカ11:4、 マタイ6:14-15、 マタイ18:35

問195 第六の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「我らを試みに会わせず、悪より救いだしたまえ」という第六の祈願においては、最も驚く正しく恵み深い神が、さまざまなきよく正しい目的のために、わたしたちが試みによって攻め立てられ、惑わされ、一時は囚われの身に引き行かれるよう、物事を指図されるかもしれないこと、サタンと世と肉とが、わたしたちを強引に引き寄せ、わなに陥れようと身構えていること、またわたしたちが罪の許しの後でさえも、自分の腐敗と弱さと警戒不足のために試みられがちであり、進んでわが身を試みにさらそうとするだけでなく、自分自身ではそれらに対抗し、そこから立ち直り、それを利用することができもせず、欲しもしないで、むしろその力のもとに放置されるにふさわしいことを認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、神が世界とその中にある一切のものを支配し、肉を従わせ、サタンを抑圧し、万物を指図し、すべての恵みの手段を与えて祝福し、わたしたちを促してその使用に注意深くならせて下さり、その結果、わたしたちと神のすべての民が、神の摂理によって、罪に誘われることから守られるようになること、あるいはたとえ誘われても、御霊によって、試みの時に強く支えられて立つことができるようにされ、あるいは倒された時には、再び起こされてそこから立ち直り、それをきよく用い利用することができるようになること、わたしたちのきよめと救いが完成され、サタンがわたしたちの足の下に踏みにじられ、わたしたちが罪と試みとすべての悪から、永遠に全く解放されるようになることである。

証拠聖句 マタイ6:13、 Ⅱ歴代誌32:31、 Ⅰ歴代誌21:1、 ルカ21:34、 マルコ4:19、 ヤコブ1:14、 ガラテヤ5:17、 マタイ26:41、 マタイ26:69-72、 ガラテヤ2:11-14、 Ⅱ歴代誌18:3、 Ⅱ歴代誌19:2、 ローマ7:23-24、 Ⅰ歴代誌21:1-4、 Ⅱ歴代誌16:7-10、 詩篇81:11-12、 ヨハネ17:15、 詩篇51:10、 詩篇119:133、 Ⅱコリント12:7-8、 Ⅰコリント10:12-13、 ヘブル13:20-21、 マタイ26:41、 詩篇19:13、 エペソ3:14-17、 Ⅰテサロニケ3:13、 ユダ1:24、 詩篇51:12、 Ⅰペテロ5:8-10、 Ⅱコリント13:7, 9、 ローマ16:20、 ゼカリヤ書3:2、 ルカ12:31-32、 ヨハネ17:15、 Ⅰテサロニケ5:23

問196 「主の祈り」の結びの言葉は、わたしたちに何を教えているか。

答 「国と力と栄とは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」という「主の祈り」の結びの言葉は、わたしたちに次のことを教えている。すなわち、自分自身または他のどのような被造物のうちにあるどんな値打からでもなく、神からとられた論証をもって、わたしたちの祈願を強く主張すること、わたしたちの祈りに賛美を加えて神にのみ永遠の主権と全能と栄光ある卓越性とを帰することである。神はこれについて、わたしたちを助けることができるし、欲しておられるのであるから、わたしたちも信仰によって、神がわたしたちの要求をかなえて下さるようにと彼に願い、力づけられる。またかなえて下さるだろうと静かに彼により頼むのである。またわたしたちは、自分の願いと確信を証明するために「アーメン」と言う。

証拠聖句 マタイ6:13、 ローマ15:30、 ダニエル書9:4, 7-9, 16-19、 ピリピ4:6、 Ⅰ歴代誌29:10-13、 エペソ3:20-21、 ルカ11:13、 Ⅱ歴代誌20:6, 11、 Ⅱ歴代誌14:11、 Ⅰコリント14:16、 黙示録22:20-21

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